2008年11月28日金曜日

政策秘書


10年以上の付き合いのある某国会議員秘書と久しぶりに会った。同年代で何かと話が合う。いつも色々と面白い裏話を聞かせてくれる。

「○×議員はカツラだ」とか「○△議員の愛人は誰それだ」とか、どうでもいい話題も多いが、仕事に役立つ情報もたまには得られる。昨年から職場が変わり、現在は某女性代議士の事務所に所属している。

政策秘書の資格を持つ彼は、雇用主は、あくまで衆議院。特別職の国家公務員という位置付けだ。所属する代議士が親分であっても、あくまで院から給料が支払われる。とはいえ、親分が落選したら、親分もろとも失業する不思議なスタイルだ。

国会議員の秘書は3人まで国が給料などの面倒を見る。公設秘書と呼ばれる3人だ。公設第一と第二、そして政策秘書だ。

もう10年以上前になるだろうか、政策秘書制度は、高等な国家資格という触れ込みで鳴り物入りで導入された。実際、国家試験は難関。合格率も確かヒトけたパーセントだと思う。

でも、国会に行くと政策秘書はゴロゴロいる。疲れたオジサンの多くが政策秘書だ。実質的に公設秘書経験が5年以上あれば、政策秘書になれるルートがあるため、中堅、古参の秘書稼業経験者は、多くが政策秘書資格を持つ。

聞くところによると難関の試験を突破して政策秘書として働いている人は政策秘書全体の1割程度らしい。

その昔、マスコミ報道のミスリードで、政策秘書は年収1500万円ぐらいを国が保証しているという説が根付いている。実際には、公務員同様、年齢や等級によって年収はマチマチ。言われるほど高収入ではない。

法律の趣旨に照らせば、政策秘書の仕事は、「議員の政策立案や立法活動の補助」なのだが、実際には普通の議員秘書と変わらないケースが多い。パーティー券を売ったり、代理で冠婚葬祭に出たり。

まあ結局は、体よくコストを国庫負担する秘書が昔より1名多くなっただけという側面がある。官僚主導型から議員主導型の政府を目指すという高邁な趣旨で導入されたものの、結局は、制度誕生以前と何も変わる気配はない。

国が編み出す新しい制度の多くが、掛け声倒れに終わってしまうことの一例だろう。問題は、一度生まれた制度は、実効性が乏しくてもそのまま維持され続けるという点だ。

民間企業なら、実効性なき制度は、検証後に廃止したり縮小するのが普通だ。国の政策はこの点が致命的にダメ、検証して改善する発想が全然ない。だから赤字は雪だるま式に膨らむ。「小さな政府」など夢のまた夢だと思う。

まあ、愚痴ばっかり書いていても仕方ない。

この日、衆議院の解散話ついでに、秘書氏からちょっと面白いエピソードを聞いた。まあ政治関係に興味のない人にはどうでもいい話だが、「役人」らしさを感じる妙な話だ。

衆議院が解散されると、その瞬間、代議士センセイ達はフツーの人になる。解散詔書が読み上げられた本会議が終わると、衛視たちに変化が生じるそうだ。

衛視とは、院内の警備を担当する制服姿の公務員。院内警察みたいな存在。彼らにとって、代議士は敬礼の対象。院内ですれ違う際にも当然、金バッジへの敬礼は欠かさない。

ところが、解散の日、本会議場から出てきた議員に対して、敬礼は行われない。代議士の身分を失った一般人に敬礼はしないという伝統なんだそうだ。

このシビアな対応は、天下の衆議院議長に対しても同様だというから面白い。日本の役人らしい杓子定規な対応だが、一方で、なんとなく洒落た伝統のようにも思える。

こういう雑学というか、こぼれ話が好きな私には秘書氏と無駄話している時間は結構楽しい。

ただ、話のついでに、行きもしないパーティー券を買わされたことはちっとも楽しくない・・。

2008年11月27日木曜日

わがままな旅

函館2日目。ゆっくり目覚めて朝風呂とサウナに死ぬほど入る。まぶしい朝日の中で海辺の露天風呂に浮かんでいる気分は最高だ。天気も良い。

ホテルの朝食を食べてしまうといろいろ計画が狂うので、泣く泣くパスする。

10時過ぎに宿を出て朝市方面に向かう。いいかげんな商売をする店も多い朝市だけに安直に買い物をすることは禁物だ。以前から信頼できる小さなカニ屋「H商店」があるので、私はカニの注文はその店に決めている。

タラバにしても毛ガニにしても、この店で購入するカニは身がぎっしりした一級品ばかり。東京からでも安心して頼める。プライベートの恩人がカニ好きなので、600グラム超の身入りギッシリの上物毛ガニを2はい発送する。

自宅用には、しまホッケとイクラ、ウニの一夜干しを送る。カニは現地で食べるから充分だ。この店の店頭では、オヤジさんの講釈を聴きながら、相当な量のタラバと毛ガニを試食できるのもまた嬉しい。いっぱい買う気を見せると試食もいっぱいできる。

まだ11時前だが、朝飯抜きの私は市場の外れにある大箱の魚介専門居酒屋「海光房」に行く。朝昼兼用の1件目だ。朝早くから居酒屋メニューが頼める上に、朝市のどんぶり専門食堂のように狭くないのが良い。

コストパフォーマンスが悪い店だが、朝からお酒グビグビ、タバコすぱすぱの不良中年にとっては使い勝手がいい。もっと旨い店はいっぱいあるが、ついつい何度も利用している。

タラコの醤油漬けといくらの醤油漬けを頼んで生ビール、そして焼酎へ。ウニもつまみにもらって、根ホッケが焼き上がるのを待つ。いい時間だ。

ホッケ登場。ジュウジューと旨そうだ。アツアツを頬ばる。うーん、旨くない。残念。下手な冷凍物だったのか、ちっとも旨くない。外した。

仕方ないので、別な注文を考える。今日も生モノ、塩漬けモノばかりの一日になりそうなので、あえてカニ甲羅グラタンを注文してみる。寒いし、いい選択だと一人悦に入って、運ばれてくるのを待つ。

うーん、旨くない。ぼんやりとした味付け。おまけに科学の味だ。失敗。まあクズガニの廃品利用のような一品を注文した私の負けだ。今回は、ちょっと運が悪い場面が多い旅行だ。仕切り直し。

そそくさと朝市どんぶり横町へ。昔ながらの食堂が市場の再開発で寄せ集められ、新しい建物の中に集合している場所だ。

この日は「茶夢」という店に行く。ドンブリメニューだけでなく、イカわた系の珍味をひとつのウリにする店だ。可愛いらしい店名とは相容れないオヤジが、あれこれ客にサービス品を出すことで知る人ぞ知る店。

イカごろセットを注文。イカのワタの麹漬けと醤油漬けが出てくる。死ぬほどウマい。

イカわたとえば新鮮でも虫がいることが多いが、そんなことなどどうでもよくなる味。いつもキモ系をアレコレ食べている私だが、冷静にランク付けしてみても、この店のイカわた麹漬けは相当上位に食い込みそうだ。

わたばかりでは、イカに失礼なので、ちゃんとイカ刺しも注文した。細く切られた新鮮なイカの上に少しの大根おろしとショウガが盛られており、その上から醤油をぶっかけて味わうスタイル。これまたウマい。

ついでに新鮮なイカの刺身をわた系の漬け汁とまぶして食べてもオツな味がする。お湯割り焼酎がぐいぐい進む。

サービスでイカの塩辛と、炒めたイカわたが登場。炒めたイカわたが実にクリーミー。結構な甘みと少しばかりの苦みが相まって、大人でよかったとつくづく思う。焼酎も進んで、まだ昼前なのにすっかり出来上がってきた。

そろそろ朝飯にしようと、ご飯モノ、すなわちどんぶり選びが頭を支配する。

しばしの考察のあと、決定したのは「カニイクラ丼」。この時期の北海道では、何はさておきイクラをかっこまなければ意味がない。ただ、この時は、イカわた系の漬け汁とか塩辛が残っていたので、貴重な味わいを白ご飯で堪能したい気分だった。

ただ、富豪記者を名乗る以上、この期に及んで、「ライス下さい」などとは言えない。やはりナントカ丼を頼まないといかんと思う。

綺麗に白ご飯が残せる具材は何かという点で考え込む。イクラ丼やウニ丼だと、どうしても、白ご飯がイクラやウニの成分を吸い込んでしまう気がする。その点、茹でガニが乗っかるだけのカニ丼なら、カニ棒を酒のつまみに食べたあとで、汚れなき白ご飯をキープできる。

