2007年11月2日金曜日

NOVAの社長室

語学学校NOVAの創業者である猿橋前社長が使っていた豪華社長室が何かとマスコミを騒がせている。高級酒を揃えたバーカウンター、ベッドルームやサウナもあり、豪華ホテルのスイートのような作りだ。

さて、この社長室を「けしからん」と見るか、「オッ、羨ましいね」と見るか、ここがオーナー経営者と従業員とのモノの見方の根本的な違いだ。

テレビや雑誌は、あくまで大衆の味方であり、お金持ちや成功者を「妬む視線」で取り上げる宿命にある。

マスコミが垂れ流す“情報”(あて報道とは言いたくない)を鵜呑みにする人々にとっては、アノ社長室は「悪」となる。

もちろん、あの会社が引き起こした授業料返還問題や労働問題自体は「悪」だが、成功した社長が豪華社長室を作ることは、決して悪ではない。

社長室の賃料が高額だったとか、豪華だったというステレオタイプの批判は、破綻した会社だから叩かれるのであって、業績好調の会社の社長室なら、どんどん豪華にすればいいと思う。

しっかり会議スペースを使い、豪華応接セットも実際に商談に使い、得意先や社内の慰労のためにバーコーナーを使い、頻繁に深夜まで業務をするのなら、風呂やベットがあったって問題ない。

上記のような実態があれば、税務署だって、その社長室の存在を問題視しきれないはずだ。

会社の規模や、売上げ、経常利益、納税実績等々から考えて、社用としての機能を立証できるなら、大衆的視線で豪華・高額に見える家賃だって、税務上、会社の損金(必要経費)になるのは当然だろう。

経営者の公私混同批判も相変わらず減らないが、非上場会社の場合なら、ある意味当然の思考であり、その部分こそが、中小同族会社のパワーでもある。

「会社は誰のもの?」。この命題に対するストレートな答えは「株主のもの」である。上場会社の場合と違い、非上場会社であれば、経営者イコール株主というスタイルが一般的であり、こうなれば「会社は俺のもの」という考えは当たり前の正論となる。


だいたい法律自体が中小同族会社を、通常の会社と区別している。税務上の各種差別的制度がその象徴。留保金金課税しかり、役員報酬の一部損金算入制限などいろいろある。

中小同族のオーナー企業は、公私混同が行われることを前提に、こうした制限なり規制を受けているわけだ。裏返せば、これらの洗礼を受けたうえでの行為は、やましいことではないという理屈も成り立つ。

サラリーマン向けではなく、経営者向けのメディアが常に頭を痛める問題がある。それは製作している人間自身が経営者ではないということ。致命的な欠陥だろう。

オーナー経営者の視線とそうでない人の視線の違いは、巷にあふれる巨大メディアの情報からは決して浮かび上がってこない

会社経営に携わる人間は、アノ社長室ぐらい立派な居場所を作りたいと誰もが考えている。ケシカラン的思考はそこにはない。

ちなみに朝のワイドショーでNOVAの社長室問題を取り上げていた「みのもんた」の表情がおかしかった。彼自身、親が興した水道メーター会社の現役社長であることは有名な話。

年金問題では怒りまくっていた彼の顔は、例の社長室問題では、ニヤニヤしていた時間が長い。「何してたんでしょうねー」とつぶやく表情は、どことなく、オーナー経営者の顔。私には彼の表情が「結構いい部屋作ってたんだねー、なかなか面白そうじゃない」と感心していたように見えてしかたなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