2008年1月31日木曜日

トレーダーヴィックスの魔力


ホテルニューオータニの「トレーダーヴィックス」。もう30年以上前から存在し続けるレストランだ。かみ砕いて表現すればトロピカルレストランの元祖であり、今風に言えばインターナショナルフュージョンキュイジーヌ(なんだそりゃ?)の先駆者とでも言おうか。

インテリアはポリネシア方面を意識した南国調。かといって歴史がもたらす重厚感もあり、どこにも似ていないという良さがある。アチコチにトーテムポールのような飾りがあって、屋根材なんかも椰子のテントみたいで楽しい。最先端の格好いいレストランとはまるで違うけどそうしたレストランが醸し出せない独特な雰囲気を持つ。

ウェイターさんをはじめとするスタッフも最先端レストランの勘違いお兄さんみたいに頑張りすぎちゃってそっくり返りそうな人は皆無。全体に穏やかな空気。

メニューも分かりやすいものばかり。でもホテルレストランだけあって、牛肉も鴨肉も羊肉も海老も魚も実にちゃんとした素材で丁寧に料理される。おじいさんやおばあさんでも単純明快に美味しいと思える味付け。

前菜というかツマミ類も充実。料理が載っている皿の下に加熱用の火がともされてあり、小さいバーベキュー串焼なんかも、炙るための炎が卓上で燃え続ける。なんか楽しい。

その昔、まだ大学生の頃、ニューヨークに旅行をした際に分不相応にかのプラザホテルに泊まったことがある。夜、出歩く気が起きなかったある晩、ホテルの中にトレーダーヴィックスがあることを知って訪れた。日本と同じ雰囲気で、有名なカクテルメニューも日本と同じだったので妙に興奮した記憶がある。そりゃそっちが本場なのだから当たり前だが・・・。

大学生時代からトレーダーヴィックスファンだった理由は中学生時代にさかのぼる。私は悪友グループの中でも、割と外ヅラがよかったせいか、ある友人の父親に気に入ってもらって二人きりで出かけた。

友人の父親と二人で食事というシチュエーションにちょっと困ったが、その父親氏、自分の息子に関する相談事で悪友である私を呼びだした。いま思えば、グレていく息子を思って、悪友を呼び出してやんわりといさめることが目的だったのかも知れない。

その時、連れて行ってもらったのがトレーダーヴィックスだった。中学生にとってはとても大人な空間。自分の親に連れて行かれるレストランとは雰囲気が違うし、なんとも格好いい世界に見えて、その友人の父親をそれだけで尊敬してしまった。

その後どんな話をしたのか覚えていないが、お説教にもきっと素直にうなずいて、完璧にその父親の軍門に下っていたことは間違いない。

さて、トレーダーヴィックスの料理のなかでも楽しいのが「皇帝焼きそば」。基本的に普通の焼きそばです。本格中華のそれよりも、日本の焼きそばに近い感じ。でも「皇帝」なので具材がすごい。ほとんどステーキのような美味しい肉やプリプリの海老、極上の豚ロースに蟹や帆立がゴッソリ入っている。

お値段も皇帝ゆえに5千円ぐらいする。こんな値段の焼きそばにはなかなか出会わないが、なかなか味わえない焼きそばであるのも確か。面白みのない肉料理に5千円払うのならこっちの方がいい。

最近では、極上素材で作った3千円のハンバーガーが人気メニューになっているとか。こちらはレストランに隣接するバーの専用メニューなので、いまだ食べられずにいる。

まあ極端なグルメブームややたらとスノビッッシュな店ばかりもてはやされる風潮に違和感を覚える人には、まさに憩いの空間だと思う。近いうちにまた行きたい。

2008年1月30日水曜日

半水面写真とSMの女王

旅の目的は水中撮影だなどというと、結構聞こえがいいが、水中にいられる時間はせいぜい1日に3~4時間。その他の時間の方が遙かに長い。珍しい魚や水中風景を狙うと、行き先は僻地になることが多い。結構退屈だ。休暇で南国といえば昼間酒がつきものだが、潜水前に呑むことは、潜水常識では御法度。若い頃、ビールぐらい平気さろうとタカをくくって呑んでから潜ったら結構恐い思いをした。それ以来、ルール厳守。だから退屈する。

僻地のリゾートにつきものなのが、欧州から来る旅行者のトップレス姿。不思議なもので、燦々と照りつける南国の日差しの下、真っ昼間から真っ裸を見ても、いわゆるスケベ的興奮を感じない。ウソではない。なんか自然すぎてエロティックな要素は感じない。でも見てしまう。どうしても目は行ってしまう。下手をすると、視線に気付いたトップレス様から「ハーイ」とか愛想良く挨拶されたりして困惑する。

普段持ち歩かないマトモなカメラを水中用に持参しているため、つい景色を撮るふりをしながらトップレス様たちを撮ったりしてしまう。

昨日このブログでフィッシュアイレンズの効用を真面目に書いてみたが、今日はちょっと脱線。花が写っている写真は、プールにハイビスカスを逆さまに浮かべて撮影したもの。このレンズを使うときは、水中ハウジングにレンズ面にはドームポートという半球型の透明ガラスをセットする。そのため、ドームポート部分を水面より上に出せば、陸の部分も写し込める。

プールでこんな写真を撮るのは、海で使ったあとの、いわゆる塩抜き目的。真水で洗うにも割と手間がかかるカメラセット一式はプールで遊んでいるふりをしながら洗っちゃうのが簡単でいい。

半分陸上、半分水中という特殊な構図が撮影できるため、モルディブあたりの旅行パンフレットには、いわゆる半水面写真がよく使われる。タテヨコ2点の写真も以前訪れたモルディブ・ビアドゥ島で撮影したもの。画面上側には白砂と緑、下側には浅瀬に息づく珊瑚の写真だ。

こうした半水面写真に適した海にいると泳いでいる人をモデルに入れたくなる。人間の身体、とくに女性は、水中だと浮力の関係で「垂れる」ことがない。陸だと重力と年齢の関係でいろんなところが垂れるが、水中だとたいていの人がナイスバディになる。いつか水中ヌード撮影にトライしたいと真剣に考えている。あくまで美術的欲求かつ芸術的目的だ!

次の写真も旅の途中で撮った写真。
マレーシアの西側、とある孤島のリゾートに出向いた。歩いて小1時間くらいで一周できる島にリゾートホテルが一軒。キャパは確か30室ぐらいで小規模ながら小綺麗な居心地の良いリゾートだった。

規模が規模だけに食事は決まった時間に宿泊客が一カ所に集まって食べる。2~3日もすればゲスト同士みんな顔なじみ。僻地潜水旅行に付き合ってくれる人もなく、物好きな私はこの時もひとり旅。

ヨーロッパからの旅行客が多かったため、コミュニケーションに困っていたが、偶然にもひとり旅の日本人女性が登場。最初は東南アジア系の異国の人かと思っていたら、純粋に日本人。同郷のよしみで食事時に同席するなどして何日か過ごした。その女性、さすがに僻地に一人でやってくるだけに個性的な雰囲気。いまなら、レゲエダンスを踊っていそうな人といえば分かりやすいだろうか。ちょっとヤンキー系。なんといっても水着がすべてTバック。確実に僻地の島には不釣り合いな感じだった。

ある時、ダイビングの合間の時間に、ビーチエリアで半水面写真を撮っていた。近くで泳いでいたTバック嬢に半水面写真のモデルになるようにお願いしてみた。その日も何を目指しているのか彼女はTバック。まあこんな水着の女性をモデルにできる機会はめったにないと思って結構な数の写真を撮った。きわどい写真はこのブログの「品格」のために封印。

その後、夕飯時に、この女性の仕事を尋ねた。聞いてびっくり。本職の、いわゆる女王様だとのこと。そちらの業界にうとい私としては、結構アタフタ。雰囲気や水着から考えて特殊な職業かと思っていたが、ちょっと想定外。その後は、お仕置きされないよう気をつけて話をするようになった自分がせつない。