イクラは食べたい。汚れなき白ご飯は残したいー。この欲求を満たしてくれるのが「カニイクラ丼だ。カニをつまみに本日の午前酒を終了する。そして、散らばらないようにどんぶりの半分を占拠するイクラをご飯とともに味わう。まさに天国。

そして、半分ほどの白ご飯が綺麗に残った。イカわたが漬かっていた残り汁の出番だ。白ご飯にかけてみる。いやはやウットリの味。

米も残り汁も、単体だけでは何かと力量不足。それなのに合わさることで単体の時より100倍素晴らしい味わいに変化した。まさにマリアージュだ。今度誰かの結婚式のスピーチで、他人同士が合わさることで素晴らしい世界が広がるという例えにこの話をしようと思った。

私の変な食べ方を目撃した店のオヤジがニンマリしていたので、私もなんとなく嬉しい気分がした。ああ満腹。

その後、五稜郭のデパートでプライベートの恩人にお歳暮を手配し、その後、観光名所の金森倉庫群を散歩。必死に腹ごなしをする。もう世の中はクリスマスシーズンのようで、金森倉庫でもサンタが乱舞していた。

すっかり冷えたので、宿に戻ってサウナと露天風呂ざんまいの時間を過ごす。なんとも贅沢な休日だ。函館は観光地だろうが繁華街だろうが温泉だろうが、みんな小さくまとまっているので、やはり私にとっては魅力的だ。

今回の旅も、この段階まで、わずか24時間滞在しただけで相当満足していることに気付いた。美味しい寿司屋に行ってないこと以外は充分満喫。逆に言えば、美味しい寿司屋に行けば完結ということに気付く。

まだ夕方だ。羽田への最終便は確か夜の8時頃だ。空港に近い湯の川エリアの寿司屋に早めに行けば、のんびり飲み食いしても最終便で帰れる。もう温泉もふやけるほど入ったし、そこそこ珍味も食べた。連休最終日にバタバタ帰宅するより今日中に帰ったほうがラクだと思い始める。

温泉を十二分に堪能し、部屋に帰って、携帯から最終便の空席状況をチェック。残席に余裕ありとのことで、そのまま予約変更。ITの進化ってつくづく便利だ。

ホテルを夕方5時過ぎにチェックアウトすることになったが、さすがにこの日の1泊分は返金はしてくれない。まあ、夕食ナシの安い料金だったので仕方ない。

じっくり温泉も入れたし、朝早くにチェックアウトする必要もなかったし悪くない。考えてみれば、夜便で帰る予定の海外旅行の際は、いつも夜までの滞在でも1泊分フルに予約してギリギリまで部屋を使っている。それと同じだ。温泉地から空港が非常に近い函館なら、こんなホテルの使い方は結構アリだろう。

5時過ぎに湯の川の「雷門鮨」に行く。奇をてらったものはないが全体に安定して高水準の寿司を出す。大将や息子さんらしき二番手さんのアタリもソフトで、まさに間違いのないお店。

またボタンエビとサーモンをつまみに飲み始める。そしてスジコを肴に燗酒に移行。今が旬の白子ポン酢も注文。北海道ではなぜかタチポンと呼ばれるが、さすが北国のタチポン、ネットリうっとりしました。

戸井の本マグロ赤身や最上級ズワイのカニ棒を追加して呑み続ける。赤ホヤの塩辛も出てきた。酒が止まらない。

そして握りへ。お決まりのウニは軍艦で出されたのだが、ついつい海苔なしでも2貫追加する。

あれこれ食べたが、抜群だったのが松皮ガレイ。東京ではまずお目にかからない味が濃い旨味タップリの一品。画像の右側はエンガワ。これまた凝縮された濃い甘みが官能的でした。

気がつけばもうすぐ7時。最終便は7時40分出発。さすがにこれ以上粘れないので、タクシーを呼んでもらって空港へ。ほんの5分ちょっとで空港に着く。

内心少し焦っていたのだが、搭乗手続きを終えても、出発までまだ30分もある。小さい空港だし、搭乗ゲートも数が少なく、この時間に他の便はなく空港内は閑散としている。拍子抜けするほど余裕がある。

結局、食べ忘れた唯一の北海道特産品を喫茶店で舐めながら搭乗案内を待った。

1泊にしては、妙に充実した突発旅行だった。勝手が分かる場所に行くと、なにぶんにもロスがない。たまにはこういう時間の使い方もいいものだ。というか、しょっちゅうこんなことをしている気もする・・・。

2008年11月26日水曜日

ジェロと小雪

この前の3連休、妻子が実家に帰ってしまった(トラブルではない。単なる帰省だ)ので、急に暇になった。せっかくの休日、デートをする相手もいないので、思いきって函館に行くことにした。

金曜の晩、深酒したツケで気持ち悪かったのだが、土曜の朝にだるい頭で確認したところ、飛行機もOK、泊まりたい宿もOKと実にスムーズにコトが運んだ。

不況のせいなのか、中途半端な季節のせいなのか、よく分からないが、連休の割には何の苦労もなく旅計画が整った。

突然行くからには、勝手知ったる場所がいいので、函館にした。やはり函館は近い。午前11時に家を出て、午後2時半には湯の川温泉でマッタリしていた。この日、都内から伊豆あたりに出かけた知人は、朝出発したのに到着は夕方だったらしい。やはり函館は穴場だ。

滞在は「湯の川プリンスホテル渚亭」。何度も泊まっている温泉大浴場が素晴らしい宿だ。通されたのはツインの洋室。ひとり旅なので不便はない。

露天風呂付きの部屋も空きがあったそうだが、一人旅サウニストの私としては、いちゃつく相手もいないのに部屋に露天風呂は不要だ。ツインの部屋でOK。

サウナで熱くなって、火照った身体を水風呂ではなく、露天風呂脇のスペースで寒風にさらしながら冷ましたい私としては、この宿では大浴場が一番魅力的なスペース。

連休中とはいえ、大浴場もガランとしている。ここの露天風呂は、まさに海っぺりの浜辺の上に設置されている。抜群の立地。

目の前には冬の海が広がる。浜辺には無数のカモメ。羽を休めていたり、あの旅愁を誘う鳴き声を聴かせながら飛び立っていったり、実に雰囲気がある。ときたま波のバサーンという音も加わって、演歌を唸りたくなるロケーションだ。

温泉宿とはいえ、夕食無しの設定で泊まれたので、サウナと温泉で生き返ったあとは、恒例の珍味系魚介攻めに街に出かける。

数え切れないくらい函館で寿司屋めぐりをしている私だが、毎回、知らない店を探検したくなる。間違いなく美味しい店もいくつか知っているのに、余計な探検をして失敗することもある。今回は失敗パターンにはまった。

湯の川から五稜郭方面に行く途中に、以前からいくつか目についていたお鮨屋さんがあった。そのうちの一件に突入してみる。店の名誉のために店名はあえて避けよう。

がらっと扉を開けると、まだ早い時間だっただけに大将が座って新聞を読んでいる。客は誰もいない。ちょっとヤバいか・・?バッくれるか・・?。瞬時に脳裏にいろんなことがよぎったが、大将がいい感じに歓待モードに入ってしまった。とりあえず、席に着く。

ネタケースに魚がまばらだ。ヤバイと思ったものの、すでにビールを頼んでしまった。手遅れだ。ボタンエビとサーモンをつまみで頼んだ。さすがに函館、モノ自体は悪くないが、いきなりニセワサビだ。完全に失敗を自覚する。ここからは、いかに手っ取り早く撤退するかを考える。

ところが、この店の大将がいい人で、ついつい世間話に花が咲く。私もいい人なのだろう。ちょっと楽しい。つい半月ほど前に今話題の黒人演歌歌手ジェロが来店したらしく、そんな話題で時間が過ぎる。

ホッキ貝をつまみで頼む。大ぶりな貝をさばいて丸ごと一個分出された。ボリュームがある。まだ撤収不能だ。

焼酎の水割りでも呑んで、つないでおこうとしたものの、日本酒しか置いていない。仕方なく生酒を頼む。結構な量の冷酒が来てしまった。飲み干すまでは撤収不能だ。

スジコをつまみで頼む。なんかフツーに呑み助モードに入ってしまった。でもさすがに、この店でせっかくの夜を過ごすのも辛い。握りはほとんど食べずに、「ようやく夜も本番の時間なので、名残惜しいけど、繁華街に行ってみます」と可愛い言い訳を残して、ようやく撤収。タクシーで五稜郭方面に向かう。

