2011年3月11日金曜日

法廷闘争


面倒なことは不思議と重なるもので、最近、裁判所に出かけることが多い。そんなに大それた事件でもないし、こっちが訴えられているわけでもない。だから変なプレッシャーはないのだが、とにかく面倒くさい。

資料を探し出したり、それに沿ったシナリオを書いたり、こっちの弁護士に内容と経緯を理解させて身に染みこませるまでが大変。

相手の主張に対抗する反論を理路整然と構築しないといけないし、それに加えて、とにかく観念的、情緒的な要素無しに事実だけを積み上げて立証する必要があるから厄介。

「確かこうだった」とか「そうだったはず」という主張や資料は意味がないから、結構、準備や調べ物に時間がかかるし、神経も使うし、頭も使う。

法廷闘争になると先方の反論とか回答は、感激するほどウソばっかりだ。見事なまで相手側に都合の良い物語を創作してくる。

そうは言ってもウソを崩すには、こちらが明確な証拠を示す必要がある。実に不毛な作業だが、その部分が勝負の分かれ目だ。

一応、私は法学部出身だ。もっと法律をマジメに勉強しておけば良かったといつも思うのだが、考えてみると法廷闘争に必要なのは、法知識より、もっともらしい話を創作する力と裁判官に訴えかける文章力に尽きると思う。

これまでも会社の法的な問題をアレコレ担当してきたが、対峙した弁護士の傾向が少しずつ分かるようになってきた。

左翼系バリバリの弁護士が相手側につくケースが何度もあったが、もともと体質的に左翼系の人々が大嫌いな私だ。こういう場合には普段より熱が入る。

わが方についている弁護士センセイもだいぶ左っぽいオジサンなのだが、そんな彼が「アッチ系の連中は・・」などと腹を立て始めてくれると調子が出てくる。弁護士さん同士は和気あいあいとやりたい感覚があるから、弁護士が怒り始めてくれるとエンジン全開だ。

グダグダとくだらないゴタクばかり並べて依頼者の利益なんてそっちのけにするお偉い弁護士センセイも結構いる。

そういうセンセイに頼る依頼者はとかく無知なケースが多いから、「センセイの仰せの通りでごぜーます」と盲目的にそのセンセイ様を教祖のように仰ぎたてる。

結局、可哀想なのは無知な依頼者だ。依頼者のためというより、センセイの自意識のための主張と小遣い稼ぎにいつまでも付き合わされる。

もめ事が法廷にまで進んじゃうと、弁護士さんを抜きにして当事者同士で腹を割った本音の話し合いは出来ないから、気の毒なのは無知な依頼者だ。

こっちも、焦っているフリをして、相手が足元を見てきた段階で、全然焦っていない姿勢に転換し、干上がらせるようなイジワル作戦に出てみたりする。

妥協して終わりにしてもいいかなと思う場面になっても、こっちも看板がある。そこまでこじらされたことへの意地もある。安易な妥協は禁物だ。何年かかっても主張を通すという信念、胆力みたいなものも必要だ。

そう意気込んでみても、結局は「裁判官の圧力」がたいていの紛争を終わらせる。判決を書くのが面倒な裁判官は、とにもかくにも和解を勧める。

殺し文句はこれだ。
「このぐらいで和解しておかないと、オタクに不利な判決が出ますよ」。

こうなるとさすがの意気込みも弱まる。おまけに弁護士もさっさと終わらせたいから裁判官に追随したりする。よほどの事実誤認がなければ手打ちになる。

要するに、裁判官が圧力をかけてくる段階までに、いかにこっちが正当かを盛りだくさんの証拠を揃えて主張しないとならないわけだ。

この手の争いごとでタマんないのは、一生懸命頑張ってもその後の役に立たないことだ。個別の紛争だから、それにまつわる法律には詳しくなるが、そんな案件に今後遭遇する可能性は極めて低い。

仕事をする人間として、これは面白くない。取材記者時代なら、あるテーマを追っかけてそれなりの記事に結びつけば、その後の取材や知識の幅が広がって徐々に力量が上がっていくことを認識できた。

個別紛争ではそうもいかない。身に付くのは、レアな法律解釈とか、裁判所の場所とか、手続きとか、そんなことばかり。これがシャクにさわる。

今日は、裁判所の帰りに食べた昼飯の話を書こうと思ったのだが、全然そっちの話題に持っていけなかった。

こんな文章力では裁判に勝てない。

まあいいか。

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