でも最初から職業を聞いていたらモデルのお願いはしなかっただろうから、貴重な一枚といえるかもしれない。

2008年1月29日火曜日

水中写真

水中写真の楽しみのひとつが「極端な写真」を撮ること。ここで活躍するのが超ワイド画角のフィッシュアイレンズと接写用のマクロレンズ。両方とも陸上で普通の写真を撮るのはなかなか厄介なほど極端な性質を持つ。

最初の写真は、エジプト・紅海で断崖下に広がる美しい入江の表情。地球は丸いっていう感じだ。水中作品ではないが、陸で使うとこんな感じで遊べる。

これを専用ハウジングと呼ばれるケースに入れて、水中専用ストロボを使って撮ったのが2番目の写真。カリブ海の南米にほど近いボネールという島で撮影した。カメラからピンク色のカイメンまでの距離はわずか30センチ程度。魚眼効果を発揮して周辺も幅広く写り込む。左上に移っているダイバーはすごく遠くに感じるが、せいぜい2~3メートルしか離れていない。大げさに海の広がりを写せるが、気をつけないと自分の足が写り込んでしまう。

3番目の写真も魚眼の効果で、被写体を普通に真横から撮っても真上に位置する水面に映る太陽の光も一緒に写せる。結構大げさな作品が撮れるわけだ。写真の腕というよりレンズのおかげだ。

ダイビングを始めた頃、ダイビング専門誌に掲載されている素晴らしい水中風景に魅了されて、いつかはそうした綺麗なところで潜りたいと願っていた。でもいくら潜っても雑誌で見る世界にはなかなか出会えず、いつしか、雑誌の写真は、デフォルメ効果を発揮する特殊系レンズで撮影されていたことに気がついた。

さて次の写真、接写レンズを使ったものだ。ギンガハゼという黄色い小魚。全長は10センチ程度。割と近寄れる個体だっったので、顔のヨコ15センチぐらいまで時間をかけてにじり寄ってみた。

口の周りに砂がついていたり、頬周辺の微妙なグラデーションや目の色などは、肉眼で見ていてもなかなか気付かない。カメラのファインダー越しに見ると望遠効果で、肉眼で見るよりくっきり見えるが、作品になってからじっくり大延ばししてみると、魚の本来の美しさが切り取れて嬉しい。

次のエビもせいぜい5センチぐらいの生き物。砂地と保護色みたいでなかなか探すのが厄介だが、近づいて撮影してみたら、お腹に大量のタマゴを抱えていた。魚卵系好きの私としては、塩漬けにして食べてみたい衝動にかられたが、接写レンズならでははっきり映し出された生命の神秘にちょっと感動。

ピンクと紫が混ざった生き物はミノウミウシ。6~7センチぐらいの大きさ。肉眼でも綺麗に見えたが、接写してみると色のトーンが実に素晴らしく結構びっくり。

超ワイド、超接写それぞれ、自分で見る世界とはちょっと変わった表情を切り取ることが出来るので、ついついそれぞれのレンズを付けたカメラハウジングを2台は海に持ち込むことになる。普通の大きさの普通の魚を撮るには、こうしたレンズは不向きなのが困りものだが、図鑑みたいな写真よりちょっと変な写真が撮りたい私としては、潜水旅行の大事なお供だ。

今日はまじめに水中写真の世界を紹介したが、明日は水中写真に絡んだ“事件”を書いてみたい。

2008年1月28日月曜日

水中写真の楽しみ


最近ご無沙汰しているため水中を覗きたい衝動にやたらと駆られる。二十歳の頃に始めたダイビングが、あまり面白いと感じなかったせいで始めたのが水中写真撮影。ダイビング中の暇つぶしくらいのノリで始めた。

陸では写真撮影にさほど興味がなかったせいで、写真の初歩的な知識は魚を撮るために覚えた。露出とか絞りとかフルオートカメラ全盛時代に、あれこれ覚えるのはおっくうだったが、水中という特殊環境はさすがにフルオートで撮るには限界があり、ちょっと勉強した。

簡易水中カメラから始まり、いろいろ試した。ニコンのF4を水中専用ケース(ハウジングといいます)に入れて得意になっていたこともあったが、総重量が重すぎで、ましてや私のレベルでは機能も使いこなせず、いまは、少し小型のF90という機種を2台同時に持って潜るスタイルだ。

デジカメ全盛時代という現状が何より辛い。F90程度の大きさの一眼レフも、気づけばデジタルカメラが主流になってきた。正直欲しい。でも簡単に変えられない。水中に持っていくためのハウジングは、カメラの機種ごとに作られているのが基本で、カメラ以上に高い。2台まとめて付属の細かい機器まで買い直す気になれない。

あいも変わらず、フィルム版の一眼レフで水中撮影する言い訳は、「現像するまでどんな出来だか分からない方がドキドキだ」という屁理屈しかない。10~20回シャッター押して1枚でもお気に入りがあれば良しというムダ撃ちが当然の水中写真の世界。そう考えると本当は絶対にデジタル機を使うべきだが、いつまでも旧式にこだわってしまう。

だいたい、水中撮影ではフィルムチェンジが出来ないわけだから、デジタルカメラでのんびり撮影しているダイバーを見るとうらやましい。にもかかわらず「限られたフィルムしかないから燃える」などと強がってしまう自分が悲しい。

でも不思議なもので、強がりばかりではなく、限られたフィルムしかないと思うからこそ集中力が増すのも事実だ。いつも同時に2台以上水中に持ち込んで撮影しているが、たまに装着するレンズの都合などで1台しか持たずに潜ることがある。結構そういうときに会心の一枚をものにすることがある。

複数台のカメラセットを用意する理由は、レンズの問題。フィルムと同様、カメラ自体を専用ハウジングに入れて潜るわけだから、水中でレンズ交換はできない。そのため、広角レンズと接写専用レンズをそれぞれつけたカメラを同時に持っていくことになる。

極上の海を持つフィリピンの離島あたりで、撮影対象が多ければ、レンズを超広角(16ミリフィッシュアイ)、広角系ズーム(24~50ミリ程度)、接写(60ミリもしくは105ミリマクロ)というように3台同時に水中に持っていく。もちろん、ひとりで3台も持っていったら死んじゃうので、ガイドさんをチャーターして持ってもらう。水中撮影には割と大型の水中用ストロボが必需品で、1台につき2灯ストロボをセットすることも多い。水中では重力の関係で小指で持ち上げられる重さだが、陸上では1セットあたり5キロ以上になるため、ガイドさんのヘルプは不可欠だ。

たまに困るのがカメラを持たせているガイドさんが退屈しのぎにシャッターを押すこと。広角レンズや接写レンズだとファインダーから見える世界が独特なため、ガイドさんはたいてい暇つぶしにファインダーを覗いている。わざとなのか、間違えて押すのかよく分からないが数枚撮影されちゃっていることがある。たぶんわざとだろう。一応魚が映ってたりして、帰国して現像したあとにビックリする。

水中撮影の話は、珍談奇談がいろいろあるので、あらためて書いてみたい。

2008年1月25日金曜日

事業承継はメンタル面から

世のオーナー経営者にとって大きな課題が事業承継だ。「社長の最大の仕事は次の社長を決めること」という言葉もあながち大げさではない。

日本企業の大多数を占める同族会社。子供が事業を継ぎたがらない傾向が強まり、中小企業でもM&Aを選択するケースが増えている。廃業を選ぶことは経済的な負担はかえって大きくなることが珍しくないため、M&A資金でハッピーリタイアを考えるのは至極真っ当なことになってきた。

