小学校から高校までずっと男子校に通った。
私にとっては、その生活しか知らないので特別な印象はないが、人様に話すと驚きや同情といった反応が返ってくる。
私の母校は、運良く周辺に女子校が山のようにあったので、思春期らしい経験にもそれなりに恵まれた。だから男ばっかりでも男子校の良い面ばかりを経験したように思う。
同じ年頃の男子でも、それぞれの路線はバラバラ。ガリ勉、運動派、ナンパ派などのパターンが一般的。その一方で「オカマ派」の存在がしっかり確立されていた印象がある。
オカマという呼称は今の時代、差別用語との指摘を受けるので、ここからは「ニューハーフ」と言い換えることにする。ニューハーフじゃなんかピンと来ないが・・。
最近、テレビをつければニューハーフのオンパレードだ。私が10代だった頃に比べて格段に彼らの社会進出は進んだ。一種の文化人並みに扱われているように見えることさえある。
私の中・高校生時代に“その道”まっしぐらだった旧友達は、あの頃より生きやすくなっているのだろうか。
私が通った学校は、小さい頃からエスカレータで上の学校に進むため、良くも悪くも狭い世界でいろんなことに見聞を深めた。男とは思えない“そっち系”の級友がいても、それはそれ。ハレモノに触るような別扱いまではしていなかったような気がする。それなりに学校やクラスに溶け込んでいたと思う。
まあアチラの世界のことはよく知らない、というか正直知りたくないが、単にナヨナヨした男と、いわゆる性同一性障害とは分けて考えないと行けないことは確かだ。後者は文字通り障害なので、コトはそう簡単ではない。
自分の性別が受容できないまま、自分が認識しているのとは反対の性別で生きていくのは結構悲惨だろう。
単純に自分に置き換えて考えてみた。男だと思っているのに、ずっと女性の格好をして、女性らしく振る舞い、女性の言葉を使って暮らさなければならない自分を想像してみた。どうにも耐えられない。そうした障害というか病気になっている人に対して安易に後ろ指はさせないと改めて感じる。
もちろん、病気や障害というレベルではなく、単純にナヨナヨしている男は嫌いだが、その線引きはこっちにはわからないのだから、それはそれで困る。
私の男子校時代にも「ニューハーフ系」はいっぱいいたが、いま思えば、ただのナヨナヨとは違う“筋金入り”もいた。噂では今もその路線を貫いて堅い仕事を化粧をしながら立派にこなしているらしい。
当時、そうした人々が自分の苦労や辛さをテレビなんかで訴えることはなかった。いま活躍中のその道の人達は、世の中に知識と一定の理解を広めているわけだから彼らの存在も意味があるのだろう。
性同一性障害に限らず、障害を持つ人が障害を堂々とアピールすることは、障害に無縁な人達の理解度を広めるために最適だという考え方もある。そう考えると売れっ子ニューハーフの使命って大きいのかも知れない。。
ところで、やたらとテレビに出ている売れっ子の美人ニューハーフが男子校出身であることをカミングアウトした本を見る機会があった。
私の母校出身だという噂を聞いたので確認してみた。本に使われている学生時代の集合写真を見ると確かにわが母校の制服だ。何年経ってもそういう路線の生徒がいるんだと思って変な意味で感心した。
男子校だからニューハーフが育つのか、ニューハーフだから男子校に集うのか、はたして男子校という異質な世界との因果関係はあるのだろうか。共学校にはどのぐらいの頻度であういう路線の男子が混ざっているのだろうか。
なぜだか興味が尽きない。
私も中学~高校は男子校でした。
返信削除確かにいました。当時は、妙に「バンカラ」の気風の残る学校でしたが、彼(彼女?)は、ある種、愛すべきキャラクターとして居心地のよいポジションをとっていました。ヤロー共にとっても、よい意味で、心理的なガス抜きになっていたのでしょう。
そいつもそうでしたが、男と女の中間をニューハーフ系とすると、ニューハーフと男の間が今でいう「オネー系」ということだと思います。
英国のパブリックスクールは良家の子弟を教育するために創設されたものですが、その福次的な効果は、『マザーコンプレックスからの脱却』だそうですよ。幼児期の母親が溺愛することによる甘えの共犯構造から将来、指導的な役割りを義務づけられた貴族に相応しい風格と教育を与えることを目的としているわけですね、このようなパブリックスクールの延長と考えられるのが、軍隊や警察における男性社会で、上下の服従関係から親愛の情に至り、やがて保護関係に進むことは容易に想像できます。織田信長と森蘭丸、ユリウスカエサルとルイ15世など枚挙にいとまがないです。ニューハーフなどというセンスのない呼称を使わずに稚児男色家といった風情のある呼称にしてみては?
返信削除By:Coyote
ニューハーフとかオネー系ってなんか軽くて気持ち悪いですよね。男色家とか衆道(しゅどう)くんとか、そういうネーミングが広まった方が文化的な気がします。
返信削除高校は共学でしたが、なぜかそういうカップルが学年に2、3組居たのもあり、今の時代の流れにはあまり抵抗はありません。
返信削除最近そういう方とも知り合い、元々偏見がなかったのもあり、彼も(?!)ふつうの女の子なんだなぁと考えさせられました。
女性からの目線から見ても、後輩の方の【女性へのこだわり】は、見習いたい所です。
mitukiさま
返信削除はじめまして、でしょうか?コメント有り難うございます。いまやあのテの人々がホントに多いというか増殖中ですね。好き嫌いで言えば嫌いですが、、そんな感情論だけではマズイ世の中になった気がします。あちらの世界はあちら側の立場にならないと理解はできないのでしょうね。ちなみに、ほんの100年ちょっと前まで、明治以前には、男色がごく普通のたしなみだったとも聞きます。キリスト教的価値観の到来がなければ今もモノの見方は違っていたのかと思うと不思議です。