2010年5月21日金曜日

5月の運動会

最近は5月にも運動会が開催される。なんかピンとこないが、先日初めて季節外れの運動会に行ってきた。

わが家のダウンちゃんが通う支援学校の運動会だ。ウチの暴れん坊はこの4月から近所の保育園に加えて支援学校の幼稚部にも平行して通うことになったのだが、さっそくのイベントだ。

支援学校という関係上、生徒数も限られているため、幼稚園児から高校生までみんな一緒の運動会。

子どもの学校行事には、以前から関心が薄い私だが、支援学校全体のイベントともなれば話が違う。興味シンシンであれこれ眺めてきた。

ダウン症の子ども達について年齢の違いごとの発達を垣間見ることが出来たし、ダウン症に限らず、障害のある子ども達がこなせる作業の多さに目を奪われた。

「へー、そんなことも出来るんだ」などという驚きは、時に彼らにとって失礼な見方でもある。そんなことを思い知らされた。まだまだ修行しないとダメだ。

わが家のチビは、さすがに支援学校全体の最下級生だけあって、まるで何も分かっていない。障害物競走だって当然のように障害物を嫌って逆走する。さすがだ。原始人みたいだ。

それでも桃太郎の格好で歌に合わせて踊っている姿は一応可愛らしい。まあ幸せそうだから良しとしよう。

特筆すべきは先生達の奮闘ぶりだ。「仕事だから」という割りきりでは間違いなくこなせない仕事だと思う。いろんなことをナナメに見たがる私でも素直に感服する。

私自身、これまでの人生で障害のある人々の接点が極端に少なかった。幼稚園から高校まで温室のような一貫校に通っていたこともあり、環境や境遇が大きく違う子ども達との接点自体が少なかった。

支援学校、養護学校の何たるかももちろん、公立学校にある支援学級みたいな制度もまったく知らなかった。

大人になってからもサービス業とか不特定多数の人と接する仕事をしてきたわけではないため、障害の問題を身近に考えた経験もない。

息子のお陰で随分と学ばされている。新鮮と言えば新鮮だ。モノ知り顔で生きてきた割にいかに無知だったかを痛感する。

上の娘にもなかなか良い影響があるようだ。娘は一貫の女子校通いなのだが、弟の居る世界を覗くことで自然と自分の学校では知りえないこと、感じ得ないことを吸収している。

娘の学校の運動会では、私立学校特有の“気”や“匂い”を感じる。お受験という世界の延長線上のような感覚とでもいおうか、うまく表現できない雰囲気がある。

支援学校の運動会は爽快感とか連帯感みたいなイメージが強い。もちろん悲哀に似た空気だって時には漂う。

どっちがどうだという話ではないが、「運動会」という同じテーマでも随分と雰囲気は違う。なかなか面白い。そんなことを知ることが出来ただけでも有意義だと思う。

4月、息子の支援学校の入園式をきっかけに私自身、実はちょっとブルーの日々が続いていた。障害を持つ子どもを普通に受入れているようなつもりでいても、何かの拍子にウツウツモードに入ってしまう。

今回は入園というめでたい場面がきっかけだった。「普通の幼稚園」ではないという事実のせいで、アイツが不憫に感じて改めてウツウツと落っこちてしまっていた。

不憫かどうかなど私の価値観で決められることではないのだが、まだまだ修行が足りないようだ。

これからも私の精神状態はウツウツモードと前向きモードを交互に繰り返すのだろう。一種のバイオリズムのようなものだ。上がったり、下がったり。

つくづく、アイツのせいで色々なことを感じたり学ぶようになった。季節外れの運動会のおかげで前向きモードに切り替えることが出来た。

2 件のコメント:

  1. 障害がある子供達のイベントのお手伝いを少しだけする機会がありました。
    正直少しあった戸惑いは、子供達のキラキラした楽しそうな笑顔に、吹き飛ばされました!こちらのほうが幸せな気分にしてもらいました。やられた!!
                まめ

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  2. まめ様

    お初でしょうか?
    コメント有難うございます!
    そうなんですよね。戸惑いって
    あくまで健常的目線のせいで生まれちゃう
    感覚なのかもしれませんね。

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