2010年8月30日月曜日

ウナギ

今日は日本酒とツマミの話。このブログ、更新は月水金の朝だが、時間がある時に書きためておくようにしている。実はこれを書いている今はまさに夕方。私のアルコールエンジンがうなり出す時間帯だ。

「日本酒は燗に限る」という意見に傾きつつある最近の私だが、やはり夏場は冷酒に惹かれる。クッククックと呑み込んでしまい早く酔うのが問題だが、さすがにウマい。

さて、冷酒に合うツマミを考えてみよう。無難なところでは塩辛とか酒盗とかの塩分ブリブリ系が思い浮かぶ。スジコやカラスミあたりの密集魚卵系も塩つながりだ。

まあ昔の人は手の甲に塗った塩を舐め舐め呑んだそうだから、やはり塩は偉大だ。

私が昔から冷酒の相棒として一番と思っているのが「ウナギの白焼き」だ。おろしたてのワサビと醤油を用意して、冷えた吟醸酒をカッと飲み干せばたちまち命が洗濯される。

ワサビ醤油が基本だが、ウマい一品に出会うと、そのまま何もつけずに堪能する。白焼き、すなわち塩焼きだ。やはり、日本酒の相棒として最高なのは「塩」という結論に近づく。

この夏はウナギ専門店に行く機会が少なかったのだが、最近になって立て続けにウナギ三昧の時間を過ごした。

まずは、杉並区内の「うな藤」という隠れた名店。昨年もこのブログで書いた記憶がある。私の実家から近い穴場。

ウナギ以外には、板わさや水茄子、枝豆程度しかツマミがない。日本酒の品揃えが豊富なのに、その程度のツマミで30分以上も白焼きの登場を待つのは辛い。

仕方なく、近くのスーパーでウニの瓶詰めとスジコを調達。実家で小鉢に忍ばせてそっと店に持参。黒龍の大吟醸を煽りながら、気長にウナギを待つ。


白焼き登場。フワッと蒸された関東風のウナギだ。うまく表現できなくてスイマセン。ただただウマい。底抜けに幸せな気分になる。冷酒がクイクイ胃袋に落ちていく。

軽く噛めばホッコリと崩れていくのだが、そのはかなげな感じを上質な脂がコーティングしていく。口の中で舞妓さんがはんなりと舞っているかのようだ(大げさ)。

うな重がやってきた。ご飯ごとバクッとかぶりつきたいが、もっと冷酒をグビグビしたい。お重のフタをこそっと開けてウナギだけを箸でつまんで冷酒続行。エンドレス。
タレがくどくないので、冷酒のツマミとして白焼きに負けないほど絶品だ。

さてさて、翌朝、数十年ぶり?の男性ならでは生理現象に気をよくした私は、数日後、またウナギ三昧に出かけた。

日本橋三越近くに構える「伊勢定本店」だ。
大箱系有名店だ。ラインナップは多くはないが、ウナギ以外のツマミが用意されている点が嬉しい。

ウナギ好きが足繁く通う有名店も随分行ったが、ツマミがまったく無く、悶々と拷問のようにウナギが出てくるのを待つ店が案外多い。

それが正しい「ウナギ道」なのかは知らないが、私にとってはちっとも嬉しくない。“こっちとらあ、酒が入れば際限なく好物を食い続けられる特技を持っているんでい。気の効いたツマミ2~3品持ってきな”と叫びたくなる。



ここでは、う巻き、うざく、鯛ワタを注文。他にも刺身や湯葉や焼鳥もメニューにあった。

ところが、酒肴より先に白焼き登場。鰻重用の蒲焼きは注文後に焼きはじめようだが、白焼きは別らしい。

そうはいっても、さすがに老舗だ。コストパフォーマンスは悪いが、それっぽく仕上がっている。

先日の「うな藤」の白焼きが別格だったので、それと比べると数段落ちるが、池袋あたりの適当なウナギ屋で食べる白焼きに比べれば数段マシだ。



結局、獺祭の純米大吟醸やら磯自慢の大吟醸なんかクイクイやっていた関係もあってペロペロ食べてしまった。

あげくに、さっさと調理されるビミョーな実態を逆手にとって、最後の鰻重が来る前に白焼きだけ“オカワリ”してみた。案の定、さっさと運ばれてきた。

冷酒が止まらない。幸せだ。その気になったら何匹分食べられるのだろうか。きっと5~6匹はチョロいもんだと思う。


鰻重ももちろん、大喜びで食べる。「まあまあ及第点」だった白焼きに比べて鰻重は「バッチグー」だった。次回、この店に行く時には蒲焼きもツマミ用に注文しようと決意。

それにしてもウナギの画像って難しい。ちっともウマそうに見えない。でも現物を味わった本人としては、これを見るだけでヨダレがべろべろ出てしまう。

2010年8月27日金曜日

キモ、肝・・・マンセー!!

