2011年6月10日金曜日

粋と野暮

先日、携帯が急に使えなくなった。何やら一部の回線異常が起きたらしい。こんなに小さな機械が使えなくなるだけでアタフタするのだからだらしない。実にヤボだ。

ヤボといえば、その日のドコモのホームページだ。回線異常を知らせする告知ページで、原因について「ネットワークの輻輳」と書いてある。「輻輳」って何だ?

こう見えても私は文化系出身で、国語は出来るほうだったし、漢字も読めるほうだ。「ふくそう」と読むらしいが、ドコモはルビすらふっておらず、当然、意味も記載していない。アホちゃいまっかって感じだ。

通信が集中してつながりにくい状態を意味するらしいが、だったらそう書けばいい。お客目線が欠如。実に野暮ったい話。

テレビのクイズ番組は最近すっかり教養自慢モノばかり。一般的ではない変な漢字とか熟語を羅列する。ちょっとした学歴自慢の面々が威張って読み方や書き方を答えている。

あれもヤボの典型だろう。そうは言いながら見てしまう私もヤボではある。

粋と野暮。なかなか難しいテーマだ。江戸っ子である私としては、すべての行動目標はイキであることなのだが、これが難しい。

つまらない自慢もするし、変な見栄も張る。酔えば話がしつこくなるし、知ったかぶりもする。好きな人が出来ればドタバタしてしまう。

まるでヤボだ。

会食中には宗教と政治の話はタブーとされている。確かにヤボだ。そうはいっても、古代ローマ人の変態セックスの横行がキリスト教によって抑制されたとか、総理大臣に向かって生卵を投げつけてみたいとか、ついつい宗教と政治をネタに酒を呑んでしまう私だ。

寿司屋のカウンターでサササっと握りをつまんで「ごっそーさん」とか言って立ち去ろうと思っても、いつもダラダラ長っ尻。

一応、やせ我慢が美徳だと思っても、これまでの人生、据え膳を食わずに耐えた記憶もない。

ちっともイキではない。問題だ。

イキとヤボを自分なりに勝手に解釈してみた。人間誰しも基本的には野暮な生き物で、そのみっともなさを自覚することで、ハードルの高いイキを目指す。すべてがイキな御仁など天然記念物みたいなもの。イキじゃないからイキに惹かれる。

イキに惹かれない、イキを目指さない、ヤボに気付かないことがヤボなんだろう。そういう意味では、私の場合、ヤボを自覚しているから少しはイキな部分があると思い込むことにする。つくづく凡人の考える自己弁護だ。実に深みも味もない考え方だ。われながらウツウツする。

もう少し自己肯定してみよう。何かしらのトラブルに直面しても、騒がない、動じない、バタバタしない(フリをする)ことを基本路線として自分に言い聞かせてはいる。せせこましいことを気にしない(ように意識しているつもり)、ネチネチした言動は避ける(ように頑張っているつもり)。

ホラを吹くこともなく、自分を飾ることなく、大事な事には口が固く、誰かを頼り切るわけでもない。等々。すべて目指しているだけかもしれないが、目指すことが第一歩ではある。

まあ、そういうことを力説していること自体がとてつもなくヤボではある。

変な話、ブログを書いていること事態がヤボの極みかもしれない。どこに行った、何を喰った、すべった転んだをダラダラ人様にお読みいただくわけだから、間違ってもイキではない。

結局、私は「野暮天」だという結論になってしまった。

「富豪記者」というタイトルも「野暮天エセ富豪記者」の略語ということでご容赦いただくことに一方的に決める。

ヤボだから食べ物の話でも書く。

先日、珍味不足の日々を嘆いてみたが、ある晩、久々の珍味攻め。幸せだった。その後2,3日は珍味を控えめにした。その辺がイキではない。



銀座・九谷で食べた「ますこ」だ。「鱒子」と書いたほうがいい。「ますこ」だとうらぶれたスナックの名前みたいだ。

スジコよりも小ぶりでジュワンとしたエロスが口に広がる。魚卵は素敵だ。エネルギーが充電される。無口になって笑顔になる。

つまみだけで飽きたらず、寿司飯と一緒に巻いてもらった。これまた官能的だ。大勢の子どもを殺戮した感じだ。



北海道産の上質なたらこも軽く炙って酒の肴にする。子持ちシャコもほんのり火を入れてもらってグビグビ呑む。魚卵オンパレードだ。海中に暮らす面々からは間違いなく「子ども殺し!」とか非難されているはずだ。

その償いはコレステロール値の上昇で許してもらおうと思う。

5 件のコメント:

  1. 富豪記者様

    いつも楽しく読ませて戴いております。
    実はわたくしも最近、江戸文化の読みものを手にすることがあり、その明るい快楽主義への追求ぶりと、個々の美学を尊重する時代の大らかな空気に、深い溜め息をついております。

    また西の出身者にとって、江戸っ子気質を残す人々にも大変興味を持っております。

    そこで貴重な江戸っ子の末裔でいらっしゃる富豪記者様にお伺いしたいのですが、「粋」と同等に重要な江戸気質とされる、「張り」とはどういうものなのでしょうか?本を読んでいても、なんとなく理解はできるのですが、「粋」の深みほどしっくりくる説明がないのです。

    是非、本場江戸っ子の富豪記者様にご教示戴きたく宜しくお願い致します。

    神楽坂の黒猫「玉」より

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  2. 玉さま

    コメント有り難うございます。

    「張り」ですか、、、難しい概念ですね。
    よく分からなくて恐縮です。

    江戸とか東京人に限った話なのかどうか分かりませんが、イキとヤボと張りは、それぞれが表裏一体なんだと思います。

    「突っ張る」の張りですから、誇張という意味合いだけでなく、無理をする感覚であったり、やせ我慢に近い感覚でしょうねえ。

    無理をしなければイキにならないし、無理をしすぎればヤボなことですし、その加減が人としてのセンスなんでしょうね。

    強いて言えば「イキ」は遊び心の延長で、「張り」はもう少し緊張感のある場面での強がりとでも言えばいいのでしょうか。。

    平凡でスイマセン!

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  3. 富豪記者様

    『無理をしなければイキにならないし、無理をしすぎればヤボなことですし、その加減が人としてのセンスなんでしょうね』のご説明が、とってもしっくりきました。有難うございます。

    これからも貴殿の粋なブログ日記を楽しみにしています。

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  4. はじめまして

    海外巡業が長く、今の銀座佃喜屋を検索していたところ
    (近く立ち寄るため)富豪記者さんの紹介ページから
    飛んで拝見しました。

    爽快な文面、気持ちよく読ませて頂きました。

    お子様との日常や食と色への下りなど男臭さ満載ですが
    さらりと落ちをつけて、にやりとさせるところなど感心して読んでいます。

    今後も楽しみにしております。
    有難うございます。

    俊成拝

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  5. 俊成さま

    コメント有り難うございます。
    過分なるお誉めの言葉をちょうだいし恐悦至極でございます!

    励みになります。雑文だらけではありますが、今後とも覗いてやって下さい!

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