ところで親子間で事業承継が可能な場合、やはり相続問題は難しい課題。相続対策の重要性は認識していても、やはり「Xデー」は「親の死」というデリケートなテーマ。親子があっけらかんと語り合うことは難しい。まじめに議論したくても「そんなにオレに早く死んで欲しいのか」という渇が飛んでくる。かといって、相続対策というシロモノは、事業を受け継ぐ側だけでは何ら対策を打てないもの。あくまで事業を譲り渡す側が自らの意思で資産の配分などを決断しなければ何も始まらない。

巷には民法や税法などの特性や対策立案を解説した指南書が無数に存在する。様々な手法が紹介されているが、実際の現場で重要なのは法律的なテクニカルな話より結局はメンタルな話だったりする。

やはり「ロマン」なき議論はギスギスしたものになりやすい。「オヤジが死んだらさあ」なんて切り出すデリカシーの無さでは建設的な話はのぞむべくもない。

それこそオーナー社長の死後すぐの経営体制や資産処分、税金納付方法の話ではなく、20年、30年後の事業ビジョン実現のための下地作りを親子で設計するぐらいの意識が大事になる。親子双方が夢と本音を織り交ぜながら未来計画を描くようでなければ話は進展しない。

”百年の計”ぐらいの議論を持ちかけるようでなければ話が進まない。だいたい個性豊かなオーナー社長ともなると「オレはまだまだ死なない」と本気で思っているので、あまりリアルな話は禁物というわけ。

事業承継体験者が共通して感じるのは、効果的な対策は分かっているのだが、話が切り出しにくいという点。税法や民法の解説指南書なんかより「親父をそのきにさせる口説き方」を相続対策本として売り出した方が売れるのかも知れない。

2008年1月24日木曜日

税金シーズン


もうすぐ確定申告の季節。税金シーズンと言っても、ホワイトカラーの多くはその実感はない。多くのビジネスマンは年末調整で税務処理が完結している。

わが国の税制で特徴的な存在なのが年末調整。月々の源泉徴収と年末調整によって、多くの給与所得者が自分で税額を計算する必要がない。ホワイトカラーで確定申告が必要なのは一定金額以上の収入がある人や2カ所以上から給与を得ている人、特定の還付請求がある人などに限られる。

日本人のタックスペイヤー意識が低いといわれる原因が一連の確定申告不要制度にあるという指摘もある。

税に関係する世界では、これまでも幾度となく年末調整廃止論が浮上したが、実現にはいたっていない。ところが、電子申告の普及をきっかけに年末調整廃止論が改めて現実味を帯びてきそうな雲行きだ。パソコン、インターネットの急速な普及によって年末調整廃止のためのインフラ整備が整ったともいえるわけだ。

ところで、廃止に向けて、カギとなるのが消費税。政治の世界では四の五の言っているが近い将来の税率引き上げは既定路線。過去の例でもそうだったように、ムチである税率引き上げ、すなわち増税が行われる場合、見合いとして、アメである所得税減税が実施される公算が強い。

ただ、「年末調整で完結」という現状のスタイルでは、減税部分を多くの納税者が実感しにくく、政府サイドにとっては、減税PR問題は頭の痛い問題。

そこで年末調整の廃止案が浮上するわけだ。多くのサラリーマンが年末調整が行われる12月の給与は税金の戻りによって手取りが増加することはご存じの通り。とはいえ、会社が自動的に処理してくれるため、自ら計算・申告して還付額が直接取り戻せる方法に比べれば、「お金が戻ってきたぜ」という実感は薄い。

こうしたことを考慮し、多くの納税者に確定申告(還付申告)させることで、減税メリットをここぞとばかり強調、トクしたイメージを高めることで、ムチである消費税アップへのアレルギーを薄めようという思惑だ。

まあ本来、日本の税制は「申告納税制度」という建前があるにもかかわらず、千万単位の人が自主申告しないことのほうが不自然といえる。思惑はともかく、国民総申告時代が来る日は意外に遠くないような気がする。

2008年1月23日水曜日

無知との遭遇

「ホワイトカラーよりブルーカラーの方が手ごわい」。ある弁護士から聞いた言葉だ。殴り合いのケンカの話ではない。交渉事の対応ぶりについてだ。

法律絡みの紛争時、交渉当事者がインテリであればあるほど、話を進めやすいというのが、その弁護士の持論。難解な用語ひとつとっても理解が早いし、なによりも諸制度の立法趣旨などを感覚的に知っているため、交渉や紛争解決の要点を絞り込むのが比較的簡単だという。

かといって、言いくるめることがたやすいという意味とはニュアンスが違う。あくまで同じ土俵で議論ができる安心感といったところだ。すなわち、「理屈対理屈」という構図にしやすい点で間違いなく交渉がしやすいという感じだろう。

裏返せば、ブルーカラー相手では理屈が通じないということになる。ずいぶん失礼な決めつけだが、誤解のないように説明すると、ここでいうブルーカラーとは、職業の種類などの線引きではなく、「普段、法律解釈などに縁がない人」の総称と捉えていただきたい。

専業主婦をはじめ、日常生活のなかで、“法律的なこと”にまるでタッチしない人々は多い。そうした相手と交渉する際には、「理屈より感情がすべて」なのが現実。

相続という局面を例にとると、遺言が公正証書だろうがお構いなし。「なんでアイツの方が多い」、「オレは認めない」、はたまた「こんな遺言でっち上げだ」ときりがない。それがまた本音も本音、心底そう思っているから大変。公正証書の意味や法的位置付けを理解している人であれば、たとえ納得できなくても「公正証書まで用意されたら仕方ない」という意識が心の奥底に芽生えがち。

直情型の人の場合、公証人だろうが弁護士だろうが民法だろうが、雨が降ろうがヤリが降ろうが関係なし。「絶対ダメ」の一点張り。交渉は進まず、法律的には正当な立場であるはずの相手方が疲労困ぱいして白旗をあげてしまう。まさに摩訶不思議な結末。法律も太刀打ちできないアンタッチャブルな領域が簡単に生まれるわけだ。

理論武装という言葉があるように「知」の力は交渉事では大切。ただし、結果的に「無知」の力が最強になりかねないのだから、世の中は恐ろしい。

2008年1月22日火曜日

葉巻


葉巻を楽しめるバーがひと頃より増えてきたような気がする。外資系高級ホテルの増加が拍車をかけたようだ。アメリカでも、ヒステリックな禁煙運動の反動で、シガーブームが到来したそうだから、日本でも嫌煙熱が高まり続ければ葉巻文化がグッと身近になるかも知れない。

個人的には、葉巻を嗜めることを売りにしているバーは少し苦手だ。なんか格好良すぎて居心地が悪い。「特別な感じ」がことさら強調されている感じがして、こそばゆい。

客層のせいもあるかも知れない。必要以上にスノビッシュな顔をしている人が多い。なんかさりげなくない。まあ現実問題、葉巻の世界にはファッション的な要素が多分にあるため、どうもお気軽感とは遠い空気が漂う。

アマノジャクの私としては、グッズひとつとっても見栄の張り合いのような葉巻の楽しみ方が気に入らない。シガーケースやカッターやライターに至るまで安くてどんくさいモノを選びたくなる。

ティファニーの銀製シガー入れや欧州ブランド製グッズも一応持っているが、頂き物なので大事にしまってあるだけ。普段持ち歩くのは、パンチカッターがあらかじめ付いた安いターボライター。4本入りの合皮のシガーケースにライターを突っ込み、残ったスペースにロブストサイズの葉巻を2本入れておしまい。

アマノジャクというよりものぐさと言った方が的確なのだが、普段小銭入れも持たない私としては、葉巻のために、ごてごてと大きめのカッターやライターを持ち歩くことが出来ないので、安直に「オールインワン」を実践している。