キモはウマい。「肝」。生き物にとって肝心カナメの部位だから、旨味がそこに凝縮するのだろう。たいていのキモはウマい。

たいていのキモはウマいなどと書いてみたが、キモはどんな生き物にもあるはずなのに、飲食店で頻繁に遭遇しないのが不思議だ。

衛生上の理由とか鮮度の問題などと四の五の言われているが、きっと違う。あまりのウマさに料理人がとっとと食べてしまっているのだろう。多分そうだ。


最近、ノックアウトを喰らったのがツブ貝のキモだ。貝のキモといえば、王様格のアワビをはじめ、サザエなんかも独特の風味があってクセになる。

ツブ貝のキモは本来さほど濃厚な味わいではないが、この時食べた料理はオキテ破りの「ツブバター」だ。“ウットリネットリエロティック爆発”って感じだ。

高田馬場にある鮨源本店で堪能した。生で食べる前提の極上の活きた素材だ。たっぷりのバターと醤油で炒めたらマズいはずがない。

以前この店で、やはり上等なイカを使った“禁断のイカバター”に感動したことがある。ひたすら喜んでいる私に板さんが耳打ちした。

「ツブバターもいけまっせ」。

まさにその通りだった。ホッキバター、イカバター、はたまたコーンバターなどの面々に比べてもトップレベルの深い味わいだ。

スーパーエロバター万歳!って感じだ。

バターと絡まり合うツブ貝の身のコリコリ感はもちろん、キモが最高だった。パンチに欠けるイメージがあったツブキモだが、バター炒めによって大変身。

化粧と衣装でまるで別人になるオネエサン達と同じだ。まさしく化けた感じ。つけ合わせのエノキもバター汁をまとって艶めかしい。最高だった。

身の上にキモをトッピングすれば思わずウッシシとかイッヒヒとか笑い声が下品になるぐらい興奮する。


それまで呑んでいたのは芋焼酎。ツブバター登場とともに急ぎオールドパーのハイボールに切り替える。濃いめに作ってグビグビ。バター汁を舐め舐めグビグビ。極楽。

「エロティックなキモ」に目がない私のために、鮨源では以前にも変わったキモを出してくれた。


マコガレイのキモとコチのキモだ。刺身用にさばいて間もない白身だ。味が濃いめのマコガレイ、爽やかな風味のコチそれぞれにキモの味わいも異なる。軽く炙ってグジュグジュした感じを堪能した。こういうものがあると延々とアルコール摂取がつづき、それこそ私自身のキモの行方が心配になる。


そのほか、タイのキモの燻製も美味しかった。もともと淡めの味のタイキモだがスモークすることでコクが生まれてツマミに最適。確かこれを食べた日もグビグビと呑みすぎた記憶がある。

読み返してみるとこの店、出てくるのはキモばかりと勘違いされそうだ。もちろんそんなことはなく、寿司ネタとしてはかなり上等なネタを豊富に揃える。

今日もまた行きたくなってきてしまった。

キモの話ついでにもう1軒。わが家から徒歩圏の焼鳥屋の「T」だ。ここの白レバ刺しは無性にウマい。食感、甘味、コク、後味ぜんぶOK。

ごま油で食べる人もいるが、わさびとおろしニンニクとおろしショウガをミックスして醤油に溶かせば無敵のタレの完成だ。

こんなものを店で常時提供するのは、鶏生産者や保健所的には問題があるらしい。そんな難しい話など吹っ飛ぶウマさだ。

焼肉屋さんで出てくる牛や豚のレバ刺しよりも軽い味わいなのだが、旨味の凝縮感はこちらが上。血なまぐさい要素も一切感じない。

もう何年も前に会社の人間を15人ぐらい連れて行ったことがある。当然、レバ刺しは大好評だったが、2名ほど腹を壊したらしい。

15分の2だ。普通の健康状態で普通レベルの胃腸を持っていれば何も心配はない。

恐いのは尿酸値、痛風方面だ。鶏肉のレバーは牛や豚のレバーよりもプリン体含有量が多い。それだけが困った問題だ。

某日、レバー食いが続いていた我が身を反省して、「T」に行った際に変わり種の刺身を注文した。ハツ刺しだ。クセもなく、健康的な食感と風味なのだが、やはり物足りない。

心臓より肝臓のほうが遙かに濃厚だ。やはり私は「生肝」に惹かれる。

「ナマギモを喰らう」などと書いてみると、なんか自分が妖怪になった気がする。

2010年8月25日水曜日

勝間より与田だろう

今日も暑い。難しいことを書くのはやめよう。思い切って最近イラつくことやイラつく人を書き殴ろうと思う。

他人様の悪口を書くのは誉められたものではないが、公人とか著名人に関しては例外ということにする(一方的だ)。

まあごくごく個人的な主観です。

まずは「勝間和代」。いやはや・・。つづいて「森永卓郎」。・・・・。この二人には困る。テレビに写った途端にチャンネルを変えてしまう。ダメ。興味深い番組でも出演者欄にこの名前があったら見ない。