ちなみに次の日は間違いのない寿司屋に行くため、抜群の安定感を誇る湯の川にある「雷門鮨」に行った。そちらに最近訪ねてきたのは女優の小雪だったそうだ。

ジェロが来た店と小雪が来た店。なんともお店の雰囲気と食材の違いを端的に表わしているみたいでおかしかった。

五稜郭エリアでは、前回来たときに旨かった「鮨かわむら」を覗く。なんと満席で入れず。さっきの店に寄らずに最初からこっちに来ていれば今頃、カニの内子あたりを肴に上機嫌のはずが、寒風に吹かれながら途方に暮れる。

さすがに寒い。他にも心当たりの寿司屋はあるが、ちょっと距離がある。考えた末に近場の居酒屋「開陽亭」に落ち着くことにする。

観光客にもお馴染みの店だが、メニューが豊富で生け簀で泳ぐカニやイカを常備しているため、使い勝手はいい。茹でたての毛ガニを食べることにする。

水槽から取り出され、茹でられるのを待つ間、ウニとイカの沖漬けを頼む。しみじみ旨い。せっかく寿司屋じゃない店に来たのだから変なものも頼もうとエゾジカのタタキを注文する。

結構旨い。ポン酢で味わうと臭みもまったくなく、魚介攻めの合間のいいアクセントになる。こういう変なものも旅の楽しみのひとつだ。

毛ガニがやってきた。あまり大きいサイズではないが、一人でホジホジするには小ぶりなほうが有難い。ひとりじめ出来るんだから小さくても満足感は充分。肝心のカニミソもあって、実に幸せな時間。芋焼酎のお湯割りがぐいぐい進む。

シメにいくら丼とかウニ丼でも食べようかと考えていたが、路線変更。温かい塩ラーメンに決定。開陽亭を出て、ぶらぶら。でもすぐに寒さで酔いも覚めて冷えてしまった。おまけに雨も降ってきた。運良く近くに「あじさい」というラーメン屋を発見。

ラーメンに四の五の言うこだわりはない私は、清潔で鬼混みしていなければどこでもOK。チャーシュー塩ラーメンを頼む。あっさりしていて普通に美味しい。満足。
結局3件かけて晩酌が終了する。富豪みたいだ。

宿に帰って、再び温泉へ。相変わらず人が少ない。身を切るような寒さのせいで露天風呂は貸切状態。ここの露天風呂は夜になると浜辺を強い明かりで照らすので、夜の闇の中でも海を間近に感じられて快適。遠く水平線には、イカ釣り漁船の漁火が海を照らしている。なんともいい雰囲気だ。酔いにまかせてジェロの歌を口ずさもうとしたが、どんな歌を歌っているのか知らない。

結局、「津軽海峡冬景色」をうなる。貸切状態の露天風呂で調子に乗っていたのだが、上階にある女性用露天風呂に聞こえたらしく、まばらな拍手をもらった。かなり恥ずかしい。

続きは明日。

2008年11月25日火曜日

赤穂事件

12月が近づくと、毎年なんだかんだと「忠臣蔵」の話題が聞かれるようになる。実は私、子どもの頃からの忠臣蔵ファン。

時代劇、歴史小説とかが好きなわけでもないのに、あの話ばかりは熱くなる。

お涙頂戴の仇討ちストーリーだが、映画やドラマでおなじみのエピソードの多くが後世の作り話であることなど百も承知のうえで、いつも感動する。

きっかけは昭和50年のNHK大河ドラマ「元禄太平記」。まだ小学生だった私が、妙にハマって真剣に見ていた番組だ。

主役は石坂浩二。主役なのに大石内蔵助役ではなく、将軍綱吉の側用人・柳沢吉保役を演じていた。

石坂浩二はその後、平成11年の大河「元禄繚乱」で吉良上野介を演じたが、私の中では、昭和50年モノの石坂浩二の印象が強かったので吉良役には違和感があった。それほどまでに「元禄太平記」の忠臣蔵が個人的なベースになってしまっている。

当時の大石内蔵助役は江守徹。いまではイロモノ的にテレビに出ているが、私の中の大石像は、なぜかいまでも江守徹。

片岡千恵蔵や長谷川一夫あたりの昭和の名優が演じた大石も見た。でも、なぜか私には江守徹がつきまとう。おかげで彼がバラエティー番組に出てくるたびに悲しくなる。

忠臣蔵自体は、江戸で起きた事件なので、赤穂事件にまつわる名所は東京が中心。それでも私は、義士達が生まれ育った赤穂に行きたくて何度も訪ねている。

兵庫と岡山の県境にある赤穂に初めて出かけたのは、小学校の頃。例の大河ドラマが終わったあと、興奮冷めやらない私は、親にせがんで赤穂旅行に連れて行ってもらった。

大石の屋敷跡を見たり赤穂城を見たり、結構興奮した。とくに印象的だったのが「大石・別れの松」。ウソかホントか知らないが(多分ウソだろう)、江戸に出発する大石内蔵助と長男・主税が、家族と別れを惜しんだ場所と伝えられる場所だ。

名前の通りそれっぽい松が植わっていて、海が望める「いかにも」な場所だ。観光地特有の記念写真用のハリボテが置かれているのがなんともシュール。

ベニヤ板につたない絵で等身大に描かれた大石内蔵助と主税。顔の部分がくりぬかれている。観光客がくりぬかれた穴から顔だけ出して記念写真に収まるアレだ。

カメラを構える私の母親は、当然のように私の兄を内蔵助の位置に立たせ、私は長男・主税の部分が立ち位置にされた。

「元禄太平記」にはまって、旅を申入れたのは私である。兄はあのドラマをさほど熱心に見ていたわけではない。なぜ、私が内蔵助役にならないのだ!幼な心に憤懣やるかたない気分でその場所を離れた。

観光バスに戻っても腑に落ちない私は、四十七人の義士を思って、決起することにした。

母親に強硬にせがんで、大勢の客が待つバスを待たせ、小走りにハリボテに戻った。大石内蔵助のハリボテに顔を入れることができた瞬間、義士達が討ち入りに成功したような爽快な達成感を味わった。

大人になってからも赤穂には何度か行った。備前焼集めが趣味になり、窯元が集まる備前市の伊部エリアが赤穂から遠くないことから、備前焼収集の旅の前後に赤穂に宿を取ることが何度かあった。

赤穂と伊部をレンタカーで移動する際、途中には焼アナゴや白身魚が滅法うまい日生漁港なんかもあって、観光コースとしても結構オススメのコースだ。

赤穂の周辺は風光明媚で、魚はやたらと旨く、上質の塩の生産地ならではの塩竃料理とかを堪能しながら、海を眺める温泉宿でまったりできる。

いつも「大石・別れの松」にも立ち寄る。あの頃のハリボテはもう無い。でも、いまでも私にとっての“赤穂事件”はあのハリボテだ。

また行きたくなってきた。

2008年11月21日金曜日

ドカ食い

さすがに年とともにドカ食いをする機会がめっきり減った。もともと食道が広くて満腹中枢指令に問題がある私は、結構な大食い生活をしてきたような気がする。

中学生の頃、マクドナルドのハンバーガーを腹一杯食べさせろと母親にせがみ、とことん食べたことがある。ビックマック2つを含んで合計9個。かなり満足した。

100円マックなど無い時代、マックも決して安い食べ物ではなかった気がする。母親が想定外の出費に怒っていたことを思い出す。

いまでも、物凄く牛丼が食べたいときなら大盛り2個ぐらいは余裕で食べられる。多分並盛りなら3個は楽勝だろう。

2杯とか3杯と書かずに2個、3個と表現するのには理由がある。さすがに店内で大量に一人で食べるのは恥ずかしい。そのため、大家族を養っているかのような顔をしてテイクアウトをする。だから2個とか3個と書いたほうがピンとくる。

先日、久しぶりにちょっとした暴飲暴食をした。場所は池袋の高くない居酒屋。高くない店だが、ちょっとした料理類が美味しく、締めに本格的な手打ち蕎麦をバリエーション豊かに楽しめる店だ。