長期の旅行に葉巻をまとめて持参する場合には、ジプロックに保湿剤と葉巻を入れて持ち運ぶ。まったく問題なし。

もちろん、男の趣味はグッズへのこだわりという側面があるため、シガーグッズを愛好する人の気持ちも分からなくはない。要は自分が洒落モノ、伊達男ではないだけだろう。

葉巻を好きになったきっかけは、20代の頃にカリブ海にはまったこと。水中撮影目的で大西洋固有の魚を追っかけ回しにあちらこちらと旅したが、カリブ地域と言えば葉巻がポピュラーなエリア。街中で気軽な専門店を目にすることも多く、根っからのタバコ好きだったこともあり、だんだんと身近になっていった。

はじめの頃は、それこそ肺に吸い込まないという基本中の基本も知らずに、「こんなキツイ煙を良く吸えるな」と現地人に畏敬の念を感じたレベルだった。

シガーカッターもショップがおまけでくれるペラペラの安物を愛用。葉巻自体も無名ブランドばかり。それでも、ダイビングを終えた夕暮れにラムベースカクテル片手にビーチでふかす葉巻は最高の味わいだった。

そのうち、日本でのキューバ産葉巻の正規販売価格を知るにつれ、海外免税店などのバカ安価格を魅力に感じ、こだわりもなくキューバ産葉巻をまとめ買いした。なかには管理状態の悪かったものもあり、それに加えて自宅での管理もずさんだったため、今覚えば随分ともったいないこともしてしまった。

主にダイビング旅行の際に、旅先で楽しむことが私の葉巻スタイルになっていたが、以前、一念発起してタバコをやめてから事情が一変。なんとか禁煙に成功して平和に暮らしていた頃、「吸い込まない」という一点だけで、葉巻への執着が盛り上がり、ヘビーユーザーになってしまった。

現時は、海外の葉巻格安販売サイトをいくつも体験してみて信頼できる所からまとめて購入するようになった。富豪記者を名乗るなら、管理状態の良さで世界的に評判の良い日本の専門店でまとめ買いすれば良さそうなものだが、やっぱり安いものではないため、サイトでキャンペーン商品を見つけてイソイソ買っている。ちょっと貧乏っぽい。

お気に入りは、ファンロペスのセレクションナンバー2。重すぎず、かといって芳醇で深みのある甘さがあって大好き。そのほか、サンクリストバルの各ラインナップも似たような路線で好きだ。一番人気のコイーバは、ロブスト以外はあまり相性が良くない。コイーバロブストは最高傑作といえるが、値段のせいだけでなく、アマノジャク精神からか、あの有名なラベルを手に持つことをついつい敬遠してしまう。なんかアレをうまそうにふかしていると“メルセデスのSクラス的まちがいなさ”って感じがして面白くない。アマノジャクというか自意識過剰か。

煙の話はキリがないので、今日はこの辺で終わり。

2008年1月21日月曜日

鮨源

帝国ホテルや新宿のタイムズスクエアなどに入っているお寿司屋さんの「鮨源」。10年ほど前から私がお邪魔しているのが高田馬場にある本店。帝国ホテルにまで進出しているチェーン店の本店が高田馬場にひっそりあるというのがアマノジャクの私にとっては嬉しい。

高田馬場といえば学生街のイメージ。安い定食屋さんや居酒屋がゴマンとあるなか、鮨源は異質かも知れない。客層は大人(オヤジ)ばかり。かなりの高級路線だが、場所柄、いわゆる同伴客はおらず、男性占有率が高いのが特徴かも知れない。

支店がアチコチある店だと、職人さんの移動が多いのが普通だが、この店の職人さんはズーっと同じ顔ぶれ。長く通っているとこんな点も高ポイントになる。

食材は一級品揃い。おそらく周辺5キロ圏内ではピカイチだろう。季節ごとの旬のものがいつでも楽しめる。たとえば旬の時期のイクラなら、塩にも醤油にもつけ込んでいないまっさらな生イクラまで用意してある。少し醤油をたらして口に運べな、フレッシュな生卵に似たエロティックな味がする。

ウニも場合によっては、ミョウバンをつかっていない混じりっけなしの生ウニが置いてあり、貝類も常にイキがよい。生モノ以外にも締めた魚の加減もちょうど良く、煮蛤のような仕事系の食材も常備。一級品の本マグロも当然の顔してレギュラーで、赤身がとくに私のお気に入りだ。

酒肴の中で、面白いのが「ウニイカあえ」。細切りにしたイカの刺身をウニと一緒にあえるのは家庭でも出来るが、このお店では、鶏卵の黄身も一緒にあえる。それぞれの素材がただモノではないだけに、その濃厚さはくせになる。健康には物凄く悪いだろうが、物凄くうまい。唸る。

個人経営の高級店と違い、カリスマ的存在の親方がいるわけではないため、「板前さん達の平準化」もここでは良い循環になっている。3人から4人が付け場で働いているが、皆さん技量はしっかり、あたりもソフト。クセモノ職人的押しつけがましさはまったくなく、変な注文にも快く応じてくれる。やはり中年以上の大人ばかりが来る場所だけに、それに応じた対応がきちんと徹底されている。

ちなみに、不定期で出てくる突き出しのツナが私の大好物。素材は極上本マグロ。端っこだとか捨てる部分が貯まったら作っているのだと思うが、これにあたると、つい「軍艦巻きツナたっぷり」という真っ当な寿司屋では邪道な注文を繰り返してしまう。
以前、このツナがこの店で一番美味しいと言ったらさすがに怒られた。

いまは駅前の雑居ビルに仮住まい中の鮨源本店。少し離れた場所にもともと店があったが、現在新しいビルに建て替え中。秋ごろには新装オープンだとか。

「高田馬場で一番高い店」と表現されているが、内容から見れば当然かも。高くてもうまいものを食べたい。でも銀座や六本木まで行くのは面倒だという時、このお店の存在は実に有り難い。きっと通っているお客さんの心理も同じだろう。

2008年1月18日金曜日

オーストラリア人、鯨食い

日本の調査捕鯨船にいやがらせをしたあげく、勝手に乗り込んだオーストラリア人の問題が騒々しい。過激な環境保護団体メンバーが騒動の主役だが、あちらの国のニュースでは、「日本の捕鯨船に意に反して拘束されている」というニュアンスだとか。

捕鯨問題となると見さかい無く日本人を叩くオーストラリア人。あちらのテレビでは、寿司屋で食事中の日本人が突然モリを打ち込まれて血を流し、鯨を殺す連中を止めようという趣旨のナレーションが流れるトンデモないCMが流れていると聞いたことがある。この目で見たわけではないから大きなことはいえないが、本当なら異常な感覚だろう。

ほんの一握りの人と会った印象で、一国の国民性を云々することはフェアではない。そんなことは百も承知だが、その一方で、人間の感情がその程度で左右されることも事実だろう。そういう意味で、私の印象はオーストラリア人に対してちょっとネガティブだ。

旅先での接点中心だが、これまでアチコチでオーストラリア人と相性が合わなかったことを思い出す。そんなわずかな経験で物事を判断しちゃいけないが、冒頭で書いたようなニュースを見ると「やっぱり」的感情が頭をもたげてしまう。

潜水目的で世界中を旅した。アジアはもとよりミクロネシア、インド洋、カリブ海、エジプトまで行ったのに、ダイバー天国のオーストラリアはなんとなく気が進まず行ったことがない。イメージの偏りを避けるために今度こそグレートバリアリーフにでも行ってみようと思う。

なんだかんだ言って自分の遊びしか考えていない結論づけ方に我ながら呆れる。

ところで、世界の皆さんが怒りまくる捕鯨について。

はっきり言って鯨は美味しい。生臭い安物は別として、鮮度と管理のよい逸品に合うと「調査捕鯨くらい許してよ」と切に思う。

池袋にある「坐唯杏」(ざいあん)という飲み屋さんがある。酒肴の評価が高く、居酒屋マニアの世界ではそれなりに有名な店だ。ここで最近力を入れているのが鯨。

さえずり、皮クジラあたりを酢味噌で食べると鯨食文化バンザイって感じだ。肉とは異なる脂の上質感は結構くせになる。鯨の串カツやハリハリ鍋も定番料理として用意されている。

