初夏の頃が好きだ。初夏といっても5月か6月か7月かその定義は微妙だ。私の場合、6月中旬から7月中旬ぐらいまでが初夏のイメージだ。
曇り空やうっとおしい雨も、冬や秋のそれとは違い、さほど淋しさを感じない。来るべき夏への気分の高まりのせいだろうか。
時々、カラッと晴れる青空が気持ちを爽快にさせる。命が輝く季節だと言えば大げさだが、やはりエネルギーに溢れる夏を目の前にするとシャキッとした気持ちになる。
感覚的な話になるが、初夏に咲く花も、どこか力強さを感じる。紫陽花、紫露草、北の方ではラベンダーなどが見頃だが、春の花のようなポワポワした風情ではなく、シュっと咲いている印象がある。
薔薇も初夏に咲き誇る種類が多いようだが、あれこそガッツリ系だろう。蓮の花だって「どうだ~」っていう勢いがあるし、これから出てくる向日葵だって力強さの象徴みたいな感じだ。
本来、はかなげな和花が好きな私でも、これからの季節の花にはついつい目が行く。勢いにあやかりたいような気分になる。
初夏の話に戻る。
初夏といえば何といってもホタルだろう。虫の分際で実に神秘的で風流だ。ホタルと聞いただけで初夏の水場の香りが頭に浮かぶ。存在そのものが季語みたいだ。
都会育ちのせいで、身近にホタルがいたことはない。わざわざ見に行く憧れの存在だった。大人になってからもわざわざ山梨とか群馬まで出かけてホタル鑑賞を楽しんだ。
清流の水が匂い立つような湿度の高い夜ほどホタルは乱舞する。見ているだけで泣きたくなる。理由もなく誰かと心中したくなる。ちょっと例えが変か。
そのぐらい魂が揺さぶられる。老後は庭の渓流にホタルが遊びにくるような風流な家に住みたいとつくづく思う。京都・詩仙堂を作った道楽オヤジである石川丈山を見習いたい。
花にホタルとくれば、次は浴衣の女性だろう。最近は、ギャル時代にへんてこな着方を覚えた若い女性がへんてこな感じで浴衣を身にまとっているが、あれはイヤだ。オーソドックスなものはオーソドックスなまま変わらないでいてもらいたい。
ついでにいうと、銀座あたりの飲み屋さんの浴衣デーとか浴衣祭とやらも勘弁して欲しい。あの手の空間にそもそも浴衣は馴染まないし、ギトギト系のメイクだと、わざとらしいし、あざとい印象しか残らない。
あんなことをするなら、純粋にホステスさん全員が着物を着る日とかを作ってもらったほうがよほど楽しい。
話が飛んだ。浴衣の女性とのひとときを妄想してみる。
淡い色合いの麻の浴衣を着た女性にウチワで扇いでもらいながら、とりとめのない話を交わす。ウヒョウヒョだ。
浴衣には朝顔の模様があって、ウチワには小さく金魚なんかが描かれていて、草履からのぞく愛らしい足の指にドキッとしたりする。そんな場面に遭遇したら10年は寿命が伸びそうな気がする。
さてさて、そんな女性とだったら、やっぱりかき氷をご一緒したい。ホントは練乳イチゴが食べたくても、大人だから我慢してみぞれにする。半透明なやつだ。
お相手が注文した冷やししるこの白玉を横取りしてすねられたりするのもいい。うーん、これまた寿命が10年は延びそうだ。
そして軒先の風鈴が、夕方の風に吹かれてちりんちろんと響いたりする。何とも艶めかしく心が洗われる情景だ。
夏まっさかり直前の初夏を思うと、ついついこんな妄想に浸りたくなる。一年で一番好きな季節かもしれない。
春夏秋冬、季節を人生に例える表現をよく見聞きするが、初夏はさしずめ青春の頃だろう。青臭い頃だし酸っぱい思い出がいっぱいあるから、初夏をイメージするとどこか切ない気分になるのだろうか。
自分の年齢を季節に例えたら、どう逆立ちしても夏は過ぎ、秋の頃にいる。だから切ない初夏に惹かれてしまうのかもしれない。
なんかそう書くと寂しい感じだ。いかんいかん。
人生秋の頃、いわば「紅葉期」だ。紅葉などと表現すると寂しいから、「高揚期」だと言い換えてみることにする。
まだまだ高揚しまくって日々を過ごしたい。冬を迎えるのはご免こうむりたいから、長い長い秋を楽しんで暮らしていこう。
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