もっと柔らかいジャンルにしよう。

独特な媚びたような感じがどうにも好きになれないのが「壇れい」。あのビールだか発泡酒のCMは苦痛だ。悪い意味でゾクソクする。

「假屋崎」「イッコー」「はるな愛」等々のそっち系の連中。増長した感じがうっとうしい。日陰で咲いてろよといいたくなる。そういう私の感覚がジジくさいのだろうか。

「柳原可奈子」とか「渡辺直美」的な人々も同様な理由で苦手だ。

「XJAPANのYOSHIKI」と「友近」。私にとっては似たような存在。この人何なんだろうって感じ。ホントに何なんだろう?。

「田中義剛」的な空気。これも苦手。あの人が出ているとテレビのチャンネルを瞬時に変える。

あと「報道番組で世間を斬る星野仙一」も困った存在だ。野球を語っている分には気にならないのだが・・。

政治の世界ではなんてったって「蓮舫」。具体的にどこがどうだというわけではない。きっといい人なんだろう。

でも「蓮舫的な感じ」がイヤだ。

さきの参院選では、実に170万人以上もの人が選挙であの人の名前を書いた。私には理解不能。私の感覚のほうが少数派なんだろうか。すごく気になる。

「東国原知事」。どうですか?。私はダメです。すいません。

ちょっと飛ぶが、全閣僚のみならず副大臣、政務官まで一致して靖国参拝をしなかった「民主党政権の臭い」もイヤだ。

「小沢側近銘柄」として露出の多い「山岡副代表」。「小泉時代の武部さん」と相通じるうっとおしい感じ。

「輿石参議院議員会長」「松野前官房副長官」・・・etc。うーん。論評が難しい。

あんまり悪口ばかりでもまずい。“好感度編”も少しは書いておこう。

「マツコ・デラックス」。この人何者なんだろうというジャンルの人だが、すべてを超越した感じが潔い。ついついテレビを見入ってしまう。

よく考えれば何が良いのかちっとも分からない・・・。

ところで、あの人はいったいどういうカテゴリーに属するのだろう?誰か教えてください。

「3チャンネルで農業の番組に励む西城秀樹」。脳こうそくから完全復活したバイタリティーに敬服する。「野菜を語るヒデキ」。妙に説得力がある。あの落着きぶりというか、収まった感じが悪くない。ヒロミ・ゴーに見習わせたい。

「やくみつる」。友達になりたいタイプじゃないが、この人の媚びてない感じが割と好きだ。なんとなくうなずかされてしまう。

「石破元防衛相」。以前はアノ不気味な感じがオヨヨって感じだったが、野党の幹部として攻める側になった最近の彼の存在感に妙に惹かれる。

地味なところでは、野球解説の「与田剛」も良い。致命的な不倫スキャンダルがあったばかりだが、「悪びれもせずNHKで語る与田」に結構しびれる。見映えも良いし、解説も的確だ。

いい人を演じていても、“栗山英樹”にはちょっと届かない感じがまたいい。

与田、イチ押しです。

それに比べてイライラするのが「西武の工藤だ」。47才になって現役でマウンドに立つのは凄い。でも痛々しすぎる。やめてくれって感じ。ニュースで打ち込まれた映像を見るだけで気が重くなる。

キリがない。

今日は脈略もなくくだらない話を延々と書いてしまった。

今日のテーマ、実は「壇れい」が物凄く苦手だということを書きたかったのがきっかけ。

その他は全部当て馬のようなもんだ。

「壇れい」。。。ダメだ。。。

2010年8月23日月曜日

社長室あれこれ

「社長室」のイメージってどんな感じだろう?。中小零細企業から大企業まで企業規模で違うが、当然、社長個人の趣味や嗜好が反映されていることが多い。

役所の中の大臣室とか次官室、長官室ともなれば、一見、立派なスペースだが、頻繁に主が交代するため、その人個人の個性はあまり見あたらない。

民間企業のオーナー社長ともなれば、オンとオフの切り替えなんてないわけで、24時間が“社長”であり、同時に24時間が“私人”だ。だから社長室も個性豊かなことが多い。

若い頃、わが社の新聞でオーナー経営者のインタビュー記事を担当したことがある。20回ぐらいの連載だったので、いろいろな「社長室」を取材にかこつけて見ることができた。

それこそ全面赤じゅうたんの広~い部屋、お茶を持ってくる女性がうやうやしくひざまずくような貴族趣味のところから、道具や書類に埋まって足の踏み場もないような下町の技術系社長室もあった。

仕事してる雰囲気が全然感じられないゴルフ用品しか目に入らなかった趣味人社長室とか、数千冊はありそうなほど部屋の全体が本棚に囲まれている社長室もあった。

某チェーンストア業界の重鎮社長の部屋も印象的だった。まさしく社長用という感じの立派な事務机と椅子があるにもかかわらず、社長さんは、常時床に直に座って書き物をしたり、書類をめくっている。

靴を脱ぐ部屋なので床に座るのもおかしくはないのだが、高価そうなソファセットも荷物置き場と化している。使っている形跡がない。

事務机やソファを上目遣いに眺めながら、私も床にアグラをかいて社長さんにインタビューした。なんとなく畳の上で談笑しているような不思議な感覚だった。日本人の本来の姿はそっちが正しいのかもしれない。

とかく、オーナー企業の社長さんは、巷で公私混同的な要素を批判される。公私混同ぐらいなければ誰が中小企業の社長なんか引き受けるのかという真っ当な反論もある。

程度問題ではあるが、オーナー社長ともなれば「会社イコール自分」という自負が強い。創業者であれば尚更で、公私混同をしている感覚自体が薄いのだろう。

「仕事に関係のないものは会社の経費では買えませんよ」などと言われても、すべてが「仕事を充実させるために必要だ」と本気で思うわけだ。

社長というポジション以外の人からは不自然に映るのだろう。だから、税務署とモメる。公務員である税務職員には理解できないだろう。

社長室に豪華な家具を置こうが、高級美術品を置こうが、はたまた、バーコーナーを作って高級酒を備蓄しようが、「業務用」として利用されるなら、会社のカネを使っても何も問題はない。ルールに乗っ取って、経費計上したり資産計上すれば済む話。

