2012年1月20日金曜日

昭和 郷愁

昭和を題材にした映画やドラマを見ると、ノスタルジックな気分になる。郷愁なんていう言葉が脳裏をよぎる。

お年寄りみたいだ。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の新作が間もなく公開される。1作目、2作目ともになぜかぶりぶり泣きながら見た。音楽のせいだろうか、どうでもいい場面でもウルウルする。

先日、NHKが2週連続で放映したドラマ「とんぼ」を見ても泣いた。昭和40年代から50年代の世相をバックに父と息子の情を描いた秀作だった。

連続ドラマも、外務省の機密漏えい事件である、かの「西山事件」をドラマ化した山崎豊子原作の「運命の人」が始まった。これは泣く話ではないが、昭和40年代の空気が色濃く描かれた力作のようだ。

昔を懐かしむことで、今の世相を悪く言うような薄っぺらジジイみたいなことは言いたくない。昔は昔で良かったし、今は今で悪くはない。ただそれだけの話だ。

よく「いまどきの若い連中は・・」などとシタリ顔で四の五の言うオッサンがいるが、あれもスマートではない。あんなもん、ヘタすると若さへの嫉妬に聞こえる。

それぞれがそれぞれで善し悪しウンヌンはどうでもいい。

なんか理屈っぽくなってきたから軌道修正。

昭和の時代だ。何が特徴だったかといえば、楽観的な空気だった気がする。その点で、今の若い人は気の毒ではある。ほんの30年前にはリストラなんて言葉はなかった。過労死とか中高年の自殺だって今より間違いなく少なかった。

極端な言い方をすれば、黙っていても年齢相応に階段を自然に上っていける感覚が誰にでもあった。

まあ、そんな分析をしたところで始まらない。そういうことを書くつもりではなかった。もっと俗っぽい話題を取り上げたい。

携帯電話やメールがない環境で若者時代を過ごした。当時は当然のことだが、今思えばアナログな日々が妙に意地らしく切なく思い出される。

時間にルーズだと確実に仲間はずれになったし、駅の改札そばにある伝言板にはいつでも書き込みが賑やかだった。

待ちぼうけ、ドタキャンの意味や重さが今とは比べようがないほどドッシリしていた。

会いたい人に会えないことへの忍耐力も当然今より強かった。「我慢できない」などというわがままも、アナログな時代は、手の打ちようがないわけだから、ひたすら忍ぶしかない。花びらをつまんで、会える、会えないなどとシミッたれているしかなかったわけだ。

いまや気になる相手の動向を知ったり連絡を取り合うには、小さい機械をチラッと見るだけでコト足りる。デジタル化の恩恵だ。

固定電話の前でひたすら待つなんて経験をした人は案外多いはずだ。相手の親に電話を取り次いでもらう時のビビる感覚とか、ああいうやるせなさを時々ふっと思い出すと、まさに隔世の感がある。

便利になった反面、今の人にとっては、その便利さが大変なこともあるらしい。メールが1日来ないだけで、やれどうした、大丈夫か、死んでるのかなどなど。

でも、便利に連絡が取り合える以上、それはそれで当然の成り行きなんだろう。アナログな頃だって、例えば熱烈交際中の若人は2,3日連絡が取れない事態になれば顔色が変わったりした。

考えれば、電話のない時代は、熱烈交際中の若人は手紙しかなかった。それより遙か昔であれば、手紙だって一往復するのに何ヶ月もかかったりした。

我慢する気持ち、忍ぶ気持ち、気長に耐える気持ち。こういう感覚は世の中が便利になればなるほど、薄らいでいくのだろうか。

色恋沙汰は別として、生きていく上で、大らかに気長にドッシリと構える姿勢は大事だ。大人の男の品格などこの部分だけで決まると言っても大袈裟ではない。

そう思うと、最近、短気に拍車がかかった自分の小者ぶりが情けない。加齢のせいもある?が、要は世の中の便利さにドップリ浸かってしまったせいで、何事においても、ちょっと流れや段取りが悪いだけですぐにカチンと来るようになった。

ダメダメだ。大らかさや心の余裕が足りないと、人間は途端に卑しく見えるものだ。不便を普通と思うかどうか、そのあたりに改善のヒントがあるような気がする。

話が飛びまくった。昭和の話を書くつもりだった。

昭和40年代、50年代について、いくつか書き出してみたい。

とにかく、誰もがどこでもタバコを吸っていた。電車だろうと飛行機だろうと、どんな高級レストランだろうと、人様の家だろうと、お茶を飲むかの如く普通にスパスパしていた。

誰もが知っているヒット曲が街中のあらゆるところで流れていた。西城秀樹のヤングマンとか都はるみの北の宿からとか、布施明のシクラメンのかおりとか、大ヒット曲は老若男女みんな口ずさんでいた。