先日は、下あごの付け根の「鹿の子」と呼ばれる部分があったのでおそるおそる食べてみた。松阪牛の牛刺しもびっくりのとろけ方で、ほんの数切れで2,3千円の値付けも妙に納得。

私の世代は本格的に鯨を食べてこなかったので、正直その有り難みはあまり感じない。でも、「へー」とか「ほー」とかの感嘆詞つきで味わう鯨の珍味を経験すると、いにしえの鯨食文化の奥深さが想像できる。

オーストラリア人にも、それが鯨だと知らせずにこそっと食べてもらいたい。きっとカンガルーより美味しいと思うはずだ。

2008年1月17日木曜日

銀座の鮨屋、三木のり平

銀座のお寿司屋さん「まつき」に久しぶりに行った。グルメガイドとかネット上のクチコミとも無縁のこのお店、北海道出身の大将が生きのいいものを食べさせてくれる。

雑居ビル3階にあり、はじめてではなかなか入りにくい気配だが、威張ったところや気取ったところもなく、大人がくつろぐには好都合。銀座では珍しく、小さい音ながら有線のBGMも流れていたりして、窮屈さはない。

北海道にこだわりがあるようで、甘いイカの刺身は山ワサビで味わえる。ホースラディッシュのようなものだが、独特の辛味がイカと抜群の相性をみせる。一度、山ワサビだけを手巻きにしてもらったが、スーっと鼻が通るような辛さで締めにピッタリだった。

どんぶりによそった炊きたてのご飯に山ワサビを載せて、チョコッと醤油を垂らしてかき込んだら、きっと極上だろう。さすがにそんな注文は出来ないので、いつも想像して喉を鳴らしている。

タラコも絶品、イクラもオリジナルの醤油漬けなので、酒を呑んでいると、いつもの「魚卵摂取病」が発症する。この日はその他にカワハギの肝醤油が実に美味しかった。車エビの塩焼き、内子と外子たっぷりのセイコガニ、お刺身をいくつかもらってから握ってもらった。

ボタン海老、しめ鯖、赤身の漬け、ウニなどを食べて大満足。お勘定も銀座にしては良心的。もっと頻繁に行かねばもったいない気がした。

この日のこぼれ話。メガバンクならぬ、「メガ広告代理店」幹部とおぼしきグループが、カウンターで酒盛り。主役である一番の偉いさんが、自らの若き日の武勇伝を語り尽くす。人の話に聞き耳をたてるのは無粋だが、結構おかしくて、ついついダンボのように耳を広げてしまった。詳細は割愛するが、合いの手を打つ部下に一人、スペシャリストがいたことに感心。

実に間合いよく、お偉いさんをヨイショするし、同僚にそのお偉いさんがいかに優秀かを説き続ける。見事なまでの“部下根性”。まさに腰ぎんちゃくのプロフェッショナルと呼べる空気作りに感心する。

その昔の東宝映画「社長シリーズ」で、森繁久弥にくっついている三木のり平を想像すれば分かりやすいかもしれない。社長シリーズが分からない世代には、三木のり平といえば、桃屋の「ごはんですよ」のCMといえばわかるだろうか。あんな感じの手揉みの似合うヨイショの達人だった。

漏れ聞こえたところによると、彼はお偉いさんが読んだ本は全部教わって読破しているとか。三国志に始まり、今どきの教養系新書モノまで、その追随ぶりに同席していた他の部下達はどん引き状態だったのが印象的だった。

きっと彼は、あのお偉いさんの派閥勢力拡張に日夜汗を流しているのだと思う。サラリーマンの処世術にもいろいろあるが、一定のレベルを超えれば、どんなやり方だろうと職人芸なのだろう。

イヤミでもなんでもなく、ただただ感心した。

2008年1月16日水曜日

刺さらない言葉

言葉の重みという概念が揺らいでいる。こんなことを思ったのは、民主党の小沢党首がきっかけ。重要法案の裁決欠席で物議をよんだ小沢氏だが、新年を迎えての発言は、政権交代に向け「命がけで」とか「人生を賭けて」、「火の玉になって」とか強い言葉のオンパレード。でも、ドッチラケだった昨年の党首辞任騒動のせいで、どうにもその言葉に迫力を感じない。まるで刺さらない。

昨年の騒動では、一度は辞めると公式に宣言したにもかかわらず、辞意撤回会見での「ぷっつんしてしまって・・・」との釈明は、小沢氏のこれまでのイメージを崩壊させるには充分だった気がする。

政治記者を職業としているわけではないが、仕事柄、永田町界隈への出入りや付き合いがある私も、小沢氏については色々な風評や実績を耳にしており、それなりのイメージを抱いていた。ところが、あの辞任騒動をめぐるドタバタがあまりに幼稚だったので、自分の感度が鈍っていたのかと不安になったほど。民主党関係者に聞いたところ、あの騒動には周囲も本当に振り回されたそうで、複数の同僚議員が口にしていたのが「小沢老いたり」。以前に比べて“質的変化”が顕著だという感想だ。

対する福田首相は、御年71。頻繁な物忘れを週刊誌に書かれることでも分かるとおり、老いていることは確かだ。薬害肝炎問題でのマスコミ対応でも原告団に対して「お会いしても構わない」と発言した言語センスに呆れた。

今年初の国会での党首討論は、「刺さらない言葉」で追及する小沢党首に「ごもっとも」ばかり連発する福田首相という構図。迫力や重みとは無縁の世界に見えた。

言葉の重みに話を戻す。言葉が軽いか重いかは結局、発言する人間の「心」と「思慮」と「経験」にかかっている。上っ面だけで話す言葉は軽いし、感覚的に思ったまま口を出る言葉も軽い。背伸びした発言も当然軽くなる。その逆であれば必然的に言葉には重みが出る。

政治の世界でいえば、森元首相の失言癖などは思慮を欠いた短絡さが原因だろうし、安倍前首相も経験不足のせいか、その発言はいちいち重みがなかった。

その昔、答弁前の慎重さゆえに「アーウー宰相」と呼ばれた大平正芳氏、文字通り「言語明瞭意味不明瞭」と呼ばれた竹下登氏らの方が言葉の重みをしっかり認識していたといえる。言葉を選ぶからこその「アーウー」であり「意味不明」だったわけだ。

テレビメディアを意識した政治家は、昔より感覚的、短絡的に言葉を発するようになり、また、メディア受けしないと選挙に通らないような時代がそれを当たり前のことにしてしまった。その結果、なんでもかんでもお手軽になり、もっとも大事な言葉さえ軽くなってしまった。

小泉元首相の頃に拍車がかかった政治家の「言いっぱなし」、「ご都合発言」は、最近では問題視されることも少なくなってしまった。結局、政治への信頼はますます低下する。国民が信頼しない政治。そんなリーダーを持つ国が国際的に信頼されるのか、話はどんどん大きくなるが、そういうことでもあり恐いことだと思う。

言葉が軽いだけならまだしも、その言葉がいいかげんであれば、結局は嘘になる。

有名なイソップ童話が頭をよぎる。狼が出るぞと嘘ばかりついていた羊飼いの少年が最後には誰からも助けてもらえなかった話だ。

なんだか今日は暗い話に終始してしまった。

2008年1月15日火曜日

ナイフとフォークとバニーガール

子どもの頃、有り難いことに頻繁にレストランのマナー教わった。それも銀座あたりのボーイさんが背後で直立しているような堅苦しいレストランに連れて行かれ、窮屈な思いを実践させられた。ナイフとフォークの使い方などは家にいても覚えられるが、高級店の空気感は、その場に行かないと分からない。昭和40年代にそんなことをしてくれた親は結構偉い。でも、前にも書いたように西洋料理好きなわが家では、和食系の訓練に落とし穴があったようで、いまだに私は箸の使い方が下手だ。