最新型のテレビやエアコンといった家電を購入しようが、立派な神棚を設置しようが、お気に入りの陶芸家に作らせた壷を置こうが、会社で利用するものは会社のカネで調達するのが普通だ。逆に会社で使うものを社長個人のお金で買う方が不自然だ。

30年ぐらい前になるが、まだ元気だった祖父が旅行先の台湾で突然、大理石の高価な円卓を衝動買いした。6~7人が囲める大きさの重厚な丸テーブル。値段も当然それなりに高い。

子ども心に「こんなもん、どこに置くのか?随分カネ遣いが荒いな・・」とか思ったのだが、日本に運搬されたそのテーブルは会社に運ばれ、会議室件役員応接室に設置された。

いわば、社長個人が立て替え購入した会社の「什器備品」を後日会社の費用で精算したという単純な仕組みだ。

そのテーブルは30年近く経ったいまも会議室で重厚に輝いている。そう考えると高い買い物ではなかったし、公私混同といったマト外れな批判を受けるものでもない。

決定や選択をする際に、社長が自分の趣味を押し通せるということが「公私混同」と批判されるのならまるでピンボケだ。でもイジイジした大衆目線にへつらったメディアは、そんな程度のことを色メガネで語りたがる。

業績不振で困っている会社なら、贅沢品を社長室用に購入することなどない。そのあたりの厳しさは役人なんかが考えているよりすっとシビアだ。

法人税を納めている企業が全体の3割程度になってしまったいま、キチンと税金を納めているような会社ならバンバン消費行動に励んでもらいたい。そういう会社がなければ経済の活性化などない。

そういう会社にはどんどん贅沢をしてもらいたい。ねたみや嫉妬で足を引っ張る風潮にはウンザリだ。結局、景気浮揚の邪魔になるだけ。

2010年8月20日金曜日

安けりゃいいのか?

先日、知り合いと一緒に新宿・歌舞伎町をさまよってみた。石原知事が躍起になって浄化を目指していることを“老害かも”と思っていたのだが、そうでもない。

むしろどんどん浄化すべきと感じた。アノ乱れぶりは、ひどいもんだ。

高校生の頃にはよく歌舞伎町に出かけたが、いまほどハレンチ満開ではなかったような気がする。一応、表と裏が微妙に線引きされていたはずだ。

それにしても、よくもまああれだけ不良っぽい身なりの男女が集うものだ。ある意味感動だ。イカレポンチ風のにーちゃん、ねーちゃんだけが闊歩している。

そんな表現をすること自体が加齢の証しなんだろうか。

25年ぐらい前と比べて、街の造りは変わらない。とはいえ、ビルに入っている店はまるで一新された。100軒に1軒ぐらいは当時から続いている店も見かける。奇跡的なことだろう。

大学生の頃、ちょくちょく顔を出したライブハウスはおっぱいパブに入れ替わっていたし、同じく時々背伸びして通ったバーがあったビルも風俗案内所が主役だ。

ホストクラブも昔は裏通りでひっそり営業していたイメージだが、今では街の一角すべてがそればっかり。

飲食店の呼び込みやホストクラブの案内をチラ見しながらぶらぶらしたのだが、特徴的なのはただ一点。「安さ」を売りにしていること。

安いことは消費者にとって歓迎すべきことだが、それにしても安価なことだけが全面に押し出される。安さの競い合いだけ。中身とか質はどうでもいいみたいだ。

ファーストフードはもちろん、居酒屋も低価格均一料金が主流、風俗ですら格安を売りにする。質はともかく、価格だけで選べば、バカみたいな値段で飯食って、酒呑んで、エロいことが可能だ。

なんだかなあって感じだ。

自分が若い頃にこんな環境だったら、この渦に飲み込まれたのだろう。価格競争の恩恵でフトコロは助かっただろうが、大人にとって必要な知識は学べなかったはずだ。

都会っ子として育ち、中学生の頃から繁華街に出かけていた私にとっては、ボッタクリなどはイナカから遊びに来た若者がひっかかるものだと思い込んでいた。

にもかかわらず、定期的という表現がピッタリあてはまるぐらい、割と頻繁に“歌舞伎町の罠”にはまった。すってんてんになれば帰してもらえる程度のボッタクリ被害には何度も遭遇した。でも、あういう経験って貴重だと思う。

財布にとって痛い目に遭う経験をどれだけするか。これって若者にとって重要な課題だ。

怪しげな店に入れば痛い目に遭う。呼び込みのうますぎる話に乗っかれば痛い目に遭う。分不相応に背伸びした店に行けば痛い目に遭う。これらはすべて真実だ。でも経験しないと実感しない。

今の時代は、280円均一の居酒屋で安心して酔っぱらい、風俗案内所で割引クーポンをもらって安心してヌキにいく。

いろんな分野で均一料金や明朗会計がキッチリ浸透したせいで、男女間の割り勘も最近はシビアになっているらしい。

割り勘の際の“男のやせ我慢”も大人になるための訓練だったと思うのだが、いまは違うようだ。


話がそれた。なんだっけ?