生ビールを2杯、その後は秋鹿という大阪の日本酒をアレコレ頼んだ。にごり酒、純米酒、純米吟醸など、製法ごとの違いを味わうという大義名分で痛飲してしまった。

食べたものは、刺身類は、しめ鯖とメジマグロ。これ以外に、この日は鯨を食べたい気分だったので皮鯨とさえずりを頼んだ。

前者は文字通り皮と身の間の脂が嬉しい部分で皮下脂肪の味わいが堪能できる。後者は鯨の舌、すなわちタンを茹でたもの。この日は両方とも酢味噌和えで食べた。

焼酎と合わせたかったが、いつの間にか、この店の酒メニューから焼酎が消滅しており、結局、冷酒の肴として楽しんだ。

出来たてを堪能できる海老の飛竜頭(がんもどきみたいな一品)も妙にうまかったので酒が止まらない。

ついでに穴子の白焼きも注文する。この辺から私の満腹中枢は機能が停止する。

酒がうまいせいで、からすみも頼む。これじゃあ酒は止まらない。普通の人ならこのあたりで満腹になるはずだが、いろいろムシャクシャしてたので、酒盗ももらって酒を飲む。

締めの日本蕎麦がウリの店に入った以上、私の単純な脳みそは「最後は蕎麦だろう」と決めつけている。満腹であることは忘れてしまっているから困る。

ここで難問。冷たい蕎麦か温かい蕎麦か、どちらかに決められない酔っぱらった私の結論は、「両方頼んでしまえば済む話だ」。

まず温かい蕎麦として、初挑戦の「釜揚げたまご蕎麦」を注文してみた。ゆであがって湯切りしたアツアツの蕎麦がボウルの中で溶いた生卵と混ざり合う。そこに熱いだし汁が麺全体に絡む程度に注がれる。

温かい蕎麦といっても、つゆがタップリ入っている蕎麦ではなく、つゆとタマゴの和え麺だ。麺の上にはシラスと鶏そぼろがトッピングされていた。

変な蕎麦ともいえるが、すこぶる旨い。生卵かけご飯が好きな人なら気に入るはず。でも結構ボリューム感があって、ようやく私も苦しさを感じ始めた。

そこに既に注文済みの次なる冷たい蕎麦、粗挽き田舎蕎麦が運ばれてきた。キリッとして旨い。多少、口の中に生卵的感覚が残っていたせいもあって、さっぱりした冷たい蕎麦は、満腹指令にお構いなく、ズルズルっと私の喉を通過する。

食道が人より広い人間はこういうときでも、むせたりすることはない。同じペースでズルズルっと私の胃袋は拡がり続ける

結局完食。おまけにトロリとした濃~い蕎麦湯がまた旨くてこれまたグビグビ。

これじゃあ痩せるわけがない。

2008年11月20日木曜日

神田 その田 ひれ酒


極上のひれ酒をしこたま堪能する一夜を過ごした。

場所は神田にある「その田」。天然のふぐを鮮やかに料理する老舗だ。今年の春にも訪ねたが、シーズン到来を待って旧友3名で出かけた。

友人同士で天然ふぐを攻める、などと書くとリッチな感じだが、実はこの「その田」、中学高校の同級生が若旦那として活躍中。彼を頼ってお邪魔したのが真相だ。

独特な風情漂う神田界隈は、ぶらぶら歩いていても、うまそうな料理を出しそうな店が目に付く。神田多町の路地に構える「その田」も店構えからして「きっちり真面目に仕事してまっせ」的な雰囲気。

端的に言って「東京っぽい店」だと思う。
イナカモノ的流行追っかけ路線とか、無理やり演出した和風モダンみたいな店が嫌いな私は、奇をてらわずどっしり構える店こそ真っ当に旨いモノを出すことを本能的に感じる。こちらの料理も当然のように美味しい。

頭の中に「今日は天然のフグを食べに行く」という情報をインプットした以上、私の脳の中には「旨いぞ、旨いぞ」という期待がヨダレとともに強まる。

旨いことを期待して、旨いことを予定しちゃっている脳に対して、予想以上に「旨いなあ」という印象を植え付けるのは凄いことだと思う。

熟睡している亀田兄弟なら私でもノックアウトできるが、リングの上で構えている亀田兄弟には太刀打ちできない。
まったく変な例えだが、そういうことだ。

「旨いだろうな」と身構えている私が「凄く旨いなあ」と唸ってしまうのだから、単純明快に旨いのだろう。

こんな回りくどい表現をしたくなったのは、この店の唐揚げに感動したから。

携帯画像ではうまく伝わらないが、大きくブツ切りされたふぐの唐揚げだ。今年食べたものの中でも、間違いなくベスト5に入る美味しさだった。

下味の付け方、塩加減、衣の量や揚げ加減、すべてバッチリ。私には、すだちもまったく不要。そのままで完璧に完成している。カーネルサンダースに食べさせてあげたい極上の逸品だった。

ジューシーかつプリッとした身の感触が最高。また、軟骨周りや骨と筋肉をつなぐ腱のあたりだろうか、いわゆるコラーゲン関係も実に食感がセクシー。

養殖フグのコラーゲンは、べちょっとブヨブヨなのに対して天然モノは、プルプリッって感じで変な後味も一切無い。養殖と天然の違いがもっとも分かる部位のように感じた。

さてさて、ひれ酒だ。なんとも大ぶりのヒレを惜しげもなく使った酒飲みには感涙モノの一杯。あっと言う間に燗酒は色づき、色だけでなく、濃厚な香りが酒と絡み合って極楽気分。

この日は、やたらと燗酒とヒレをお代わりしまくって、約3時間ひれ酒を味わい続けた。すっかり酩酊。健康なことはつくづく有難い。

酔ったついでに、干しているヒレを見せてもらった。写真では分かりにくいが、思った以上に大きい。実際の海で泳いでいた力強さを感じる立派さだ。養殖物は小さいだけでなく、一種の奇形でいびつな形の物も多いらしい。

干して焼くことで相当縮んでしまうらしいが、この日、何度も出してもらったヒレは相当立派だったので、きっと富豪クラスのフグのヒレだったのだろう。

思い起こせば高校生の頃、早熟だった私にこの店の若旦那が、極上のヒレを進呈してくれたことがあった。

学校で人目を避けながらコソッと渡されたアルミホイル。怪しい取引のようだが、今はやりのクスリなどではない。中味は立派なふぐのヒレ。

大して呑めもしなかった私が「酒は熱燗に限るなあ」とかなんとか語っていたのを聞いて、気を効かせた彼が持ってきてくれた。

本物のひれ酒など知るよしもない私は、貴重なヒレを無駄にしてしまってはマズいとちょっとビビッたことを懐かしく思い出す。

あれから25年以上の年月が過ぎた。純情のかけらもない中年オヤジになったが、ひれ酒の味わいを堪能できる味覚と友人の有難さを痛感する感性だけは、あの頃より敏感になった気がする。

2008年11月19日水曜日

政治と門外漢

最近、政治家のブログがヒット数を増やしているらしい。中には人気芸能人ブログ並の注目を集めているものもあるそうだ。

国民の関心が政治に向いている端的な証だ。これも不況が原因だろうか。

寿司屋などでは、板前さんが、客との雑談で政治ネタ、宗教ネタは避けるという不文律があるが、政治ネタに触れない方がスマートという感覚が日本人には根強い。

軍国主義体験、学生運動の末路などのトラウマが国民性に影響していることは確かだろう。政治ネタを熱く語ることが、格好悪いこと、無粋なことという刷り込みが広範囲に浸透している。

インターネットや、ブログの急速な普及は、こうした政治への消極姿勢に確実に変化をもたらしている。増殖するブログは、ある意味、国民総記者時代の到来を意味する。

刷り込みによって政治ネタを語ることを封印されてきた人々の漠然としたうっぷんがはらされるツールになっている側面もある。

官僚機構が実際の政治の枠組みを支配し、誰が首相になろうと、どこが政権を取ろうと、国の在りようが大きく変わらなかったのがこれまでの現実だ。

凝り固まったこのスタイルが限界に来ていることを国民自身が肌で感じていることも政治への関心の高まりと深く関係している。

度重なる政権放りだしに続いて、選挙のために選ばれた首相は、経済問題をタテに唯一の役目だった解散のことも忘れ、何がしたいのかサッパリ分からない。

深刻な経済問題を前に、政治空白を避けるために解散が先送りされたところまでは一応、理にかなっているが、肝心の「その先」が見えないまま。

まさに「いまそこにある危機」への切迫感が感じられない政権運営に国民の困惑は深まり続けているのが現状だ。

最近、漠然と感じるのが、職業政治家の限界。麻生首相の行動パターンも結局、政治のプロとしての予定調和の上だけで成り立っているように見える。

先人の行ってきたパターンだけが、自らの行動規範になっているように見えるが、これって結局、祖父も義父も首相経験者という特殊な環境にある麻生首相の宿命的なものだろう。