昭和40年代頃の小学生時代によく連れて行かれたのが、たしか銀座の三笠会館。休日なのに学校の制服を着せられ、窮屈な気分で食事をしたことを思い出す。食事をしている背後にはナプキンを片手に掲げたボーイさんが立ったまま待機している。落着きのない子どもだったので、その人が気になって仕方ない。つい振り向くと、ボーイさんは、口元だけ緩めるというか口の端だけをつり上げる独特の笑みを魅せる。ボーイさんには申し訳ないが、その表情がおかしくて、笑いをこらえる。

そんな断片的な記憶しかない。何を食べたのかもまったく覚えていない。でも、静かにすべき場所で静かにしていないとマズいということを体験することで覚えたのだろう。

また同じ頃、確か六本木にあったプレーボーイクラブかどこかのバニーガールがいる店に連れて行かれた。このとき、子供心に受けた衝撃は、きっと今の私の変態性にちょっと関係しているかもしれない。

普通は子供など紛れ込めもしない店のはずだが、その日は、確かクリスマスファミリーなんたらの日だったらしく、妖艶な空気はなく、バイキングにビンゴなど健康的に盛り上がっていた。思春期の入口にいるイタイケな私の前を闊歩する大勢のバニー嬢。もうビックリでしょう。胸元に挟んだライターを取り出し、大人の人々に火をつける仕草、お盆を持ってプリプリ歩く後ろ姿・・・。

目が点とはあういう状況を言うのだろう。恥ずかしくて平凡パンチとかを本屋さんで買うことすら出来なかった少年にとっては、興奮することすらできない唖然ボー然の世界。興奮というより衝撃という言葉の方がピッタリだった。

中年になった私が網タイツやガーター系に妙にソソられる原点はきっとあの日だ。あの日、子供心に感じたのは、大人の世界は途方もなく遠いところに存在するという現実。子供にはうかがい知れない世界への畏怖というか、憧憬のような感覚を味わった。

今の世の中、少子化のせいなのか、子供への過保護が目に余る。なんでも大人と同等扱いして、大人と子供の距離感が曖昧になっている気がしてならない。子供にとっての大事なことは、やはり、大人にはかなわない、住む世界が違うという現実を思い知らせることだと思う。大人が大きく見える行動を子供に示すことは大事なことだと思う。

なんか説教じみたことを書き始めたので軌道修正。

それにしてもあの日のバニーガールの衣装が忘れられない。あの日、あまりの衝撃に、大人になったらここで働こうと真剣に思ったほどだった。

2008年1月11日金曜日

呑むための部屋

家を造るとき、誰もが自分のこだわりを反映させたいと考えるもの。私がこだわったのが「呑み部屋」を作ろうということ。以前住んでいた家の和室を有効に使わなかった反省で、普通なら和室にする部分を思い切って「呑み部屋」にすることにした。

住宅計画にあたってお決まりのように設けられる和室。建売住宅だろう注文建築でも設置することが当然のように位置付けられている。とはいえ、リビングとダイニングがしっかりあれば、和室の使い道はあまりないのが実情だろう。誰かが泊まっていくときの客室代わりにするには使用頻度が少なく、お茶や生け花をやろうとしたって、しょせん1年中そのスペースを活かすわけでなく、結局中途半端なスペースになっていることが多いように思う。

ソファや椅子ではなく床に座ると妙にくつろぐ日本人のDNAは私にもある。要はただ漠然と畳をひいた部屋を作るのがいやだっただけで、わが家の呑み部屋には無垢のチークを床材にし、中央は、掘りごたつ式に掘り下げ、プレーンな座卓を設置した。

4面ある壁は珪藻土を使い、もっとも面積の広い面はオレンジ色の塗装にしてみた。天井材には東南アジアのリゾートで使われるような木材を選び、小型のダインライトを多めに配置し、すべて調光可能とし、気分で照明効果を切り替えられるようにしてみた。窓は極力小さくし、普段はナニック製の木製ブラインドでカバー、壁面には2カ所にぐい呑み陳列棚を設置した。

立体的なデザインの造作をアレコレ考えたが、担当だったインテリアデザイナーさんが「家具や飾りでアレンジすべき」と言って反対したので、その通りにしたが、やっぱりもっと遊びの要素を入れたかったと思う。

酒類をしまっておくための木製家具は、陳列棚に入りきらない酒器類をおさめるラックとともにバリ島の素朴な家具にして、飾りの類は、やはりバリで買ったグリンシンと呼ばれる布やアジアの骨董などをいくつか置いてみた。床へのベタ座りに不可欠な座布団は、タイの三角枕付のシルク製品を選んだ。

こう書いてみると、一時期流行したアジアンモダン的な感じだが、実際に出来てみると、それほど強烈にアジアンチックでもないのが不思議だ。結局、「ちょっと気取った和室」ぐらいな感じで、意気込んで「和室なんかいらないぜ」と言っていた割には、大したことはない。

家でしっかり呑むときはこの部屋を使うことにしていたが、よくよく思い返すと、ダイニングスペースであっさり呑んでることが多い。わが愛しの呑み部屋、実際には「鍋もの部屋」と化していることが多い。鍋はやっぱり地べたに座って楽しみたいので、結局、「和室」としての機能から脱していないのが残念。

2008年1月10日木曜日

大澤恒夫さんの器

釉薬を使わず、絵付けもしない。ただ土を整形して焼き上げる。備前焼を単純に表現するとこんな感じだ。こう書くと実に味気ないが、1300度もの高温で1週間ほどにもなる窯焚きの洗礼によって、備前焼の肌はドラマチックに生まれ変わる。

窯の中に置かれた位置、焼成時の温度や湿度、そして作者の計算と情念が混ざり合って器にさまざまな表情が生まれる。豪快で男性的な印象の備前焼が大好きで、随分と集めてきた。酒器を中心に壷や食器、花入れにいたるまで家中に備前焼がある。

中心的な産地である岡山県備前市伊部周辺にも何度も出かけた。陶芸家にも随分と会ったが、好きな作家の一人が大澤恒夫さんだ。まだ40代前半。陶芸家としては若手だが、子どもの頃から古備前が好きだったというモノズキだけに、作品の雰囲気も伝統と若々しさが合わさった感じ。

家業として陶芸家を継いでいる人であれば、個展デビューなども早くに済むし、販路も既に持っているが、彼のように地元以外から徒手空拳で備前焼の世界に飛び込んだ人間が、独立して活躍するには相当な苦労があったと思う。

実際に会ってみると、そんな苦労めいた雰囲気は感じさせず、かといって陶芸家の先生然とした変な空気もなく、実に実直で明るく気分のいい人だ。

工房兼自宅の周囲は、田畑しかない。いかにも淋しげな場所だが、彼曰く、夜に見上げる星空は圧巻で月見酒が最高だとか。流行の焼酎には目もくれずに日本酒を好む大澤さんだが、お気に入りの肴は、自宅周辺の素朴な自然そのものなのだろう。

大澤さんの作品の中でも、とくにいいのが徳利。鶴首型のフォルムは実にバランスに優れ、彼が畏敬する古備前の名品を思わされる美しさだ。晩酌のとき、彼の徳利を使っていると、ぐい呑みを手にしている時間より、徳利の丸味を帯びた腰の部分をなで回している時間の方が長くなってしまう。

彼の作品に限らず、備前焼は水に濡れたときの器肌のしっとり感がなんとも魅力的だ。お燗酒もいいが、キンキンに冷やした酒を徳利に入れておくと、いわゆる器が汗をかいた状態になり、肌合いは俄然変化する。

土そのものの風合、自然そのものの無骨な器が水という命を吹き込まれることで、途端に生き生きとした生命力を発揮し始める。

酒器に限らず、刺身を盛る中皿、珍味類を盛る小皿、季節の花を生ける花器などいずれも水につけてから使うと無愛想だった器達はたちまち艶っぽくなる。

平凡な日常の中のなかでも器という身近なアイテムにこだわることで気付いたり感じることは多い。外食と違って、家メシ、家酒の時ならではの遊びとしては、器道楽はオススメです。