そうだ、デフレが続く今の社会構造の話だ。均一料金、割引クーポン等々。財布に優しいことばかりに頼っているぬるま湯状況についてだ。

ひとことで言って、あまりにリスクと無縁だ。警戒したり、心配したりする要素がまるでない。はたしてそれで楽しいのだろうか。リスクがあるから刺激的で楽しいんだと思う。

倹約結構、デフレ結構。でもその一方で無駄遣いや贅沢といった麻薬のような魅力は人間の活力を考えるうえで大事なことだと思う。

2010年8月18日水曜日

ナツメロ

クルマを運転しているとイヤホン、ヘッドホン野郎どもが危なくって仕方ない。狭い道路の真ん中でノリノリで歩いている間抜けもいる。

私も散歩中はiPodを愛用しているが、さすがにあそこまで自分の世界に没頭できない。クルマに気付かないほどの音量で聴いている連中の気が知れない。

まあ、私の場合、普段聴いているのがキャンディーズだったりするので、外に音が漏れないように細心の注意を払っている。

酔っぱらいついでに大声で歌い出すのもマズイので、iPod使用時には結構ビクビクしている。一応神経を使っているわけだ。

現行のIpod・nanoは初期型と違ってイヤホンが中途半歩に差し込まれている状態だと外に音が漏れる。実に迷惑な機能だ。

せっかく険しい顔をして電車に乗っているのに♪年下の男の子♪とかが漏れ聞こえてしまったら一大事だ。相当恥ずかしい。

ところで、皆さんはどんな音楽を聴いているのだろう。とくに同世代の人達が携帯音楽プレーヤーでどんな音楽を聴いているのか気になる。

私のiPodをチェックしてみたら「1193曲」も収録されていた。いつの間にか随分と増えていた。

敬愛する“ハマショー”が大半かなと思ったのだが、ハマショーは多分200~300曲程度だろう。1000曲近くがそれ以外だ。

昭和アイドル歌謡はせいぜい2~30曲だ。あとはド演歌、ジャズ、ラテン、レゲエ、沖縄民謡といった脈略のないジャンルがそれぞれ2~30曲づつはある。

それ以外は何なんだろう。

基本的には「昔の歌」ばかりだ。昔の歌といっても田端義男とか三橋美智也ではない。1980年代を中心に70年代、90年代の洋楽、邦楽が中心だ。

シャッフル状態で聴いていると20~30年前の曲ばかりだ。同年代の人も似たようなものなんだろうか?それとも、最近の曲も随時ラインナップに加えているのだろうか。

先日、iTunesで探していた曲が見つからずにヤフオクで発見。ついでに同じ出品者が売りに出していた昔なつかしのアルバムも2枚購入した。

結局、ついでに買った2枚が私のツボにはまり、ここ数日私の脳裏にはそればかり鳴り響いている。


70年代にトラボルタをスターにした「サタデーナイトフィーバー」のサントラと80年代に大ヒットした「ザナドゥ」のサントラだ。

前者のオープニング「STAYIN’ALIVE」。最高だ。シビれる。昔から耳にしていたのだが、今になって初めて格好良く感じる。不思議だ。

「ザナドゥ」のほうでは、オリビアニュートンジョンより、“ELO”のアノ感じが最高だ。

John Cougar、Rick Springfield、Bryan Adams、Pretenders・・・。最近はそんな感じの曲ばかり聴いている。

レディ・ガガなんかより私には断然格好良い。

2010年8月16日月曜日

変な話

税金が高すぎると思っている人は38%。税金が高くなっても福祉の充実を求める人が39%。博報堂生活総合研究所が行った税金に関する意識調査の結果だ。実に興味深いデータだと思う。

税金を高いと思わない人が6割、増税しても構わないという人が4割。今の時代を端的に表わしている。

ここ10年、いやそれ以上前から大衆向けの減税と節操のないバラマキ政策のツケで超借金大国になったわが国。その結果がこれだ。国民は不安におののき、自ら増税まで考える始末。

自分のフトコロから出て行く金は理由はどうあれ痛みを伴う。ましてやそれが税金だったら“痛税感”は誰もが感じる。

たとえ一般的に低水準に見えたとしても本人の感覚では重く感じるのが税金というものだろう。それすら感じない現状は異常だ。

もちろん、税金が高いほうがいいという話ではない。八つ当たり対象、忌み嫌うべき対象である税金なのに増税容認派が増えている現実の異常性が気になる。いかに政府が国民にアメだけをばらまいてきたかという証しだ。

まさに選挙のことだけを考えた政治のツケ。理念なんかそっちのけで大衆受けだけを狙った租税政策を推し進め、そのなれの果てが現状の一種異様事態だろう。

世の中が大きく変わる時、たとえば政権交代だとか、大げさにいえば革命なんかが起きる際には必ずといっていいほど重税への不満という背景がある。

そう考えるとわが国の現状は悲喜劇というか、滑稽にも見える。トンチンカンの極み。甘言政策ばかりだった政治の責任だけでなく、民意のあり方も冷静に考え直す時期に来ているのだろう。

