2010年10月8日金曜日

ダウンちゃん大暴れ

運動会シーズンだ。わが家のダウンちゃんは5月に特別支援学校の運動会があったのに、秋には併行通園している保育園の運動会もある。親にとってはちょっと困る。先日、仕方なく撮っても見もしないビデオを抱えて出かけてきた。

激しく二日酔いだったので、朝からの参加はキツい。それでも自宅から徒歩3分の距離なので、あせあせとアウトドア用の折りたたみチェアを持って出かけた。

年が明ければ4歳になるわが家のダウンちゃんは、まだまだ頭の回転は1歳半レベルだろう。それでも1年前に比べて格段に進化しているので親として素直に喜ばしい。

目立ちたがり屋なのか、マヌケなのか、ヤツは随所で観客の笑いを誘う。上手に音楽に合わせて踊る時も、ひとり友達の輪から別の場所でダイナミックに躍動する。ジュリアナのお立ち台にのぼっていたバカを思い起こさせるような目立ち方だ。

園庭一周の徒競走は第3コーナーを回ったところで勝手に終了する。玉入れにいたっては、途中から敵チームの中に入って、勝手に助っ人モードだ。

まさにやりたい放題。普段、生真面目に厳格に秩序を正しく守って生きている?私にとっては結構恥ずかしい。

感心したというか驚いたのが、まわりの園児達の様子だ。有難いことにウチのチビのヘンテコ行動に対して、ことさら反応せず、そういうもんだとばかりに普通に接してくれている。

おこがましいことを覚悟で言えば、障害児との共同生活を経験している子ども達の順応力に驚いた。ひとりひとりの違いを自然に受入れている。

幼稚園の先生達からは、ウチのチビによって他の子達もみんな学んでいるという話を何度か聞かされている。こちらへの配慮でそう言ってくれているのだろうが、アイツもアイツでそれなりに「世の中にはいろいろな人がいるぞ」という教材になっているらしい。有難いことだ。

この日は、特別支援学校幼稚部の先生もわざわざ見学に来てくれた。有難い限り。支援学校と通常の保育園の併行通園自体がまだまだ新しい取組みらしく、わが家のチビは研究材料として一応大事な役割を担っている形だ。

インクルーシブ教育という言葉をご存じだろうか。国連が定めた障害者権利条約に関連して謳われている考え方で、障害のある子どもを含めたすべての子どもが同じ環境で学ぶことを目指すもの。

日本は障害者権利条約に署名はしたものの、先進国としては少数派の未批准国である。したがって、まだ条約に拘束される段階ではないが、これまでの政府の議論ではおおまかにその方向に進んでいることは確かだ。

すべての子どもが小さいうちから、ともに過ごすことで他者との違いを自然に受入れるという考え方だ。現在の学校教育の課題解消にもつながるという側面からも期待されており、政府が掲げる「共生社会」のひとつのカギになっている。

結果的に、偏見を減らし、障害者の社会性向上、ひいては障害者の労働力なども大幅に向上させる可能性もあるわけだ。

もちろん、理念自体は素晴らしいが、推進に向けた動きの中で、養護学校や特別支援学校を罪悪視する風潮が少なからずあることが気になる。普通学校、普通学級こそ絶対みたいな考え方だ。

確かに障害の種類や程度によっては、親としては、普通学校に通わせたい、なぜ自分の子どもが排除されるのかという怒りを感じるのだろう。みすみすチャンスの芽を摘まれる感覚なのだろう。

「障害児の親歴4年弱」の私には理解できていない点も多々あるのだろうが、普通の保育園と特別支援学校の併行通園を実践させてもらっている立場から見れば、言いたいことは山ほどある。

端的に言えば「中途半端な一律化」がもっとも危険だと思う。特別支援学校のおかげで救われている子ども達だっていくらでもいる。普通学校にこだわったあげく、学校内で逆に差別感にさいなまれている子どもだっている。

もちろん、逆に普通学校に通ったほうが伸びる子が大勢いるのも事実だろうし、どちら側の視点で見るかによって意味合いは大きく異なる。

政権交代後の昨年、政府は「障がい者制度改革推進本部」を設置し障害者政策全般の見直し作業を進めている。一説によるとインクルーシブ教育への移行を急いで決定したいという動きもあるらしい。

ノロノロ、ダラダラは勘弁だが、拙速が一番恐い。拙速から生まれるものはたいていバランス感覚に欠けた制度でしかない。

この問題は書き始めるとキリがないのでこの辺で。

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