2012年6月22日金曜日

バリ島のスピリチュアル

こんな時期に休みを取ってバリ島に行ってきた。これまでにもう10回以上は訪ねただろうか。あの島のスピリチュアルな部分に凄く惹かれる。

もっとも、水中撮影をしたり、リゾートでホゲホゲしたりすることが大半なのだが、合間合間に観光して感じる歴史や文化、漂う「気」にいつも刺激を受ける。

バリヒンズーという独特な宗教に根ざした島の人々の暮らしにはいつも神様がついて回る。島に数万ともいわれる寺には常にお供え物が絶えず、道端の小さな祠でも祈る人の姿は絶えない。


善と悪の共存というか、悪なるものへの畏敬の念も強く、小さな店ですら玄関先の地面にもお供え物が置かれる。

八百万(やおろず)の神とともに生きてきた日本人の感性にどこか響く要素が詰まっている。鎮守の森とか山岳信仰なども相通じる概念のようで、バリに行くと、どこか自分のDNAが震えるような感覚に陥る。


などと、ぶつくさ書いてみたが、要は私との相性が妙に合う場所である。食べ物もクセがないし、物価も安いし、海、山、高原それぞれに楽しめる。

今回は、東海岸の海側に滞在して水中撮影に没頭し、その後、高原リゾートでスピリチュアル気分に浸り、後半は至れり尽くせりの人工的大型リゾートで殿様気分を味わってきた。




何だかんだ言ってナシゴレンとミーゴレンばかり食べていた。焼きめし、焼きそばだ。それぞれどこで食べても微妙に味が違うから飽きずに毎日のように食べた。

現地人御用達のトマト唐辛子ソースであるサンバルをぶりぶり混ぜてピリ辛にして食べるナシゴレンは「コメラバー」の私を悶絶させるには充分。大好きだ。

あとはマンゴスチンだ。季節外れなのでせっせと探したり、ホテルスタッフに小遣い渡して買いに行ってもらったり、そんなことばかりしていた。

さて、クタ周辺の猥雑な場所は別として、バリ島は他の東南アジアのリゾートと比較すると、田舎に行っても全体的に綺麗でキチンとしている。やはり宗教の他にも地域ごとに根付く濃厚な集合体としての暮らしぶりが、全体の民度を支えているのだろう。

年々、発展が続くなかで、中心地である南部エリアの交通渋滞は相当深刻な様子。大型プロジェクトで地下道路を建設していることも影響しているようだ。

人口に占める若者の割合が多く、資源も豊富で地理的にも何かと利便性が高いインドネシアは、近年、投資家からも注目のマトだ。

インドネシアの中でも別な国のように独自性が強いバリにも変化の波は押し寄せている。旅行者としては便利になって有難いが、素朴な雰囲気が失われつつあることが寂しくもある。しょせん、ヨソ者のワガママだが、適度なバランスで発展していって欲しいと思う。

なんかタイトルとは遠い話になってしまった。

スピリチュアルな部分を書くつもりだった。


バリの様子を一言で言い表すなら「濃密」に尽きる。神々の島と呼ばれるだけのことはある。朝焼けを見ていても昼間のんびり歩いていても、陽が落ちた後なら尚更、そこらへんに「何かが潜んでいる」ような気配を味わえる。

そう書くと不気味だが、潜んでいる?ものの正体は悪霊とか魔女とかワルばかりではない。精霊とか妖精みたいなフレンドリー系も多いような感覚にとらわれる。


活字にするとバカみたいな話だが、こんな私でも、以前、霊能者にスピリチュアルな能力があると指摘されたことがある。

何かを感じたり、一瞬見えたような気がする機会はしょっちゅうあるから、そこそこマト外れではない感覚なんだと信じている。

イヤな感じ、ゾッとしてその場にいたくない気分になる場所はこれまでにもいくつもあったが、バリの場合、濃密ではあるものの優しい「気」を感じる。私にとってはパワースポットなんだろう。

そういえば、これまでに一度だけバリのホテルで「得体のしれないダメダメな気」に覆われたことがあったが、そっちの話はまた別の機会にしよう。

今回はハヤリのプールヴィラにも2カ所泊まってきた。実際に経験したことで、雨後の竹の子のように増殖中の「プライベートプール付きのヴィラ」を選ぶ際のポイントが良く分かった。

プールヴィラの話は次回の更新に詳しく書いてみたい。

ちなみに今日の画像の最後の2枚は、ミラーレス一眼カメラに搭載されていた「ドラマチックモード」という機能を使ってみた。寺院の入口と朝焼けの光景が適度に不気味にデフォルメされて、バリの神秘性を際立たせることができた。イマドキカメラはなかなか面白いことを実感した。

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