政権与党たる民主党は参院選敗北の理由を菅首相の消費税唐突発言に矮小化してしまった。マニフェスト無視を国民が怒ってるという真の理由を隠すために消費税という鬼っ子に責任を押しつけた格好だ。

結局、消費税論議は尻すぼみ。責任与党でありながら消費税に関してはお口にチャック状態。

最悪の財政状況を前に相も変わらぬ頬被り、先送りというお粗末な事態が続きそうだ。いま必要なのは、とにもかくにも「腹をくくった政治」なんだと思う。

2010年8月13日金曜日

エクシブ軽井沢


先週の話だが、軽井沢に行ってきた。家族サービスだ。いつも家族を置いて旅行に行ってしまう私だ。年に一度か二度ぐらいはちゃんと家族に奉仕してやる。

軽井沢といっても、小諸側にある会員制リゾートクラブが目的地。旧軽周辺は夏の時期、大混雑なので近づかないようにした。

小諸や佐久周辺の遊び場や散歩道をウロウロ、この時期、たいていの場所で、子どもが遊べる特設ナントカみたいな施設があるので助かる。

バンジートランポリンとかいうやたらと高いところまで跳ね上がれるアトラクションをアチコチで見た。アチコチで娘にやらされた。3分1000円。ボッタクリ料金だが、仕方なく何度もやらせた。ちょっと富豪だ。


子どもが遊具にはまっている間は、用もないのにリフトで上り下りしたりして時間を潰す。結構楽しい。風が気持ちよい。片道5分ぐらいノンビリ揺られる。往復で600円ぐらい取られるが、バンジーナントカに比べれば良心的だ。

さてさて、今日のテーマは別荘問題だ。私も富豪を名乗る以上、別荘の5個か6個は持っていないと格好が悪い。

いつも良い物件を探しているが、なかなか出会わない(というのは真っ赤なウソ)。祖父の代からの別荘マンションがあるにはあるが、あまり使っていない。

やはり面倒なのが一番の理由だ。年々ワガママになるにつれ、一生懸命掃除したり、ゴミをまとめたりといった家事的作業を旅先でやらなければならない別荘の現実がおっくうになってきた。

そんなのは奥さんがやるんだろう、と思われがちだが、さすがに全部任せていたらぶっとばされる。私も何かしら手伝わないとならない。 それが面倒だ。

ホテルや旅館なら文字通り何にもしないで済む。旅行の良さはそれに尽きるのかもしれない。

考えてみれば、徹底的に何もやらないで済んで、ウマいメシが出て、快適な風呂があって、綺麗な部屋が用意される日本旅館の世界って実に贅沢なんだなあと今更ながら思う。

そういう視点でみれば、標準的な価格帯の宿の料金って決して高いものではない。むしろ安い。

さて、今回泊まった会員制リゾートの話。もう何回も利用している「エクシブ軽井沢」だ。温泉ではないが、温泉旅館顔負けの規模の露天風呂、サウナ付きの大浴場もある。プールもある。部屋もベーシックなタイプでツインベッドスペースの他に和室部分があるので家族連れでも快適。

食事も和食、イタリアン、中華それぞれまともなレストランが用意され、どれを選んでも外れなし。ラウンジやバーもある。サービスも真っ当。1年に1度ぐらいしか行かないのに我がファミリーを覚えていたスタッフが複数いたのには驚いた。大したものだと思う。

荷物は運んでくれる、上げ膳据え膳、掃除は毎日、ベッドメイキングも毎日、当然タオル類の補充も毎日・・etc。

会員料金なら室料も割安で、好き放題過ごしても、ちょっとした旅館に滞在する費用の半額程度で済ませることが可能だ。

まあ会員になるためのコストはそれなりなので、その部分までモトを取るのは難しい。かといって、日本中の系列のエクシブに割安料金で泊まれることを考慮すれば悪くない。

無理して別荘とか別荘マンションを買うのならこの手のリゾート会員権のほうが応用が効く点で使い勝手がいいかもしれない。

ちなみに夏休み期間中毎晩やっているビンゴ大会を勧められたので、1枚1000円のカードを3枚も買って挑戦してみた。

なんと一等商品が当たってしまった。ニンテンドーのDSの最新版だ。2万円ぐらいするらしい。こんなところで運を使ってしまって良いのだろうか?。

買いそびれたサマージャンボが悔やまれる。あっちだったら一等は2億円だった。

DSよりそっちがいいのだが・・。

2010年8月11日水曜日

無責任

菅首相のオーラの無さというか、弱々しい感じにはビックリする。首相の座にいる以上、もう少し独特の存在感を漂わすはずだが、まるで抜け殻。

俗に言う「死に体」、「レームダック」だとしてもあまりにはかない感じがする。“首相の器”というのがどういうものだか知らないが、器じゃない人が首相になっちゃった典型なんだろうか。