2008年1月9日水曜日

大臣とお大尽

国会議員の資産公開がマスコミで話題になっている。率直に言って実にくだらない制度だ。

不動産は、時価とはほど遠い固定資産税評価額をベースにしており、預貯金についても定期預金のみが公開の対象。普通預金や家族名義で何十億円持っていようが、公開する必要はない。おかげで「預貯金ゼロ」という国会議員がゴロゴロいるふざけた内容になっている。

このお粗末な制度そのものの問題以上に気になるのが、金持ちに見られることを極端に避けようとする議員達の風潮だ。

そもそも資産公開制度は、地位を利用した不正な蓄財を監視する趣旨で設けられている。いつのまにか、これが「誰が金持ちか」という矮小化された話にすり替わり、皆せっせと目立たないように苦心している。おかしな話だ。

極端に言えば、貯金もないような貧乏な人間に政治などしてもらいたくない。もちろん、貧乏な階層の代表という役割は必要だが、そんな人ばかりじゃ困りものだ。皆が皆、「金儲けなんてしてませんよ」的な発想だったら気持ちが悪い。

「金持ちイコール悪」という馬鹿げたイメージは、どうにも始末が悪い。「自分はこれだけ成功して金持ちになりました。そのノウハウを税金の使い道にも応用したい」と言ってのけるような“お大尽”に出てきて欲しいもの。

昨夏の参院選当選組で公開資産額トップになった舛添厚労相は、感想を聞かれ「普通に働いてきた結果だからとくに感想はない」と淡々と語った。質問した記者からすれば、恐縮したり、バツが悪そうに返答する姿を期待していたはずだろうが、アテが外れた様子。個人的に舛添さんは、あまり好きなタイプではないが、自分が稼いできたことに変に卑屈にならない姿は潔い。逆にそんな当たり前のことで評価したくなる世相が問題だ。

政治課題の中でも経済分野は、ひと言で言ってお金の扱い方である。ビジネスで成功したお金持ちに活躍の場は与えるべきだし、またそれを声高にアピールするような富豪国会議員が登場してもらいたい。

2008年1月8日火曜日

登別 函館 寿司

昨日からの続き。

札幌の夜、満腹、泥酔でホテルに戻ってサウナに入ったら、真剣に心臓が危険な動きをしたので、慌てて寝た。朝はスッキリ目覚め、露天風呂とサウナで身体に活を入れる。サウナで一緒になった地元のガソリンスタンド経営者に延々と経営上の苦労を聞かされる。ウチの会社が手掛けているM&A仲介など事業承継サポートの宣伝をしっかりさせてもらった。お互い生まれたままの姿だったので名刺交換は出来ず。

お陰で長時間サウナに入っていられた。

知人に頼まれたカニを市場で物色し、タクシーの運転手と口喧嘩しながら札幌駅に向かう。タクシーの運転手は、やたらと観光客向け市場で買い物をする旅行客を小馬鹿にするかのような物言いを連発するので、そういう馬鹿相手に客待ちするのはもっと馬鹿だと教えてあげた。途端に不機嫌になって運転が荒くなったので、そんな運転では、観光客がはずんでくれるチップなんか貰えないよ。私も10円だってお釣りはあげないよと優しく諭してあげた。

今日は登別温泉に移動。雪見の露天風呂をイメージして、特急スーパー北斗に乗った。特急なら1時間ちょっとで登別に行けるし、真冬の景色を車窓から眺めようと楽しみにしていたが、雪がないから全然白くない。ちょっと残念。

このスーパー北斗はグリーン車に特徴がある。ピンぼけ写真で恐縮だが、見ての通り、一人掛けの席が用意されている。これはひとり旅にはもってこい。隣を気にせず快適な時間を過ごせる。Ipodのボリュームをかなり大きくしても、私が聞いているのがキャンディーズだということが周囲にバレる心配もない。

登別で泊まったのは巨大ホテル「まほろば」。大衆路線だが、新しく全体的に綺麗。何より巨大ホテルゆえに温泉大浴場が異常に大きい点がポイント。繁忙期だと大浴場の混雑にうんざりしてしまうことが多いが、ここは浴槽が何十個もある巨大スペースなので充分のんびり出来る。

基本的に一人宿泊を受付けてくれない宿なので、ネットで見つけた一番ベーシックなバイキングプランとやらを「大人2名」で申し込んでおいた。チェックインの際に、アレコレ言われるのも厄介なので、「連れはあとからきます」などとつぶやいて部屋にチェックイン。その後は大浴場に文庫本を持ち込み、ズーっと裸で過ごした。

さて夕食。大広間のバイキング会場。受付で「連れはあとからきます」と微笑む。用意された席に着く。ひとり旅が好きで、寂しさやわびしさを感じることはないが、賑やかなバイキング会場でひとりで食事をするのは、なんとも落ち着かない。

皿に取りたくなる食べ物があまりなかったので、とりあえずカニを食べて部屋に引き上げることにした。いつ冷凍されたのか分らないカニの脚をタラバ、ズワイ、毛ガニそれぞれ山盛りにして皿、いやお盆にゴッソリ載っけて席に着く。カニフォークの代わりに大きく重いハサミしか用意されていない点がホテルの度量の狭いところか。なるべく面倒にしてしまえば、カニが飛ぶように無くなることはないと思っているのかもしれない。

退屈まかせにせっせとカニ脚にハサミを入れ続ける。何度かに一度の割合で定期的に隣に座っている若いカップルの元にカットした破片が飛んでいく。何度も謝る。そのうち、若いカップルの方からもカニ脚をカットした破片がこちらに飛んでくるようになった。破片ラリー、結構楽しかった気がする。肝心の味についてだが、一応カニの味はした。

雪見の露天風呂計画は、温暖化のせいで不発に終わったが、硫黄濃度タップリの温泉成分を堪能して、健康的な夜を過ごして眠りに落ちた。

あくる日、早朝から温泉を満喫し、目的地の函館に向かう。函館でも温泉と寿司が目的だ。スーパー北斗で約2時間、湯あたりで熟睡していたので、車窓からの景色をあまり覚えていない。大沼公園付近で雪に覆われた景色が楽しめたが、函館市内に近づくにつれ、また雪のない光景になってしまった。残念。

昼過ぎに函館に到着。駅近くの「ひさご寿し」に直行。ここは各種の旅行ガイドブックに頻繁に載っている有名店。かといって、観光客相手のいい加減な大型店ではなく、上質なネタはもちろん、気のきいた一品料理も結構あり、居心地の良さはかなりのもの。函館にはこれまで何度も足を運んで、料理屋さんや寿司屋さんにも随分行ったが、こちらのお店は間違いないレベル。

昼からしっかり飲酒モードに突入。この店オリジナルのイカの正油辛とイバラガニの内子で肝臓の闘いがスタート。

正油辛は、塩からの変形で、自家製の醤油に鮮度抜群のイカとワタをつけ込んだ逸品。醤油のイメージとは違うまろやかさでやみつきになる。イバラガニの内子は、個人的にお燗酒に世界で一番合う酒肴だと思っている珍味。よくあるタラバガニの内子が黒紫色なのに対し、イバラの内子はオレンジ系で味わいも格段にクリーミー。文章で上手にあの味を表現できないことを心から懺悔したい。写真では、気持ち悪い物体のようだが、最高にうまい。

ツブ貝の刺身、カジカの刺身に続き、生の鯨ベーコンの炙りという一品を頼んでみた。塩コショウをしっかり振った生のベーコンを軽く焼いたこの酒肴は、焼肉屋さんで出てくる上タン塩と上カルビ(塩)を混ぜ合わせたような感覚。塩辛系、刺身類のあとで食べるととても良いアクセントになった。

