先日、facebook上で、旧友がお気に入りの湯飲みを金継ぎして使い続けている話を読んだ。
作家モノの白磁の湯飲みだったが、少しだけ欠けた口周りを金細工で補修。器も幸せだろうと思う。
かくいう私も、昨年、家で愛用している唐津の湯飲みが欠けてしまい、金継ぎして復活させた。愛着のある器には自分なりの歴史やドラマを閉じこめているので、なんとか使い続けたい。
この画像のぐい呑みは、かれこれ15年近く前に岐阜まで窯場めぐりに出かけて買ったお気に入りだ。その頃の私は、画像の器のようにひしゃげた作品が好きで、これもその典型的な一品。
東海地方を代表する美濃焼や瀬戸焼は、一般的に志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部といった手法・色柄に分類されるが、画像のぐい呑みは愛好家が多い鼠志野というジャンルだ。
そんなに高価な品ではなかったが、大ぶりでひしゃげていて、当時、冷酒ばかり呑んでいた私が一目惚れした。
磁器と違って陶器の場合、使えば使うほど風合いが変化してくるのが楽しみ。「萩の七化け」といわれるほど、アッという間に変化する萩焼ほどではないが、志野も使い込めば表面の様子が変化してくる。
とはいえ、一般人が一般的な家庭で、その他にいっぱいぐい呑みを使う中で、お気に入りの器を変化するほど使い込むのは至難のワザである。
このぐい呑みは、当時、毎週一度は通っていた目白台のお寿司屋さんに預けて鍛え込んだ経緯がある。私が行った際はもちろん私専用の器として使い、その他の日はお客さんに使ってもらった。
そのお店には風流なお客さんも多く、器好きな御仁も少なくなかった。カウンターの端におかれた備前の花器には季節の野の花が飾られ、穴子の握りなどは緑色の発色が美しい織部の小皿に笹の葉とともに供されていた。
預けたぐい呑みも、大将に頼んで、私以外に使ってもらうお客さんを絞り込んだ。意味の分かる人に使ってもらいたくて、一定の人達にだけ使ってもらった。
5年近く、その店で鍛えられたぐいのみは、この画像では分からないが、物凄く変化した。角が取れたというか、表面がトロッとした風合いに変わり、見込みの部分も日々、冷酒を注ぎ込まれたことで適度に枯れてきた。
10年ぐらい「丁稚奉公」させたかったのだが、店の大将の不慮の死により、この器は私の元に里帰りした。
いろんな思い出のせいで、しばらくは使えなかったのだが、ここ2,3年ちょくちょく使っている。
20代中盤ぐらいから30代前半ぐらいまでの私自身の物語がこの器には閉じこめられているように思う。
思い入れのある器だけに、たとえ間違えて木っ端みじんに割れるようなことがあっても、専門家に頼んで修復するだろう。
価格だけで見れば、この器より10倍、20倍もするぐい呑みも持っているが、大事さという点では一番かも知れない。
こちらは唐津の井戸ぐい呑み。井戸茶碗の井戸から来た呼び方だ。俗に井戸のように深いという意味合いでそう呼ばれる。
釉薬の縮れ具合を表わす「梅花皮(かいらぎ)」の風情が好みで一目惚れした。この一品は佐賀・唐津に出かけた際に作家の工房で購入したお気に入りだ。
何年か前に、思うところあって、日々、家に帰らずふらついていた時期があった。
週末は、ほぼどこかの温泉宿で過ごしていたのだが、当時お供してくれたのがこのぐい呑みだった。苦い酒ばかり注いだ気がする。
そんな記憶があるので、最近は陳列棚でひっそり置かれたままだ。楽しい酒を飲む時に付き合わせてやらねばと思っている。
こちらのぐい呑みは、伝説的巨匠・荒川豊蔵の内弟子だった豊場惺也さんの一品。本来、絵付けとか文字入りの酒器には興味がない私なのだが、この一点だけは特別。
それこそ、さっき書いたふらついていた時期を過ぎ、ようやくマトモな状態に戻りかけていた時期に、ふと近代陶芸も扱う骨董屋で出会って、迷わず手に入れた。
「福」の文字のけれんみのない勢いに惹かれた。おまけに私の干支「巳」も書かれている。お守りみたいに感じて大事にしている。
これで一杯ひっかけると不思議とウサが晴れるし、前向きな気分になるから不思議だ。
たかが器、されど器。酒器ならば尚更、酒という素材を受け止める性質上、いろいろなドラマを投影することが出来て楽しい。
黙ってコップ酒というスタイルも格好いいが、たいして呑めない私だから、その一杯一杯にストーリー性を求めたくなる。
ちょっとキザでイヤミっぽいから適当にしておこう。
最近は、憂いもなく楽しい酒が多い。これって幸せなことだ。こんな幸せを記念して新たな一品を買おうかと思う懲りない私だ。
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