さきの参院選で、あれだけの惨敗にもかかわらず誰も責任をとらない現政権の体質が気持ち悪い。あえて言うなら異常だ。

結果責任など必要なしという判断だ。究極の民意無視だろう。国民は自分達の声を反映させたくて選挙に参加したのにいとも簡単に無視された格好だ。

「参議院だし、改選分だけの議席だから」という空気で責任が不問になるのなら参議院の存在自体意味がない。いっそのこと廃止しちゃえばいい。

菅首相が居直るのなら、せめて枝野幹事長あたりが潔く身を引くようなパフォーマンスを見せるべきだったと思う。

選挙責任者が腹を切るという当たり前の行為でも、ケジメを尊ぶわが国の国民性からすると大衆受けは悪くなかったはずだ。

親分を守るために自ら責任をかぶった。そんな構図になれば枝野氏自身の株も上がったはず。そのぐらいの政治的センスが欲しいところだが、そんな素振りもない。

地位は人を作ると言うが、地位が人をおかしくするパターンも多い。ちょっとばかり脚光を浴びた人の周りには、旬の人にあやかろうと近づく人がわんさか。

そんな人々は本気でもないのに旬の人物を煽り立てる。煽り立てられた方はまさにノリノリ。ところが、ハシゴを外されたあとになっても勘違いを続ける御仁が多い。


なんだったっけ?

そうだ。菅さんの覇気の無さと無責任の話だった。

人として大事なことは数々あれど、基本的なのが「約束を守る」ことであり、「責任を取る」ことだと思う。

そういう意味では、たった1年前のマニフェストを平気でホゴにして、その審判を受けた参院選の惨敗にも頬被りを決め込む民主党政権は、相当にワルだ。

百歩譲って弁明を聞こうにも、そこに謝罪は無い。「約束を守れない」、「責任は取れない」、「謝れない」。バカなんだろう。

有権者、すなわち国民の目はシビアだ。シビアとはいえ、決して非現実的なものだとか、ハードルが高いわけではない。

「約束を守れるのか、責任はとれるのか」。国民の目線はきわめて明快、かつ単純だ。この程度のハードルはクリアしてもらいたい。

2010年8月9日月曜日

銀座 三原小路

私の場合、銀座といえば7丁目、8丁目と一部の6丁目界隈しかウロウロしていない。それも夜ばかりだ。

デパートにも縁がないし、4丁目交差点付近の華やいだ感じも良く知らない。京橋側に出向くことは、胃と腸に内視鏡を突っ込まれに行く時ぐらいだ。

というわけで私の知っている銀座はオジサンのための銀座であって、家族でおめかししてナイフとフォークを駆使しに行くような銀座ではない。

「銀座っぽさ」。この定義は人によって様々だろう。三越であり、メゾンエルメスであり、人によってはロオジェであり、ライオン7丁目店であり、それこそキリがない。

木挽町とか三原通りとかそっち方面の何となく渋めの風情も銀座っぽさという店では特徴的かもしれない。

そんな三原橋近くの老舗に行く機会があった。その名も三原小路に構える「四季」という寿司懐石の店だ。

全室個室のしっぽり系。部屋によっては外に月見台のようなスペースまで付いていて実に風流。和装の綺麗どころがそつなく接待してくれるし、ある意味「究極のオヤジっぽさ」を堪能できる。

一般的なグルメ情報とは縁のない世界だろう。こういう店に頻繁に通う御仁がインターネットで店探しなどするはずもない。

この日の会食相手は、永田町方面の人。日刊紙の政治部記者が喜びそうなきわどい話で随分盛り上がった。やはり、雰囲気というか、シチュエーションがその席の会話内容に影響するものだと実感。

「これはこれは、一つよしなに」「ウムウム、おぬしもなかなか・・・」みたいなオヤジっぽい濃厚な空気は、こういう席にこそ似合う。フレンチとか洒落たダイニングバーではこうはいかない。

結構楽しかった。いろんなヤバい話を吸収できた。秋の政局が楽しみだ。

さてさてお店の話。料理の味はごく普通。ビールから冷酒、そして森伊蔵を痛飲。最後に出てきたにぎり寿司のネタもよく覚えていない。

ちなみにこの日、こちらの女将から昨今の銀座事情をいろいろと聞くことができた。夜のタクシー乗場制限のアホ馬鹿ぶり関連のほか、興味深かったのが歩行者天国問題。

最近、銀座では日曜だけでなく土曜も歩行者天国が実施されるようになったのだが、この影響で各ジャンルの“老舗の高級店”が存亡の危機に瀕しているそうだ。

“車でさっと乗り付ける”。こんな当たり前の行為が制限されるなら週末の銀座にお大尽様が近づくはずはない。言われてみれば当たり前だ。

暑い中、汗をふきふき歩くバックパッカーは老舗にお金を落とさない。しまいには冷房目当てでデパートに入ったっきり出てこない。そんな状況らしい。フムフムって感じだ。

週末の賑わいをヨソにそれぞれの店がそれぞれの立場でいろんな問題を抱えているようだ。

2010年8月4日水曜日

夏休み

このブログ、平日は毎日更新していたものを週3回の更新にしてから随分経つ。人間の能力ってダメなもので、週3回になったらなったで、お気軽になった感じはない。

更新頻度が変わったのだから、以前よりも書きためておけそうなものだが、それができない。つくづく不思議だ。

一応、1~2回分はストックしてあるのだが、ちょっと油断すると在庫切れだ。3回分のストックがあったとしても1週間しかもたない。

夏休みを取ったら即アウトだ。実に不甲斐ない。

ちなみに記者稼業の常識のひとつが、原稿締切りについての認識だ。一般的な日本語解釈なら、締切りとは「その日までに書きあげる」という意味。ところが、我々の感覚だと、締切りは“その日に書く”という意味になる。

