寿司好きにとって、何はなくても欠かせないのが酢じめの魚だろう。私も子供の頃から酢じめの魚が好きで、バッテラの押し寿司を買ってもらうことを目的に母親の買い物に付き合ったことが何度もあった。
京都に行けば、鯖寿司が無性に食べたくなり、下鴨神社そばの「花折」という専門店に必ずと言っていいほど出かける。
東京のデパートなどで物産展があれば、鯖寿司はたいてい購入してしまう。
酢じめした魚といえば、鯖が代表選手のようだが、東京人にとっては、鯖よりもコハダをイメージしがちだ。コハダのない寿司は想像できない。
いまはコハダの赤ちゃんバージョンであるシンコがあちこちで食べられる嬉しい季節。
先日、銀座の「鮨・池澤」でコハダの話をあれこれ聞くことができた。その日、運良く店がすいていたこともあって、大将から雑学を仕入れることができた。
●その1―。シンコが出回っている季節のコハダを見逃すな!
カウンターでくつろぎながら、ガツンとした味わいの「種子島金兵衛むろか(無濾過)」という芋焼酎をぐびぐび呑んでいた私が、つまみに頼んだのが鯨ベーコン。コクのある芋焼酎には油っぽい肴でしょうとか騒ぎながら、いい調子で呑んでいた。
すると大将がつまみとして出してくれたのが、やたら大ぶりのコハダ。芋焼酎に合うからと言われて、素直に試してみた。
普通にイメージするコハダのさっぱり感とは一線を画すほどの脂ののりにちょっと驚く。身が大きい分、かなりしっかりとした味わい。確かに芋焼酎と妙にフィットする。
大将によると、シンコの握りが、いわゆる2枚づけになる季節になるとシンコに見向きもしないで、大きくなったコハダをこぞって食べる寿司好きの人が結構いるそうだ。
ついついシンコばかり有難がってしまう私も普通と違う大ぶりコハダのごっつい味わいに魅せられた。握りで食べるなら、最後にサッパリと、というより空腹状態の時に、シャリを大きめにして握ってもらったら口の中が“寿司寿司バンザイ”ってかんじで良さそうだ。
●その2―。コノシロとは子の代わりなり!
シンコやコハダは大きくなったらコノシロという名前で呼ばれる。寿司ネタというより魚の名前としてはコノシロが一般的だ。
この魚、煮ても焼いても食えないという話はよく聞く。酢じめして寿司ネタとして使う以外はまるで使いようがない魚らしい。
焼いて食べようものなら、死体のような臭いがするという話も聞いたことがあった。まあ、そのぐらいマズいという意味の誇張表現だと思っていたのだが、この死体にまつわる話も聞くことができた。
映画やドラマで見るように昔の戦場では、ハイライトとして城や陣地に火が放たれる。そして焼けこげた遺体のあるなしが大事な要素になった。すなわち遺体がなければ追っ手が探し続けることになる。
一説によると、幼い若殿だけは逃がそうとと自陣に火をつけた劣勢側が、コノシロを大量に用意したという。理由は、コノシロの焼けた臭いが死体を焼く臭いとそっくりだったため。
攻め手は、焼け落ちた陣地に漂う死臭のせいで若殿も焼け死んだと思いこむという寸法だ。
諸説あるようだが、この手の言い伝えがあるせいで、コノシロを漢字で書くと「子の代」、すなわち子の代わりなんだそうだ。
つくづく日本語のおもしろさ、魚食文化の奥深さを感じる。こんな雑学が仕入れられるからお寿司屋さんのカウンターは楽しい世界だ。
この日、「鮨池澤」では、当然ながらシンコ、コハダ以外にもアレコレ食べた。特筆すべきはマコガレイのキモ巻き。エロティックなキモを淡泊な刺身でたっぷりと巻いてポン酢で食べる。キモ好きには堪らない。そりゃあ旨いです。
塩水ウニも酒肴に最高だったし、握りで食べたボタン海老、車海老、鯵なんかもバッチグーだった。このお店、赤酢のせいでほんのり色づいたシャリが特徴的。米の質感、握り加減が上等なバランス。どんぶりにシャリだけ盛って醤油たらして食べても充分満足できそうだ。
握りに塗られる煮きりも味が強すぎずいい塩梅。素直にいいお寿司屋さんだと思う。
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