2008年11月25日火曜日

赤穂事件

12月が近づくと、毎年なんだかんだと「忠臣蔵」の話題が聞かれるようになる。実は私、子どもの頃からの忠臣蔵ファン。

時代劇、歴史小説とかが好きなわけでもないのに、あの話ばかりは熱くなる。

お涙頂戴の仇討ちストーリーだが、映画やドラマでおなじみのエピソードの多くが後世の作り話であることなど百も承知のうえで、いつも感動する。

きっかけは昭和50年のNHK大河ドラマ「元禄太平記」。まだ小学生だった私が、妙にハマって真剣に見ていた番組だ。

主役は石坂浩二。主役なのに大石内蔵助役ではなく、将軍綱吉の側用人・柳沢吉保役を演じていた。

石坂浩二はその後、平成11年の大河「元禄繚乱」で吉良上野介を演じたが、私の中では、昭和50年モノの石坂浩二の印象が強かったので吉良役には違和感があった。それほどまでに「元禄太平記」の忠臣蔵が個人的なベースになってしまっている。

当時の大石内蔵助役は江守徹。いまではイロモノ的にテレビに出ているが、私の中の大石像は、なぜかいまでも江守徹。

片岡千恵蔵や長谷川一夫あたりの昭和の名優が演じた大石も見た。でも、なぜか私には江守徹がつきまとう。おかげで彼がバラエティー番組に出てくるたびに悲しくなる。

忠臣蔵自体は、江戸で起きた事件なので、赤穂事件にまつわる名所は東京が中心。それでも私は、義士達が生まれ育った赤穂に行きたくて何度も訪ねている。

兵庫と岡山の県境にある赤穂に初めて出かけたのは、小学校の頃。例の大河ドラマが終わったあと、興奮冷めやらない私は、親にせがんで赤穂旅行に連れて行ってもらった。

大石の屋敷跡を見たり赤穂城を見たり、結構興奮した。とくに印象的だったのが「大石・別れの松」。ウソかホントか知らないが(多分ウソだろう)、江戸に出発する大石内蔵助と長男・主税が、家族と別れを惜しんだ場所と伝えられる場所だ。

名前の通りそれっぽい松が植わっていて、海が望める「いかにも」な場所だ。観光地特有の記念写真用のハリボテが置かれているのがなんともシュール。

ベニヤ板につたない絵で等身大に描かれた大石内蔵助と主税。顔の部分がくりぬかれている。観光客がくりぬかれた穴から顔だけ出して記念写真に収まるアレだ。

カメラを構える私の母親は、当然のように私の兄を内蔵助の位置に立たせ、私は長男・主税の部分が立ち位置にされた。

「元禄太平記」にはまって、旅を申入れたのは私である。兄はあのドラマをさほど熱心に見ていたわけではない。なぜ、私が内蔵助役にならないのだ!幼な心に憤懣やるかたない気分でその場所を離れた。

観光バスに戻っても腑に落ちない私は、四十七人の義士を思って、決起することにした。

母親に強硬にせがんで、大勢の客が待つバスを待たせ、小走りにハリボテに戻った。大石内蔵助のハリボテに顔を入れることができた瞬間、義士達が討ち入りに成功したような爽快な達成感を味わった。

大人になってからも赤穂には何度か行った。備前焼集めが趣味になり、窯元が集まる備前市の伊部エリアが赤穂から遠くないことから、備前焼収集の旅の前後に赤穂に宿を取ることが何度かあった。

赤穂と伊部をレンタカーで移動する際、途中には焼アナゴや白身魚が滅法うまい日生漁港なんかもあって、観光コースとしても結構オススメのコースだ。

赤穂の周辺は風光明媚で、魚はやたらと旨く、上質の塩の生産地ならではの塩竃料理とかを堪能しながら、海を眺める温泉宿でまったりできる。

いつも「大石・別れの松」にも立ち寄る。あの頃のハリボテはもう無い。でも、いまでも私にとっての“赤穂事件”はあのハリボテだ。

また行きたくなってきた。

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