2008年5月13日火曜日

マイぐい呑み

日々の暮らしの中でチョットした喜び、チョットしたこだわりを大事にすることは大事だと思う。毎日そうそう刺激的なことが起きるわけないし、積極的に自分なりのプチ快感を作っていかないと干からびてしまう。

私のプチ快感のひとつが、ぐい呑みを持ち歩いて、気分に応じて使い分けること。ビジネスバッグには、たいてい2個は入れてある。基本的に唐津か備前だ。どちらかといえば唐津がお燗用、備前を冷酒用に使い分ける。

備前焼中興の祖・金重陶陽の作風の影響もあって備前のぐい呑みは大ぶりなモノが多い。今は亡き酒器の達人・中村六郎の作品など湯飲みを思わせるサイズのモノも珍しくない。

もっとも、熱狂的なファンの多い「六郎ぐい呑み」も六郎さんが晩年、断酒したあたりから幾分サイズが小さめになり、この時期の作品は私のような“小酒呑み”には使い勝手がいい。いくつも入手した。ただ、持ち歩いた先で誤って割ってしまうには惜しい値段で購入しているため、いまだ持ち歩き組には入れていない。我ながらセコイかも。

備前のぐい呑みを冷酒用に使うのにはサイズの他にも理由がある。ぐい呑みが汗をかくところがいい。冷えた酒が器に注がれることで器肌がしっとり濡れてくる。釉薬を使わずに土をそのまま焼成しただけの自然の産物だけに、備前焼の濡れた器肌は実に素朴で愛おしい。

私が持ち歩き組に選んでいる備前のぐい呑みはいくつもある。まず吉本正さんの端正な一品。先に述べた金重陶陽と並び称される備前焼の先人・藤原啓の直系である吉本さんの作風は、荒々しさより繊細な感じが強い。一度、工房に押しかけたことがあるが、アポ無し訪問の私を応接間に通してくださり、穏やかな様子で作陶の話を聞かせてもらった。人柄を思わせるきちんとした作風で少しキリッとした気分で酔っぱらうときにピッタリ。

次によく使うのが金重家の継承者である金重晃介さんのぐい呑み。やや小ぶりで口が底より狭めに造られていて、そのフォルムのせいか、アツアツのお燗酒を口をすぼめて呑んだりするときにもいい感じ。全体に重たい雰囲気の作品だが、器肌の変化が多彩で正統派備前という雰囲気が気に入っている。

唐津のぐい呑みもたくさん持っているが、以前より小ぶりな作品を好むようになってきた。ぐい呑みと呼ぶより、盃と表現したくなる感じの作品が好きだ。いろいろな焼き上がりのパターンがある唐津焼だが、なかでも斑唐津が好みだ。

白ベースの色合いに焼成変化で淡い青や黒がはぜたような小さな変化が器を彩っているため、実際に酒を注ぐと盃の底がゆらゆらきらめき、飛び込みたくなる。

作家モノを随分集めてきたが、よく外出時にお供してもらうのは、浜本洋好さんの小ぶりな作品や岡本作礼さんの作品。いずれも私が工房まで訪ねていった作家さんだ。野武士然とした表情を見せる唐津焼に優しい雰囲気がミックスされたような作風が印象的だ。

さてさて、“マイぐい呑み”を店に入ってからゴソゴソ取り出して呑む気分は格別だ。安酒だって極上の味わいになる。ひょんな効果もあって、カウンター越しに店主と話が弾むきっかけになったりする。内気な私?には便利な機能かも知れない。

酔うこと自体が異次元に旅するようなものだが、この先導役にお気に入りの酒器を使えば、一瞬のうちに自分だけの小宇宙に飛んでいける(ちょっと大げさか)。

マイぐい呑みを嬉しそうに使っていると、ついつい余計なことも頭をよぎる。「なぜこんな変な徳利を使わないと行けないのか」、「お気に入りの豆皿を持参して珍味を盛ってもらいたい」等々。結局、その店で使われている器類が気になり始める。

さすがに徳利や小皿まで持ち歩くような間抜けにはなれない。それなら家で呑めという結論に達してしまう。それもちょっと違う。考え出すときりがない。

でもそんなくだらないことで葛藤していることこそが、プチ快感なんだと思う。

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