目新しいことをしようにも、せいぜい、閣僚名簿の発表を官房長官にさせずに自分で買って出るぐらいのレベル。スーパーに出かけて買い物客と談笑したり、学生と居酒屋で懇談するようなパフォーマンスも、前時代的な狭い枠での思考のように思える。

先日急きょ行われた小沢氏との緊急党首会談もなんだかサッパリ意味不明。ケムに巻くような話を難しい顔をして語る姿は、確かに総理大臣ぽいが、結局、「既成概念の中の総理大臣」を演じているだけのように見えてしまう。

かといって、対抗馬である民主党の小沢党首も、これまた「政治のプロ」としての臭いがプンプン。ひょっとすると小沢氏がイメージする総理大臣像は、麻生氏よりも既成概念に支配されているかも知れない。

二世、三世議員ばかりが増える政治の世界は、過去の踏襲、前例重視の傾向がますます強まってしまう気がする。これこそが世襲の弊害だろう。

どこの世界だって偉大な先代のあとを継いだ者が、先代以上に活躍するケースは少ない。大半は小さくまとまってしまう。政治の世界でこういう縮小が生じれば国にとって悲劇だ。

国民の直接投票で大統領を選ぶ米国は、予備選を含めた候補者のなかで、もっともプロっぽくない人物を選んだ。プロっぽくない人物が選ばれる制度は、リスクもあるだろうが、閉塞感でどん詰まりのわが国から見ればうらやましい。

どんな分野でも改革に必要なのは、ただ一つ。思いきった決断だ。これができるのは、結局しがらみのない人であり、しがらみのない人って、結局その道のプロ以外の人ということになる。門外漢の知恵はあながち捨てたものではない。

今日は、微熱があるので、こんな楽しくない話をダラダラ書いてしまった。ちょっと疲れた。

外国人とか、高校生とかが政治をやったり総理大臣になったほうがいいのかもしれない。

最後は投げやりになってしまった・・・。

2008年11月18日火曜日

夜の貸し倒れ


繁華街がどことなく寂しい感じになっていることは以前にも書いたが、昨今の不況風は、夜の街から確実に活気を奪っている。

週刊誌などでも、銀座のホステスさんが不況で悲鳴みたいなノリの記事が増えているが、実際に客足は減り続けている様子。

私のような不真面目な客にも「いつ来るんだ?」、「早く来い!」、「何してるんだ!ばか」みたいなお誘いとか脅迫めいたお誘いが増えてきた。

その昔、ホステスさんの営業攻勢は、当然ながら電話が多かった。携帯の普及前は、彼女たちも会社宛に電話しなければならないわけで、それなりに面倒だっただろう。

いまはメールの進歩で、馴染み客に対して一斉に同じ文面を送れるわけだから、昔のホステスさんからすれば、IT化はうらやましいはずだ。

会社宛に電話がかかってきても、会議中だの不在だの、はたまた、取り次ぐ女性社員にあらかじめ伝達しておけば、最初からガードしちゃえた時代が懐かしい。

携帯にかかってくる電話は、おせっかいに誰からいつ連絡が来たのか記録されるので、すっとぼけられないのが困る。電子メールは、突然飛び込んでくるうえに、やはり受信記録が残り続けて気になる。

私の場合、営業されたから店に顔を出すパターンってあんまり無いと思う。ふらっと行きたいときに行くパターンが多い私には、あまり熱心にお誘いされても、効果がないような気がする。

ただ、営業メールのおかげで、忘れちゃってた店を思い出すこともあるので、まあ仕方ない話。いざ行ったときにノンビリくつろがせてもらうためには、営業攻勢に付き合うような浮世の義理も必要だ。

ホステスさん達も、いわゆる売上げ制の場合、店という場所を借りているだけの一種の個人事業主のような存在。コストも自腹、ツケで飲まれた分の保証も自腹。不況になるとツケの踏み倒しが結構悲劇を呼ぶらしい。

気前よく飲んでいたほうは、いざ払えなくなっても、無いものは無いと無責任に逃げる。ウイスキーの原価を考えて、あとは氷や水くらいなんだから、高額なお勘定とはいえ、店の損害は大したことないとタカをくくる客も少なくない。

確かに物理的な原価を考えればそう考えそうだが、取りっぱぐれになった金額は、そのままホステスさんが弁償するわけだから、原価うんぬんの話では済まない。なかなか厳しい話だ。

店の帰り際に、支払いもせずにスッと出て行くのは確かにラクだし、気分のいいものだろう。接待相手への気配りとかを大義名分にその場で支払わず後日まとめて支払う客は多い。

私の場合、あとから請求書が送られてくるのが単純に好きではないので、その場で精算する。同席した相手に気配りしたければ洗面のついでに支払えばすむこと。

だからおもむろに立ち上がって「それじゃ」ひと言、颯爽と店をあとにするような経験がない。いつもダラダラ。

ホステスさん達がちゃんと確定申告をしていればという前提つきだが、今度の申告シーズンには、夜の世界からの貸し倒れ損失の計上が爆発的に増えることは確実だ。

ついでに無防備な私への営業攻勢も不況とともに強まることは確実だろう。

2008年11月17日月曜日

尿酸値とレバ刺し

尿酸値が標準の範囲におさまっていた。ビックリ。血液検査から2週間ぐらい、あえて結果を聞かないで、その間、食べ納めとばかりにキモ類を食べていたが、今後もドシドシ食べられるようだ。

数値は6.9。最近は8とか9とかだったので実に優秀。一応7.0までがセーフで、医師によっては7.5までを許容してくれるらしいので、私の数値は立派なものだ。

無罪放免となった私が、まっさきに食べたくなったのが鶏のレバ刺し。自宅近所の焼鳥屋「T」に常備されている至極の逸品だ。

みるからに旨味タップリのその姿形に惚れ惚れする。ごま油で食べるのもアリだが、醤油にニンニクおろしとショウガとワサビをすべてミックスして食べると抜群。

もともとは、3種類のいずれかを好みで使うように用意してくれたものだが、全部混ぜると不思議と新しい味がして、極上レバ刺しにピッタリ。

このレバ刺し。クセはまったくなく、クリーミーなくせに後味はサッパリ、かといって淡泊ではなく、濃い甘みが口中に広がる。牛や豚のレバよりも軽くて飽きの来ない味わい。病みつきになる。

この焼鳥屋、素っ気ない作りの微妙な店構え。デートか接待とかに使えるような店ではない。汚くはないが、綺麗でもない。確か、以前は居酒屋だった店舗を居抜きで使っている。

皿やコップもビールメーカーや酒屋の試供品なんかが中心。極端にいえば、寝間着でもジャージでも行ける雰囲気。そういう店で絶品の焼鳥が食べられるのが面白い。

レバ刺し以外の焼きものも高レベル。銀座の某有名高級焼鳥店と実は同じ仕入れ先から鶏を調達しているわけだから、肉質は確実。安定的に美味しい。

物価高の影響でチョッピリ値上げしたが、焼鳥1本140円が160円になったぐらいの話。大勢に影響ない。メニューの値段を見ずにアレコレ食べまくってもお勘定の心配は不要。

携帯での撮影なのでうまく伝わらないが、ハツがまた旨い。。ぷりっとジューシーで、焼きすぎない加減がまた絶妙。銀座あたりなら1本500円は取られる。

レバだって生で出すわけだから、ササミなどは焼きもので頼んでもご覧のような半生状態で出てくる。私の場合、体重が気になるときは、ササミばかりいろんなパターンで食べるようにしている。

お次は、せせり。首の肉だ。鶏の動きを思い起こせば分かるが、ひょこひょこ首ばかり動かしているせいで、首まわりの肉は適度に筋肉がついている。味わうと実に締まった肉感が堪らない。これも私が必ず注文する1本だ。

これからの季節、この店に行くと、焼酎のお湯割りを片手にダラダラ食べて呑んで過ごす。家の近所という鎧兜を脱いだ場所だけに、いつもヘロヘロになる。

情けない格好で蛇行しながら徒歩5分かけて自宅にたどり着く。気を抜いて呑める店も大事な存在だろう。

2008年11月14日金曜日

おでん割烹 つみれ

銀座のおでん屋といえば「おぐ羅と」と「力」、「やす幸」しか行ったことがなかったので、新店開拓をもくろんで西五番街にある「おでん割烹つみれ」に行ってみた。

雑居ビルの上の方に構えるしっぽりした風情の店。カウンター中心だが、狭い店ではない。元は寿司屋だった店舗を使っているらしく、カウンターの居心地は悪くない。

忙しく働いているのは中年の女性ばかり。客層は大人が中心。新橋寄りの銀座とは違って、水商売系のお客さん出没率は低そう。

さて、肝心のおでん。透明というか薄茶色の関西風。黒っぽいおでんは東京から駆逐されつつあるのだろう。こちらも、いわばお吸い物系のおでんだ。

壁に掛かった短冊につまみや一品料理とともにおでんのラインナップが書かれている。
古典的なものから変わり種まで結構な種類。

お味はそれなりにオイシイが、個人的にはちょっとヌルい感じが気になった。店の雰囲気は特別上品ってほどでもないが、おでん自体は少し上品すぎる感じ。

かき、たまご、はまぐりのおでんを撮ってみた。少し単調な味付けだが、充分オイシイ。たまごは、画像の通り、半熟状態で出される。これはこれで旨いが、汁が染みこんだたまごのおでんとどちらがいいかは微妙なところ。