握りは、ここでも鮭児、戸井産本マグロ、ボタン海老が抜群。北海道ならではの味わいで満足。そして、初めて食べたのが、タラの昆布締め。淡泊な味のタラを北海道産の上質な昆布を使って軽く締めてある。いい塩梅の味加減で想像していた味より遙かに美味しい。魚の味を感じられずに昆布風味だけかと思ったが、予想に反して、コブの味が強すぎず魚自体の旨みが引き出されていて素直に美味しい。生寿司ばかりのイメージがある函館で、ひと手間かけた寿司に出会えてビックリした。その他、イクラ、スジコ、北寄貝、内子の握りなどを食べた。全部旨い。

つまみ、握りともにここに書いたもの以外に1~2品づつ食べたような気がするが、昼間とは思えないほど呑んでいたので忘れてしまった。お勘定は諭吉さん1枚と一葉さん1枚でしっかりお釣りがきた。

酔い覚ましに街をふらつく。雪が無くてもさすが函館。寒い。寒いというか冷たい。1時間ほど散策して市街地からすぐの湯の川温泉に向かう。

函館・湯の川温泉は、函館駅からでも函館空港からでも車で10分以内で着いてしまう程度の距離にある。「日本で一番空港に近い温泉街」という点で昔からものぐさな私にとって大好きな場所だ。

東京から箱根あたりに行くのでも渋滞に遭おうものなら3時間ぐらいかかってしまう。その点、羽田から函館までは飛行機でほんの1時間。そこからタクシーで5分も行けば温泉宿にチェックインできる函館は、考えようによっては気軽に行ける別天地といえよう。マイルがたまったり、航空会社の株主優待券がくるとフラッと湯の川温泉に行きたくなる。事実、何度も来ている。

湯の川プリンスホテル渚亭。ここは砂浜の真ん前に露天風呂があり、カモメが羽を休める姿を見ながら入浴できるオススメの宿。一人宿泊もOK。夕食なしでの予約も可能だし、一人での部屋食にも対応してくれる使い勝手のいい宿だ。

寒風吹きすさぶ中で海辺の露天風呂に身を預ければまさに極楽気分。今回は年の瀬とあって、街場の飲食店も閉まっているところが多そうなので夕食は部屋で食べることにした。

昼間ガブガブ呑んだのに夕方のサウナでアルコールはすっかり抜けてしまった。晩酌のおともに昼の散策中に買っておいたイクラの醤油漬けと別注料理の毛ガニ姿茹でで相変わらずグビグビ。基本の料理がどんなものだったか忘れてしまうほどカニとイクラを食べた。尿酸値がどうなっているのかかなり心配だ。これだけやってどうして通風にならないのか不思議だ。

翌日、チェックアウト後に函館朝市のきくよ食堂で朝のうちから懲りずに生ビール大ジョッキ2杯。つまみはボタン海老刺し(8尾もあった)、ホッキ塩焼き(小)、イカ刺し。そしてウニ丼もかっこんだ。ついでに生ビール小も追加した・・・。

足の指がいつ痛くなるのか心配しながら帰宅。翌日の夜、懲りずに近所の寿司屋に行った。我ながらちょっと変かも知れない。きっと私の前世は、魚介類、魚卵類を欲しながら願い叶わず死んだ人なのだろう。

2008年1月7日月曜日

北海道 ススキノ 寿司

年末年始すっかりサボったブログの更新を今日から復活させます。

年末は、一人で北海道を旅してきた。旅してきたなどというと聞こえがいいが、アルコールと温泉が基本目的。札幌、登別、函館に1泊づつ。一面真っ白な雪景色を期待していたが、例年になく雪が少なく、ちょっと拍子抜け。札幌では一応雪が舞っていたが、銀世界といえるほどではなく、登別などは秋かと思うくらいな風情。函館では雪がちらつきはしたが、銀世界にはほど遠く、靴に装着する自慢の滑り止めゴムベルトも活躍する場面はなかった。

まず札幌。ホテルはススキノの外れにあるジャスマックプラザ。それなりの古めかしさはあるものの、繁華街で温泉大浴場付きという利点は、寒い場所柄、とても重宝。サウナも2種類あり、しっかりとした広さの露天風呂もあり、格式ばったホテルに泊まって窮屈なユニットバスを使うことを思えば天国だ。

最近は、札幌でも温泉大浴場付きのホテルが増えてきたが、ここの利点は、朝風呂もOKという点。JRタワー日航ホテルやプリンスホテル、ルネッサンスホテルなどにも評判の良い大浴場があるが、朝は入れなかったり、サウナがなかったり、はたまたホテルの立地自体の問題などでつい敬遠してしまう。ひとり旅という立場なので、このクラスのカジュアルさがかえって煩わしくなくて心地よい。

夜のススキノは年末だけに活気があった。お目当ての寿司屋にもお客さんが一回転しそうな時間帯を狙って出かけた。雑居ビル1階の奥まった場所に店を構える「寿し処・ふしみ」が目的地。夏頃ススキノをぶらついたときに店探しの嗅覚をとぎすませて見つけたお店だ。

基本的におまかせ中心で、黙っていても美味しいものが次々に出てくる。この流れの中で自分の好みやわがままを伝えれば、未知のものから意外なものまで堪能できる。

お寿司屋さんのカウンターは、席数が偶数であることが多い。混んでいる場合、店にとって一人客は厄介な存在だろう。そんなことを気にしていると、ついつい二人分、三人分でも注文するぞと意気込んでしまい、いつも食べ過ぎる。

この日もそれなりに混雑はしていたものの、お客さんがほぼ一回転していたようで、一人客でも居心地は良かった。

北寄貝のヌタ、海水ウニ、生だこ、タチ(白子)塩焼きをつまみにグビグビ呑む。幸せな時間はまだまだ続く。いくら、カレイをつまみにグビグビ呑み続ける。いい感じにほろ酔いモード。

続いて、北海道の正月名物のいずしが出される。肴を自然発酵させた、いわゆる馴れ鮨だ。このお店では、ハタハタが材料。これが抜群だった。酸味、甘み、旨みが一体となって、アルコール消費を加速させる。

お寿司屋さんに行ったら、つまみばかりでなく握りを食べながら酒を呑むことを10年位前から目標にしているが、相変わらずクリアできない。

続いて毛ガニ。半身を食べやすくほぐしてくれてあるので楽ちん。甲羅も半分しっかり用意されるので、たっぷりのカニ味噌でまたまたアルコールが進む。その後、卵焼きに加え、サメガレイという大ぶりのカレイの煮付けをちょこっと食べてからようやく握りに突入。この辺からの記憶は曖昧。

松皮ガレイ、鮭児、ボタン海老、本マグロの背の身、しめ鯖、ツブ貝などを食べた。全部美味しかったが、カレイは特別旨かった。白身の刺身といえば、鮮度と旨みが比例しないことが多いが、この松皮ガレイは、プリっとした新鮮な食感にジュワーっと魚独特の甘みと香りが加わってノドの奥に落っこどすのをためらう味でした。

ほとんど泥酔昇天しつつある私に大将が出してくれたのが日高産のますこの巻物。ますこ、すなわち、いくらより少し小ぶりな鱒の卵。これがスジコ状態で巻物の具になっている。甘めの醤油漬けイクラが定番の北海道で、このスジコはガツンと塩味。ますこ自体のネットリした生卵の黄身のような風味と塩味が混ざり合って、酒飲みにとっては最高の締めの一品となった。

書いてみると結構な量を食べていることを実感する。お酒も普段の三倍くらい飲んだような記憶があるが、お勘定は諭吉さん2枚でちゃんとおつりがきた。

その後、満腹中枢の故障により、なぜか目に付いた炉端焼屋に入る。頼んだほっけが焼き上がる頃に満腹感に気付いた。手遅れだった。目の前に巨大なほっけ。でも美味しかったので結局食べてしまった。後悔した。    明日に続く。