締切りが3日後だろうと2週間後だろうと、はたまた半年後であろうと、結局、締切日に慌てふためいて書く。

締切りまでの時間がたくさんあろうとなかろうと関係ない。問題なのは締切日として指定された日がどんな日なのかということ。その日が多忙なら、遙か以前に依頼された原稿でも書けないという理屈だ。

実に愚かな話だ。それって人としてどうなのかと思う。

ということで、原稿を書きためられなかったので、多分来週まで更新をお休みします。

また来週よろしくお願いします。

2010年8月2日月曜日

プールと沖縄

猛暑が続くと水が恋しくなる。わが家にも大きめなプールを導入してみた。「わが家のプール」などというと、まるっきり富豪のようだが、5千円で買ったビニール製だ。

タテ1.8、ヨコ2.5メートルほどのサイズだ。大柄な私が全身を伸ばしても余裕だ。わが家の下の子なら溺死できるほどのサイズだ。

電動空気ポンプのおかげで10分もあればふくらむ。ただ、それなりに水を溜めるには20分ぐらいかかるので、今後の水道代が恐い。いや、富豪なので水道代なんか気にしないことにする・・。


晴れた週末にはベランダにパラソルやビーチチェアを用意して束の間のリゾートプールの完成だ。一応、優しい父親として子どもと遊ぶ。この時間を頑張ることが大事だ。

子どもはそのうち、プール遊びに飽きるし、母親の用事を言いつけられたりして、撤収してくれる。そこからが私の時間だ。

「ガリガリ君」をかじって、缶ビールをグビグビして、葉巻をプカプカしながら、くだらない雑誌をパラパラ。混雑した街に出るより快適だ。

BozeのIpod用スピーカーをセットし、BGMはラテン系もしくは沖縄民謡だ。真夏の日射しを浴びながら聞く沖縄民謡は最高だ。

民謡に限らず、りんけんバンドのボーカル・上原知子のアルバム「小夏」とか、ハワイアンと沖縄音楽をミックスしたような独特の世界を持つ“チュラマナ”のアルバム(超オススメです。確かiTunesでも購入可能)を聞いていると、束の間の南国気分だ。

そうこうしている間に無性に沖縄料理が食べたくなり、プールを引き払ったあとは、デパ地下で購入したジーマミ豆腐、豆腐よう、真空パックのソーキの煮付けなんかで、泡盛タイム。

こんなことを毎週のようにやっていると、無性に沖縄に行きたくなる。多分、今月中には沖縄の土を踏んでいるはずだ。つくづく思考回路が単純な私だ。

わが社のある池袋も最近は沖縄料理屋というか沖縄居酒屋が増殖中だ。大型飲食業チェーン店が手がける「沖縄風」が大半だが、そんなかにあって独特な雰囲気を醸し出すのが「みやらび」だ。

池袋で50年以上の歴史を持つ筋金入りの店。今風の「オキナワンフード」とは一線を画す老舗だ。壁には昔訪れた著名人の色紙が飾ってあるのだが、新田次郎や壇一雄、江戸川乱歩に山下清など、もはや歴史上の人物ばかり。渋すぎ。

他にも当時はきっと有名人だったであろう人々の色紙が保存されている。私のような若者には聞いたことのない名前ばかり。

現代の著名人はまったく来ないというイジワルな見方をしてはいけない。池袋というビミョーな街で何十年も頑張っているだけでエラい。

味付けは独特なので、好き嫌いは別れそうだが、他の店にはないメニューもあって楽しい。



画像は塩ソーキとミヌダル。泡盛との相性バッチリだ。こういうつまみがあると痛飲しすぎて通院寸前だ。くだらないシャレですいません。

先日、「通院のため出社が遅れる」と会社にメールすべきところを「痛飲のため・・」と間抜けな変換ミスをしてしまった・・。

おっと、話がそれた。

この店、週に3回ほどちょっとした沖縄舞踊をステージで披露する。そんなに面白くないが、初めて見る人やそういう出し物が好きな人には悪くないのだろう。


正直なところ、勇壮な舞踊を見せられるより、三線の生演奏でノホホンとした沖縄民謡を歌ってくれた方が有難い。

最後はソーキそばだ。「泡盛を飲み過ぎたあとの沖縄そば」。これまた最高だ。この店の沖縄そばはかなりのレベルだと思う。

私見だが、最近の沖縄そばはトッピングの肉の味にかまけてスープの味が頼りないパターンが圧倒的に多い。辛味調味料のコーレーグースをドバドバ入れないと食べられないようなものも多い。

その点、こちらの店はダシがしっかり効いていてパンチのある味付け。コーレーグース要らずの完成した味だと思う。

エラそうに書いてみたが、時たま訪ねるだけで、おまけに毎回酩酊状態で食べているわけだから、はたして記憶が正しいのかどうだか怪しい。

あまり信用しないで下さい。

ああ沖縄行きたい・・・。