これ以外に、ごぼう天、海老シュウマイなどを食べた。店名通り、つみれが特徴的で、ここでは鮭、鰯、鶏の3種類が用意されている。

どれもそれなりに美味しかったが、印象に残ったのは、自家製しめ鯖とポテトサラダ、ぎんなんといったおつまみ。しめ鯖がとくに良かった。

気分よく飲んで食べてお勘定してちょっとビックリ。強気の値段。銀座のおでんというジャンルはそもそも独特の値付けが珍しくない。この店でもそこそこの金額を想定していたが、想像よりもお高い。

トータルバランスを考えると、悪くはないものの、何かグッと刺さるものがない感じ。個人的には「おぐ羅」の方が好きだ。

2008年11月13日木曜日

葉巻の時間

寒くなると葉巻愛好家にはツラい季節の始まりだ。強い臭いと煙のせいで、なかなか室内では楽しむところが少ない。私の場合、いろいろ工夫はしているが、やはり屋外で楽しむことが多い。

書斎代わりに占有している自宅の部屋には、葉巻を楽しめるように換気扇を2箇所つけて、ドアの下のわずかなすき間には目張りを貼って臭いが家中に漏れないようにしてある。

それでも、自分でふかしたくせに臭いが残った部屋は、なにかと居づらい。結局、ベランダにリクライニングシートを持ち出して葉巻タイムを過ごすことが多くなる。

真冬は、完全な防寒着を着込んで小1時間、葉巻と付き合う。手袋もアウトドア用の指先だけ出せるものを愛用している。葉巻を持つ指先はやはり素肌じゃないと落ち着かないせいだ。

ただ、この手袋、5本の指全部が第2関節から露出しちゃうので、本当に寒いときは、やはり寒い。こういうときは、人差し指と中指部分だけ先っぽを2センチぐらいカットした軍手を愛用する。涙ぐましい努力だ。

海外のネット通販で安くなっているキューバ産葉巻をまとめ買いするのが私のパターンなので、実は決まった銘柄ばかりがヒュミドールに貯まっている。

先日、そんな私にとって嬉しいプレゼントをいただいた。高価かつ珍しいキューバ産葉巻だ。

ロメオYジュリエッタのロブストサイズの限定品、その名もエディションリミターダとボリバーのゴールドメダル。とくに後者の方は味わったことがないので楽しみ。

調べてみたら、1992年に製造中止になったものの根強いファンの要望で復活した逸品らしい。長めのロンズデールサイズ。ハバナ産シガーの中でも圧倒的なアロマの強さが特徴らしい。

普段食べないガッツリ味のステーキでも食べないとこの葉巻を味わうには物足りないかも。

食後に楽しむ葉巻のために食事を選ぶほどのシガーマニアではないが、珍しい葉巻とか極上品を楽しむときには、そのぐらいのこだわりを持って向き合いたい。

2008年11月12日水曜日

高額納税者に気配りを

総額2兆円の予算規模で予定されている定額給付金問題が迷走している。選挙対策の側面が強いため年度内給付にこだわる麻生内閣だが、これが迷走の原因。

もともと全世帯給付を前提にしていたが、高所得者層にまで給付金を配る必要はないという、相変わらずの「金持ち冷遇政策」のせいでゴタゴタ。歴史的に見てもマヌケな議論が行われている。

1500万円あたりを基準にして、それ以上の所得がある人には給付金の辞退を求めるというショーモナイ方法が真剣に検討されていた。昨日になって急きょ、所得制限は設けず、高所得者層には「自発的辞退を求める」という実に摩訶不思議な路線が採られることが固まった。

所得制限を急に引っ込めたのは、高所得者に配慮したわけでもなんでもない。あくまで給付金の実施窓口になる市町村の混乱を避けるという技術的な問題が原因。

とにかく歴史的なトンチンカンだろう。自己申告で富裕層には自発的な辞退を促すなんて制度は聞いたことがない。実にいいかげん。

メディアが真面目に報じれば報じるほど、そのトンデモぶりを何となく「そんなもんかな」と思ってしまう人も多いのだろう。

でも常識的に見て、そんなやり方は政策とか制度という言葉にも値しないハチャメチャなものだ。

緻密さもなければ工夫のかけらもない。

百歩、いや千歩譲って、“自己申告による辞退方式”を採るのなら、はなから所得基準など必要なかったはず。

政府では「自発的辞退」を求める階層の所得ラインを課税所得1800万円程度に設定。一種の所得制限的発想だが、まるで意味のない話。辞退すべき、辞退したいと思った人が辞退すればいい話。そもそも「辞退」ってそういうものだと思う。

画一的に所得金額のみで豊かかどうかを線引きすること自体がナンセンス。当初想定されていた制限ラインである1500万円だって、この程度の所得で富裕層とかに区分されるのは変だ。ちっとも富裕と呼べるラインではないと思う。

ついでに言えば、1400万円の所得がある何のしがらみもない自由な独身貴族は給付金をもらえる。かたや1500万円の所得があるものの、子だくさんで年老いた親の介護もしながら多額のローンを抱えている人には給付金を辞退しろという馬鹿げた話だ。

高額所得者かつ高額納税者は、もともと国を支えている存在だ。こういう階層にまったく気配りしないで平気な神経は問題だろう。

税金を納めていない人にまでカネをばらまくため、減税という真っ当な政策を選ばずに給付金を言い出した断末魔の現政権。経済対策、景気対策というお題目ならば、やはりまっとうな減税を納税額に応じて一律に行うぐらいの英断が欲しい。

納めた税金の一定割合を減税するという単純な発想で成り立つ話だ。高額納税者には、当然、高額な税金がバックされ、消費刺激にも効果を発揮することは確実。低額納税者へのバックは少額になるが、それはそれで当たり前の話だと思う。

高額納税者を冷遇する政策って、所得税すら納めていない階層には大好評だろうが、国の財政上、この階層の声ばかりに気を取られたら本末転倒だ。

ここ数年、選挙権を18歳以上に引下げたらどうだという議論が根強いが、選挙権の見直しをするなら年齢要件より、一定納税額基準を追加したほうがよっぽどマシな気がする。

暴論と一蹴されてしまいそうだが、そのほうがマトモな政策が増える気がする。

2008年11月11日火曜日

高田馬場 鮨源

このブログでもひんぱんに取り上げている高田馬場の「鮨源」。建設中だった本店ビルが完成して、駅前ビルの仮店舗から真新しい店舗に戻ってきた。

もともとの古いビルを取り壊し、威風堂々たるモダンな感じの建物に生まれ変わった。

韓国なんかに行っていたせいで、正式オープン前のせっかくのお呼ばれに参加できず、新装後数日後にふらっと行ってみた。

黒っぽい外観のスタイリッシュな建物。知らなければ入るのをためらう雰囲気。中に入れば、高田馬場的な気配がいっさい存在しない上質な空間。もともと知っていた人以外は、ちょっと緊張を強いられるかも。

まあ、お寿司屋さんに限らず、新装したての店の綺麗さは、少しは客を緊張させる。私も白木のカウンターに粗相をしないよう気をつけたりして適度に楽しい緊張感がある。

以前のビルと同様、1階にはカウンターのみ。といっても、店に入って左右にカウンターが設置されているため、小箱な印象はない。

2階以上には個室や宴会場もあって、主に大人数対応。周辺数キロ範囲にちゃんとした大人向けの高級店がないエリアだけに、年末年始にかけて賑わいそうだ。

さすがに新装したばかりとあって、スタッフの動きが、お運びさんなどを中心にやや大変そうな雰囲気。そのバタバタ感もまた、新しいお店特有のお祭りみたいなもの。既に馴染み客ヅラをさせてもらっている人間にとっては楽しい。

