早ければ今年中にも衆議院選挙が行われる。福田改造内閣も派閥の領袖クラスを揃え、選挙シフトの構えだ。
選挙対策という割には、いわゆる財政再建派重視の布陣で、国民ウケは麻生幹事長ぐらい。これから財政再建派の閣僚が持論を声高に主張し続ければ、まず選挙で勝利する可能性はないだろう。
選挙になると決まって登場するのが客寄せパンダ候補者。タレント、スポーツ選手などの有名人がゴロゴロ出てくる。全員が全員でないにしろ、資質というか、最低限の教養面で大丈夫かいという人物も出てくる。
試験でも論文でも何でもいいが、膨大な税金を使って国政を委嘱する以上、なんらかの立候補基準はあっていい。
もっとも、投票してしまう有権者自身が問題という側面も見逃せない。現在の選挙制度は成人なら分け隔て無く選挙権がある「普通選挙」と呼ばれる制度。
考えようによっては、ちっとも「普通」ではないように思う。
極悪犯罪人だろうが、誰もが尊敬する偉人だろうが、まったく差はない。同じ1票。いにしえの「制限選挙」の考え方がなんとなく理解できてしまう。
制限選挙といっても、女性選挙権を否定する意味ではない。昔の選挙権の大きな特徴は「納税額」にあった。この基準はひとつの正論といえよう。
明治政府が導入した一定納税額基準を満たした人物に選挙権を与えるスタイルは、2度の税額基準の引下げを経ながら40年近く続いた。
当初は選挙権を持つ人が全人口の1%にすぎず、その後の納税額基準引下げによっても全人口の5%程度しか選挙権がなかったので、到底、民主主義と呼べるシロモノではなかった。ただ、新国家建設に血眼になっていた時代だけに考え方としては理解できる。
国家への“会費”を多く納めている人こそがモノをいう権利を強く持てたのだろう。
現在、働かないで税金すら納めないプータローから選挙権を取り上げることはできないだろうが、だとしたら、高額納税者は浮かばれない。
誰しも最低1票は保証するが、納税額に応じて2票とか3票を持てるぐらいの格差があってもいいと思えてくる。
高額納税者を尊ぶような発想や制度がまるで無いことは異常だろう。お得意様に対して無視を決め込むような失礼な話だ。
国からの感謝状、表彰状ひとつ存在しない。その理由は「納税は国民の義務で、当たり前のことだから」という訳の分からない理屈でしかない。
当たり前だから表彰しないという理屈なら、無事故無違反のドライバーへの安全運転者表彰も必要ないし、長く勤めたらもらえる永年勤続表彰とかも意味がない。
極論すれば、人助けした人への表彰だって、人を助けることは当たり前だろうというイヤミで不毛な陰険な解釈につながってしまう。
税金関係の仕事をしていると、悪い奴らばかりではなく、立派な人が思った以上に多いことを見聞きする。税金を1円でも払いたくないと必死に工作している人がいる一方で、高額納税を名誉なことだと認識して、当たり前の節税すら見向きもせずに高い税額を喜んで払っている人が結構存在する。
国がこういう人々を讃えることを怠り続ければ、そういう種類の人々は絶滅することは間違いない。
相手に対して誠実かどうか。その結果、すたれてしまうかどうか。飲み屋なんかと同じ理屈で、結局単純な話なんだと思う。
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