2011年4月18日月曜日

花が舞う


京都・嵐山に桜を見に行った。舞妓時代から親しくしている祇園の芸妓さんに誘われてふらふらと散策してきた。

京ことばに癒されながら、散りゆく桜を愛でる。白いうなじに花びらがひろりと舞う。

はんなりとしたひと時に心が洗われた。家族には内緒の束の間の逃避行だ。


というのは真っ赤なウソです。ただの願望。


この画像は、東京の千鳥ヶ淵。風に舞う花びらがお濠の水面を桜色に染めて私の頬もピンクに染まった某日夕方のひとコマ。

今年の桜は何かと切ない感じが強かった。例年ならライトアップされている場所も自粛ムードで寂しいばかり。

美しさよりも憂いにも似た感情で桜を眺めた人も多いだろう。私もそんな一人だ。どうも気分が上がってこない。

「スピッツ」のボーカルがストレス障害で休養していたそうだ。結構多くの人が、今年はウツウツとした春を迎えている。

死んだ祖父が晩年、桜を見るたびに「今年で最後かな」と語っていたことを思い出す。ガンと闘っていた知人が哀切の眼差しで桜を見ていた情景も頭をよぎった。

もともと、和花の象徴でもある桜は、古くから一期一会とか諸行無常といった日本人的感性に訴えかける要素が強く、千年以上前から和歌には欠かせない素材。

DNAを受け継ぐ現代人が、ヒラヒラと散りゆく花びらを見れば感傷的になるのも当然だ。ましてや多くの人がモヤモヤ病?状態の今年はそんな傾向が強まったのではないだろうか。

とはいえ、桜が咲いて散っていくタイミングは、日本人的感性では、一種の転機を意味する。新緑が栄えるこれからの季節、前向きになるにはいい機会だ。

なんか、自分に言い聞かせているような書き方になってしまった。

恥ずかしながら私も「モヤモヤ病」だ。震災報道、原発報道、ユーチューブの見過ぎが原因だろう。いかんいかん。

せっかく気分が上向いてきても、不思議と携帯の地震予知メールが鳴り出す。そのせいでまた落ち込む。職場でも一斉に「ブイッ、ブイッ」と不気味な音が響くと憂鬱になる。

まあ、あの警報のおかげで、タバコを消したり、書棚から離れたりする時間があるから仕方ない。いい加減馴れることにする。


先日、気晴らしにサウナに出かけた。そこでもネガティブ思考がむくむくと頭をよぎる。サウナ中に大地震が来たら、サウナの扉が歪んで開かなくなって、フルチンのまま干からびて死んじゃう。

想像するだけで汗がいっぱい出たからサウナに行かなくても平気だと思う。

妙に深い場所を走る地下鉄には乗らない。エレベーターにも乗らない。先日など仕事で訪ねた某所で10階まで階段で上がる始末。

アルコールもバカ飲みが出来ない。酔っぱらった状態で帰宅難民になるのがイヤだから、つい控えがち。実にだらしない。

どうしたもんだろうか?

やはり、ムダな衝動買いに走ったり、ご馳走をここぞとばかり食べまくったり、吉原の超高級店で二輪車に励むぐらいの非日常的行為に励んだ方がいいのだろうか。

考えているより実行あるのみかもしれない。

でも、吉原あたりで地震に遭遇したら格好悪すぎる。もう少し検討してみよう。

モヤモヤ病を克服する魔法を知っている人は是非教えていただきたい。猪木のビンタとかアニマル浜口に気合いを入れてもらいたい気分だ。

そんなこと言いながら、いま私の頭をよぎっているのは、「運転が下手な男は夜の場面もヘタだ」という説だ。ある人から聞いた新しい学説?だ。

なんとなくうなずける理論だと思う。運転が荒いとか、トロい、もしくは運転が丁寧、センスがいい等々、言われてみれば意外とそっち方面と共通するものがありそうだ。

この説を聞いて以来、クルマに乗る際は、普段かけない眼鏡をかけてスムーズにセンス良く運転するように心掛けている私だ。

どうやら充分元気みたいだ。

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