握り手さんは基本的に4人。鮨源のチェーン店は帝国ホテルや新宿のデパートなどにあるが、それぞれの店舗の板さん達は、基本的に固定というか、根付いているため安心感がある。

もう10年近く前のこと。私が初めてこのお店を訪ねてから、同じ顔ぶれが働いている。頻繁に板さんが移動してしまうようでは、客側は落ち着かないが、その店、こちらは居心地がよい。

お値段は高級だが、ネタは完璧。スタイリッシュすぎる昨今の高級寿司店とは一線を画し、親しみやすい高級店という表現がマッチする。

新しいビルになってその路線が変わらないことを願うが、この日、帰り際にいただいた土産物の中に、昔ながらの湯飲みがあったのでひと安心。

はっきり言って古典的かつベタな湯飲み。悪い意味ではないが、ちょっとドンくさい。でもその感じがいい。お洒落な小物とかをお土産に持たされたら、ここもイマドキ風な路線に転換しちゃうのかと心配したくなるが、いい意味で、昔ながらのお寿司屋さん的路線が妙に嬉しい。

こういう湯飲みを用意する感覚は、ハヤリモノとかスタイリッシュが苦手な私のツボにはまる。

遠からず新装開店のバタバタ感がおさまるだろうから、会社からタクシーで10分もかからない地の利を生かして足繁く通うことになりそうだ。

2008年11月10日月曜日

ソウルで食べた、思った・・

ソウル旅行で口にしたのは、あまり日本ではポピュラーとはいえないものが中心。普通の焼肉なら東京でいくらでも食べられるし、最近はあまり牛肉に食指が動かないので、豚肉を好んで食べた。

いわゆる三枚肉をワインに漬け込んで熟成させる今どきのサムギョプサル屋にも行ってみた。

ソウルの場合、専門店は専門のものしかメニューに並べていないことが多く、この店もアレコレ珍味を食べたい私にはあまり面白くなかった。豚肉はそれなりに美味しく、特製マスタードやカラシ醤油、塩コショウとか好みで味わえる。

一風変わった調味料として面白かったのが、きなこ。カリカリに焼けた豚肉の脂が意外にきなこの甘さに合う。クセにはならないが試す価値のある味だった。店はCOEXモールそばの「ZENZEN」という店。

お次の画像は、ロッテワールドデパートにあるレストラン(名前は忘れた)で食べたカルビチム。これは結構旨かった。デパート内のレストランとはいえ、ちょっと高級路線の店のようで、現地の有閑マダムで賑わっていた。

カルビタンとかクッパ系のスープ系の料理に入っている骨付きあばら肉が主役の料理で、ここの店では鍋焼風。栗やキノコ類、ネギがどっさりトッピングされ、ゴロゴロ入っている肉といい感じで融合している。甘すぎない甘めの味付けで現地の焼酎とよく合う。

まあソウルで食べたものなど読者の方々には何の参考にもならないだろうから、この辺にしておく。

今回、地元のスーパーをぶらついていて、目に付いたペットボトルにビックリ。腰が抜けた感覚に陥った。その名も「17茶」。
日本でお馴染みの十六茶のパクリだろうが、日本より1種類多くしているところが韓国人の発想らしくておかしい。

それにしても、ここまでパクリが普通になっている国って面白い。そのうち、「コカコーリ」とか「メルセデスベンザ」とか「カッペヌードル」とかも出てくるのかも知れない。

まあ大半の韓国人にしてみれば、自分が接している商品がパクリものだとは知らないわけだし、彼らにとってはどうでもいいことなのだろう。

もっとも、彼ら特有の考え方で、パクリものの方こそ元祖だと言い始めそうな気もする。

ちなみに一部で有名な「ウリジナル」という言葉をご存じだろうか?韓国語で「我々の」を意味する「ウリ」と「オリジナル」を掛け合わせた造語だ。

柔道だろうが相撲だろうが、醤油だろうが寿司だろうが、漢字の発明だろうが、すべて朝鮮半島が起源だと信じる人が大勢いるらしい。最近ではサッカーの起源までアチラだという説もあるとか。

なんとも凄いたくましさではある。ある意味、そういう図太さを日本人も見習った方がいいのかもしれない。

私はイヤだが・・・。

さてさて「17茶」。お味の方はヘルシーでサッパリ。悪くない。マイナー商品だと思っていたが、どこの店でも見かけたし、派手な広告もあった。すっかり地元では市民権を得ていることに恐れ入った。

確かに「十六」より「17」のほうが数字の上では勝っている。勝ち負けとかいう次元の話ではないが、変な気分だった。。。

2008年11月7日金曜日

ソウルで見たお金持ちの世界

円高ウォン安が猛烈だとのことで、韓国・ソウルに行ってきた。家族旅行で近場に行こうと画策していたが、なぜか韓国になってしまった。ひとり旅じゃないので、いたって健全な旅・・・。

まだ寒くもなく、天気も良かったのでブラブラ散歩しながら読めない看板を凝視してハングル酔いを楽しんだ。ノンビリしたかったので、ホテルは江南地区のグランドインターコンチネンタル。広めの部屋を取ってそこそこ快適に過ごした。

江南地区はいわゆる新興エリアで、東京でいえばベイエリアのようなものだろうか。東大門、明洞あたりの騒々しい感じはまったくなく、落ち着いた雰囲気。

グランドインターコンチネンタルは、新羅ホテルに次ぐ格式があるといわれる高級ホテルだが、巨大モールやデパートにも地下でつながっており、ホテルに缶詰めになって過ごす心配もない。

大きなホテルではあるが、高層なので、敷地全体の動線は問題なし。毎晩通ったホテル内のサウナにも部屋から簡単に行けるし、朝食のやたらと豪華なビュッフェレストランにもエレベーターで簡単にアクセスできる。

クラブフロアも同様、いちいち建物内の移動が大変なホテルは多いが、その点、このホテルは便利。高層階に宿泊すればクラブラウンジの軽食、飲食サービス、サウナも無料、使い倒せばかなりお安いオススメのホテルだ。

もっともこの実感もウォン安のお陰だろう。
ホテルレストランは別として、街なかでの食事やちょっとした買い物、タクシーの移動、どれもが妙に安かった。1年前の半値ぐらいという指摘もあるようだが、為替レートの観点から、もっともオイシイ時期に旅行できたのはラッキーだった。

つくづく家族旅行じゃなかったら、強い円をバックに相当イケナイことをしてしまったような気がする。それはそれで困ったもんだから、良しとしよう。

今回の旅行で印象的だったのが、韓国の階級差について。もともと身分制度が近代まで徹底していた国だけに、いまでもいろいろな因習があることはよく聞く。

今回感じたのは、そうした制度的な面ではなく、「金持ちか否か」が実に明確に線引きされていた部分だ。

狎鴎亭洞(アックジョンドン)というエリアには、その他の街とは明確に異なる空気が流れ、歩いている人、走っている車、並ぶ店それぞれが完全に超高級指向に貫かれている。

ちょっとしたカフェやブティックでもバレットパーキングが当然のように用意され、他の街の高級店とは別個の“住む世界が違う人だけ相手してますわよ”的なオーラがプンプン。

ベントレーやマセラッティ、カイエンターボあたりをゴロゴロ見かける。ソウルでは、ドイツ車、日本車を笑っちゃうぐらいそのまんまコピーしたモノマネカーをイヤッというほど見かけるが、このエリアにはそれがない。ちょっと驚く。

「メンジェー店」で正札から5割引とかになっているネクタイを買って喜んでいる私にとっては、妙に居心地が悪いほどハイソ感が漂う。

暇にまかせて人間ウォッチングをしてみたが、歩いているオバサン方の身に付けているものは見るからにセレブ風。みなさん髪型が崩れたパンチパーマ風なのはご愛敬だが、なんとも独特。ディープなソウル旅行では味わえない一断面だろう。

以前ソウルに旅した際にもタクシーの運転手さんに頼んで高級住宅街を見学したことがある。東京の場合、高級住宅街といっても合間合間に普通の家も混ざっているのが常だが、私が見て回ったエリアにはそれがない。すべて豪邸。豪邸というか、豪邸であることが見えないぐらい高い塀に覆われた要塞みたいな家が並んでいた。

東京には本当のお金持ち専用エリアってあるだろうか。部分部分ではそういう要素もあるだろうが、あちらのように純粋に区分されている印象はない。エセリッチが歩いても楽しめるところばかりだろう。

今回ソウルで見たのは、エセリッチではきっと退屈するぐらい完全な金持ち御用達地区。実に興味深かった。

2008年11月6日木曜日

ネット社会の偶然

ブログを日々作成しながら、こんなことを書くのも恥ずかしいが、私はパソコン関係が相当苦手だ。このブログだって、会社のシステム担当者がいなければ更新もおぼつかない。だから週末は休載しているのが実情だ。

