2月18日付のこのブログで書いた“師匠”のお通夜・告別式が終わった。50歳での最期だったので会葬者も若い人が多く、さすがに切ない。
故人の性格や生きざまからすると、湿っぽいセレモニーはもっとも似合わないタイプだった。かといって私のような凡人は型通りにお見送りするしかない。
仕事人間でありながら遊びも一生懸命だった故人を偲ぶ人達はまさに多士済々。故人のマルチな活動を裏付けるように、いろんな雰囲気を漂わせた人々が大勢集まった。
印象的だった人の話を書いてみる。故人は趣味でロックバンドのドラムを担当していたのだが、バンド仲間の一人がとてもユニークだった。
見るからにロックミュージシャン。50歳は過ぎているだろうが、ロッカー独特のオーラは喪服を身にまとっていてもプンプン。この人がとにかく良く喋る。
告別式のあと、火葬場でご焼骨を待っている間、すっかりロッカー氏は独演会モード。
「明るく楽しく送ってやろうよ!アイツに湿っぽいのは似合わない!」と故人をネタにした笑い話で周りの人を和ませる。
居合わせた人々は、ロッカー氏の様子にどことなく引き気味だったが、次第に彼に連られるようにそれぞれが故人とのエピソードを披露し始めた。いつの間にやらシンミリモードが和気あいあいの時間に変わった。
興が乗ってきたロッカー氏、しまいには、自分の風貌をネタにして待合室の空気を爆笑とともに一気に塗り替えた。
ほんの数十分前の喪主挨拶で悲嘆に暮れていた未亡人まであきれるやら大笑いするわで大忙し。
中年ロッカー氏の男気に拍手だ。正直、取っつきにくい風貌、本人が言うようにアフガンゲリラのようなオジサンなので一見近寄りがたい。でも優しい人であり、気配りの人なんだろう。
大げさに言えば、ちょっとだけハジけてるあの路線は、ロッカーとしての矜持だろう。ロックが不良や反骨の代名詞だった世代のロッカーだ。型破りとまではいかなくても、バンド仲間をただシンミリとありきたりに見送ることがどうにも腑に落ちないのだろう。
なんだかんだいって彼の“ロック魂”はなかなか素敵だった。御焼骨が終わり、ご遺骨を近親者が拾う時になっても、彼のおかげで場の空気は比較的和やかに流れる。
骨になってしまった場面って、やはり例えようのない淋しい気持ちが支配的になるのが普通だ。でもそんな空気も、ロッカー氏がいちいち癒してくれる。
「骨の量がスゲーなあ。ぶっとい骨がたくさん残っててアイツらしいなあ。実にお見事!」とか言いはじめる。周囲の人も同調し始め、いつの間にか皆さんの顔にも笑顔が見られるぐらいになった。
御遺骨を長い箸でつかんで骨壷に運ぶ収骨の際、たまたま私とロッカー氏が二人ひと組になった。ひとつのご遺骨を二人が1本づつ持った箸で共同で拾い上げるわけだが、元気だった中年ロッカー氏の手先は言動とはうらはらにしっかり震えていた。
悲しくてしょうがない彼の本音が垣間見えたようで、なんかジンときてしまった。ロッカー氏の男気に改めて敬服。あの場に居合わせて心が痛くてしょうがなかった人達は皆、ロッカー氏に救ってもらったようにも思える。
こじつけではなく、こういう流れも故人の御遺徳なのかもしれない。いろんな世界で多様な仲間を持っていた故人の傑物ぶりを改めて思い知らされた。
それにしても、あっと言う間に風になってしまった“師匠”のご遺骨は、量といい、太さといい、まさにロッカー氏が感嘆した通りだった。
存在感が大きかった人だけに最後の最後まで大きさを見せつけられたような気がする。
合掌
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