年末の歌謡大賞とか、レコード大賞の権威が、きっと今より3千倍ぐらい高かった気がする。

ツッパリのお兄ちゃんだけでなく、パンチパーマの人が沢山いた。オバサンもパンチパーマみたいな髪型の人がいっぱいいた。そう言えば、やたらと賑やかだった暴走族の騒音も昭和ならではの音色だった。

ポルノ女優とか雑誌で見かけるトルコ嬢とか、水商売方面の人達が、不思議とみんな独特の風貌だった。素人っぽいとか、お嬢様系とか、そういうジャンル分けなど無かった。説教始めたら恐そうなオネエサンばかりだった。

ファミレスやファーストフードが贅沢な世界だった。いまではデフレを象徴する産業とも言えるが、昭和50年代の前半ぐらいまでは、どこかヨソイキの雰囲気が漂っていた。まさに「たまのご馳走」。デパートのレストラン街も同様。デパート自体が「ハレの場」だった。

昭和40年代ぐらいまでは、ファミレスはもちろん、コンビニが無かった。回転寿司も無かった。夜は街が暗かった。

駅の改札には切符切りの達人のような国鉄マンがいて、カチッカチッとせわしなく改札バサミをリズミカルに鳴らしていた。

切符切りに集中しているかと思いきや、期限切れの定期券で通過しようとする子どもなんか一発で見つける観察眼まで持っていた。

ゴミの分別が大雑把でもOKだった。ゴミ出し用の袋も真っ黒が常識で、なんでもかんでもごちゃ混ぜに捨てることが出来た。イマドキは収集日も減ったし、客に対する注文が多すぎやしないか。腹が立つ。

そのほか、下半身丸出しで歩いている変な人に頻繁に会えたとか、週休2日の人なんかいなかったとか、高校野球見たり、アリVS猪木の決闘見たり、みんなが同じものを見ていた。

そのほかには、25歳ぐらいになると男も女もすっかり老け込んでいた記憶がある。年齢のイメージというか、年齢の位置付けが顕著に変化した部分かもしれない。

今の時代、40歳を過ぎた俳優でも若者風の装いで若造的な役柄を演じている。30歳ぐらいになってもアイドルみたいに歌っている女性タレントも珍しくない。

以前にも書いたが、「太陽にほえろ」で石原裕次郎がボスを演じた時はまだ30代。「踊る大捜査線」の青島刑事より年下だったわけだ。

昔の人が生き急いでいたのだろうか。いや、今の人間が中高年までひっくるめて幼くなったことが理由だろう。

変な話、あの時代、私と同じ年齢の男が、下世話な身辺雑記を喜々として書き、ましてやその行動内容が若造なみに幼稚だったりすることは無かったと思う。

もっと漢詩を引用したり、先人の詩歌から処世訓なんかを学び、国を憂い、社会を憂い、太平のなかに研鑽の道を求むような年齢だったはずだ。

そんな時代の中年じゃなくて心からホッとしている。幼稚で結構だ。ずっと青春でいてやろうなどと考えている。

いやあ、それにしても、今日はどうでもいい話をダラダラと書き殴ってしまった。ここまで目を通してくれた方に心から敬意を表わしたいです。

2 件のコメント:

  1. 富豪記者様

    本日のコラムは、昭和大好きの私にとっては胸弾む内容でした☆
    全行深く頷きながら読ませて頂きました。。。「便利さは美の一番の敵である」とドナルド・キーンさんが著書で書かれておりましたが、昭和と平成の趣を比べると、その言葉の重みが深く感じられます。美空ひばりは52歳で天に召されましたが、今の松田聖子(49歳)がその齢に近づいていると考えると、どうしてもそのギャップに戸惑わずにいられません。また、「昭和の怪物」と聞くと何人かの顔が浮かびますが、平成以降は怪物という言葉が死後になる程、きわどく魅惑的な大物の人間が浮かびにくくなったような気がします。
    NHKドラマもので言いますと、個人的に山田太一の名作「男たちの旅路」の大ファンなのですが、今度「キルトの家」という山崎努(昭和の名優ですよね)主演のドラマが今月28日、来月4日NHK総合で21時から放映されます。山田太一も昭和の日本ドラマの金字塔のようなものなので、富豪記者様もお嫌いではないかと。。。一応ご参考までに☆

    今週末、初京都旅行に行ってまいります。富豪記者様の「オトナの眼」の章を参考に色々散策してこようと思います♪

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  2. 玉さま

    お誉めいただき恐縮です。

    確かに岸信介とか児玉誉士夫みたいな顔付きの人がいなくなりましたねえ。。

    総理大臣の顔がヌメッとしてる感じとでも言いましょうか・・・。

    ドラマの件、面白そうですね。男たちの旅路も友人のススメで色々見ました。名作ですよね。

    冬の京都、雪景色にノックアウトされてきてください!

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