以前、このブログで画像に写った自分の顔をリチャードギアに差し替えたことがあったが、あれも、社内デザイナーの協力あっての話。私の知識では無理。

パソコンが苦手だなどと言っても、今の時代は自慢にも何にもならない。一応、このブログのお陰で、色々なことを学べたので、苦手なことにトライしてみることも必要だと痛感している。

このブログにどんなキーワードでアクセスしてもらったのか、どんな題材だとサイト滞在時間が長くなるのかとか、自分なりに検索エンジンの傾向がほんの少し理解できた。

嬉しいハプニングもあった。先日、高校卒業以来、1度くらいしか顔を合わせていない旧友から突然メールをもらった。

「よく読んでいる『富豪記者』とかいうブログがあるのだが、ひょっとしてこれを書いているのはお前か?」という内容だった。

プロフィールなどからピンときたそうだ。世の中に無数にあるブログの中からこんな偶然につながるとは驚きだ。彼も相当狭いキーワードの題材から、このブログを見つけてくれて、時たま読んでくれていたらしい。

もともと、同窓生の中に偉い男がいて、高校卒業から20年以上経ったときに、同窓生のメールアドレスを集約して、いわゆるメーリングリストを手間暇かけて完成させてくれた。

お陰で日頃交流のない旧友にメールで連絡を取るのが簡単になったことも今回の偶然発覚のきっかけではある。

私も先日本屋で立ち読みしていたホームシアターの専門雑誌に、旧友が得意げに導入事例に自慢のマンションとともに顔出ししていたのを発見したから、近いうちにメールを送って冷やかしてやろうと思う。

苦手意識ばかりが先立つネット社会とやらだが、考えてみれば、私も充分恩恵を受けている。捨てたものではない。

2008年11月5日水曜日

タマゴとキモ

食べ物の話と銀座の話とときたま税金の話を書いているこのブログにも、ありがたいことに固定読者様が増えてきた。もっとエロ話とか悪事を書けば喜んでいただけるかも知れないが、まだその勇気がない。

今週、私は先日検査に行ったクリニックに電話をしないといけない。血液検査の結果を聞くためだ。予定では魔の宣告を受ける予定だ。

尿酸値とかコレステロールとかγ-GTPとやらがきっとダメダメ判定を受けるはずだ。最近半年の食生活を思い返せば、決していい結果が出ないのは分かる。今のうちに食べまくっておこうと、ここ半月ほど、その手の数値に確実に悪いものを食べ続けた。

きっと魔の宣告以降は、少し健康的な食事をしているはずだ・・・。

最初の画像は極上のヒラメにウニを載せてもらった握り。池袋の「鮨処やすだ」で食べた逸品。黙ってヒラメの握りを食べていればいいのに、余計な贅沢をしてしまった。

ヒラメ自体、とても味が濃くて食感も最高だったが、ウニをトッピングしたことで、私の口の中はバンザイ状態だった。

「鮨処やすだ」では、ここ2,3回、行けば必ずスジコもつまみで食べてしまう。ただ、しょっぱいスジコと違って、いくらでも食べられそうなネットリ感。海苔なしで握ってもらっても笑顔満開になる味だ。

続いての写真は高田馬場「鮨源本店」で食べた“生イクラ2貫分”。塩にも醤油にもつけ込んでいない生のイクラがこの時期常備してるので、顔を出せば頼んでしまう。

握りで食べようとすると海苔が登場して軍艦巻きになるのが普通だが、この日は、板さんが写真のように出してくれた。

厳密に言えば“握り”ではない。“のっけ”とでも呼ぼうか。小さな木のスプーンで食べる。単純明快に旨い。鮭に心から感謝したい。その鮭とネンゴロになったオス鮭にも敬意を表したいと思った。

寿司屋以外では、相変わらず地元の焼鳥屋「T」で鶏のレバ刺しを食べまくってしまった。珍しく先日は友人を連れて行ったので、いつもより大量に料理を注文。レバ刺しだけでなく、軽く炙ったレバのポン酢和え、砂肝刺しも食べた。おまけにつくねに付け合わされる卵黄もしっかり絡めて食べた。

タマゴ系、レバ系ばかり続くと、いわゆるプリン体を気にして、普通の刺身だけを食べて我慢する日を作る。今の時期、うまい魚といえばカツオだ。

ところが、カツオの身には魚の中でもトップクラスでプリン体が多く含まれているのだそうだ。内臓でもないくせにどういうことだ!と怒りたくなる。

カツオにも裏切られてしまった私の血液検査の結果は、近いうちに報告します。

2008年11月4日火曜日

ラーメンだとか蕎麦だとか

いつの頃からか、本格的な日本蕎麦専門店がやたらと増えてきたような気がする。

街場の出前中心の蕎麦屋があまりにいい加減なそばを出すせいなのか、地粉、手打ちといった言葉をうたい文句にする店が増えた。

そば好き脱サラ組が始めたような小さな店も増殖中。いい加減だった蕎麦屋が、息子に本格的な修行をさせて変身するケースも多いと聞く。

私はラーメンのウンチクを語る人が苦手なのだが、最近のそば好き達にも、どうもラーメン党と同じような気配を感じる。

「ラーメン命」みたいにアチコチのラーメン屋を食べ歩き、麺がどうなの、スープはナントカ系がどうしたあーしたと真剣に語っている人は結構多い。

若者ならいざ知らず、そこそこの中年にまでそういう類の人がいる。聞いていて、なんかコソバユイ変な気持ちがする。

「要はラーメンだろ?」。
そう切り返したくなる。私にとってラーメンは「たかが」であって、「されど」だとは思わない。普通にウマイかマズイか、麺がのびていないかどうかぐらいがポイントだ。

ラーメンマニアの人、スイマセンです。

先日、普段は行列している池袋の某ラーメン店に入ってみた。列に並ぶことが嫌いな私だが、その時は変な時間だったので、並ばずにさっと座れた。

全然美味しくない。ただギトギト。ひとことで味を表現すると「変な味」。いまどきのラーメンのハヤリは分からないが、わからなくてもいいやと思う。

さて、話がそれた。日本蕎麦だ。こちらも蕎麦好きが、ウンチクを語りやすい世界だが、まだラーメンよりは、ジャンル自体が狭いというか確立されている。

変わりそばは別として、基本のそばについては、色、香り、つゆのどれをとっても一定の土俵で勝負している世界なので、適度なウンチクなら聞いていても素直に頷ける。

それでも、極端に「そば命」みたいに深~い話をとうとうと語られると「要は蕎麦だろ?」と切り返したくなる。

そばマニアの人、スイマセンです。

先日、杉並区某所の「みわ」という本格的蕎麦屋に行った。その道の本などにも良く取り上げられている。

昼時を少しずらした午後の早い時間だったが、待っている人もいる。へんぴな場所なのに人気があるのだからと、かなり期待して「手挽きせいろ」を注文。

見た目もいいし、量的にもまとも。近頃ハヤリの人を小馬鹿にしたような量しか盛りつけない店より好感が持てる。

お味は期待しすぎたせいもあって、「ふむふむ」程度。一般的には充分美味しいのだろうが、いまひとつ香りに欠ける。でも近所にあれば頻繁に行きたい店だ。

杉並区には古くからの有名店「本むら庵」があるが、個人的には「みわ」の蕎麦の方が気に入りそうな気がした。

増殖中の日本蕎麦専門店にひんぱんに行くわけではないが、ここ2,3年で印象的だった店はいくつかある。

千代田区・九段下の「一茶庵」。中野区の「じゆうさん」あたりだろうか。そのほかにもちょこちょこ行ったが、評判ほどには印象に残らなかった。

3年前に島根に行った際に立ち寄った出雲そばの専門店がここ数年では最も美味しかった記憶がある。残念ながら店の名前は忘れてしまった。

そういえば、もう10年近く前、当時交流のあった食通おじさん達と一緒に山梨まで名店「翁」のそばを食べに行った。

先代の御主人が広島に移転してしまう前のことで、酒を呑まない運転手さんも用意して、ワンボックスを仕立てて日帰り蕎麦の旅。

周辺の空気の美味しさが印象的だった。冷酒を片手に、しゃもじに乗せられた焼味噌を堪能。そのあと抜群に香り高い蕎麦を堪能した。いい思い出だ。

なんだか、蕎麦ウンチク野郎みたいになってきたのでこの辺で。。。