2011年1月14日金曜日

ゆれてる私

何年か前に本厄は過ぎたが、どうもその頃から確実に「加齢」を顕著に感じるようになった。

もともと厄年という概念は、統計上の指針みたいなもので、たいていの人がいろいろな点でヘバってくる年頃を指す。

前厄だの後厄とかも結局は、40過ぎたら身体にガタがくるから注意せよという教訓だろう。私自身も厄年前後は不思議なぐらい体調の変化を痛感した。

そんな時期も過ぎてしまうと、老人の身体に向かってユルユルとすべての機能が下降線をたどる。

30代後半ぐらいならちょっとした機能低下に慌てたり、驚いたり、嘆いたりするが、成熟したオジサンになるといちいち反応しなくなる。馴れというか順応力って結構便利だ。

最近つくづく酒が残る。二日酔いが重い。でも自分のそんな現実が普通のこと、すなわち標準になってきた。

食べる量も徐々に減ってきている。少し寂しい。近所の焼鳥屋のオヤジも「5年前のアンタはもっとドカ食いしていた」と嘆いていたから間違いない。身体には良いのだろうが複雑な気分だ。

ついでに言えば、「うたたね」をするようになった。電車で移動中の際など雑誌を読むつもりが、ついウトウトしてしまう。

若い頃、電車内で目撃した「疲れたオヤジがアホヅラで寝ている」という状況を自分自身で作り上げている。これはかなり悲しい。

オヤジ度の加速って本人の意識の持ち方に大きく影響するのだろう。若い頃に否定していたジジクサさを平気で受入れちゃうかどうかが分かれ道なんだと思う。

そう考えると今日の私はモモヒキみたいな肌着着用だ。こんなものは昔は考えられなかった。つま先に靴下用ホカロンも装着している。

こういうものを平気で愛用しているのはヤバいことかもしれない。

職場でのクシャミにも遠慮が無くなった。「ヘ~~クション!チクショー!」とか言っている。

昔はしょっちゅう鏡を見て身なりをチェックしていたが、随分と横着になってきた。最近では鼻毛が一本ぐらい顔を出していても赤面することもなくなった。

こんなことではダメだ。もっとシュっとしないと一気に老境に足を踏み入れてしまう。

まあ、なんだかんだ言って、年齢のことを四の五の書いていること自体がダメな証拠だ。自分の周りを見回してみても、年齢を感じさせない連中は、そもそも年齢の問題を話題にもしない。

若い時の感性のまま自然体でいられることが大事なんだろう。

ちなみに先日、深夜3時まで呑んだ。翌日が休みだったとはいえ結構若い行動だ。呑んだというかカラオケで騒いだわけだから、なおさら若者的行動だ。

同じ年のオヤジ3人で4時間半もカラオケボックスにこもって熱唱した。

この日は幼稚園から高校まで一緒だったメンバーが揃った。40年以上前から知っている関係というのは考えれば凄い話だ。

いやでもアッという間に昔の感覚に戻る。それこそ自然体で騒いでいると中学、高校時代のノリに近づいていく。

オヤジになってからオヤジとして知り合った人とはこういう弾け方は出来ない。やはり旧友は有難い。いとも簡単に昔の感覚に戻る。

一種のアンチエイジング効果だ。

カラオケのテーマは、一応「昭和シバリ」。20年以上前の曲限定だ。シバリといっても全然シバリにならない。

結局3人ともレパートリーの多くが昭和で止まっている。このあたりの現実は立派なオジサンだ。

カラオケに繰り出す前は韓国料理屋で呑んだ。この時は、あまりバクバク食べられなくなった現実にオヤジを痛感。

3人とも決して痩せてはいない。メタボ系だ。なのにドカ食いしなかったことは寂しい限りだ。でも、その後のカラオケでは延々と騒げたことで、まだまだ若さを実感。

翌日の午前中は重病人のようにダウンしていたので、結局最後には自分のオヤジ化を痛感した。

まだまだ若い。いやいやヨレヨレオヤジだ。この二つの葛藤で揺れている私だ。

そういえばあの晩、旧友が桜田淳子の「ゆれてる私」を熱唱していた。

私もキャンディーズを熱唱。もうひとりの友人は石野真子を熱唱していた。

まあ、そのあたりを選曲するあたりが「完成域に入った中年」の証しだ。

2 件のコメント:

  1. 小5でマック初体験なので、最近本当に老いを感じると共に、気持ちは15のままなんですが、外見的にどういうポジショニングでいたらいいか自分を見失って困っています。
    先日は税金の専門家の方に税を語ってしまい大変失礼いたしました。赤面;

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  2. 若い子とカラオケにいって
    桜田淳子の「化粧」を歌ったらいい歌ですねって言われてうれしかったです(笑)

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