2012年8月1日水曜日

初恋

NHKでやっていたドラマシリーズ「はつ恋」を今更ながら見てウルウルした。


6月、7月と毎週火曜の夜に放送されていた全8話のドラマだったのだが、まとめて録画してくれた友人のおかげで一気に見ることができた。

いやあ感激した。ストーリー自体は荒唐無稽なのだが、演出の力と俳優の演技力によって、どんどん引き込まれてしまった。

情感たっぷりだった。さすが国営放送だ。くだらないバラエティー番組やちんけなドラマばかりの昨今、久しぶりに丁寧に作り込まれた心を揺さぶられるドラマだった。

井原剛志と木村佳乃の組み合わせだ。派手さはないのだが、実に情感たっぷりに40代の男女の切なさを演じていた。木村佳乃の年下の旦那役の青木崇高という若い俳優も実に良かった。

とにもかくにも「切ない」。この一言だ。ドラマに求めるものは、楽しさか切なさのどちらかだろう。「心が切れるような思い」を意味する切なさを徹底的に追及したこのドラマは大人の心にうったえる出来映えだった。

8月にはBSで再放送も予定されているから、見過ごした人には是非おすすめしたい。

ドラマでは初恋のせいで、男も女も人生の歯車が大きく狂うわけだが、そんな強烈な初恋経験を持っている人って実際にいるのだろうか。

世の中では同窓会シンドロームなる言葉が飛び交っている。いっぱしの大人になってから同窓会で再会した男女がネンゴロになってしまうパターンだ。

そういうノリって後ろ向きな行動でカッチョ悪いし、感心しないというのが私の考えだ。まあ、私自身が男子校出身でそんな機会やチャンスが無いから半ばヤッカミでそう思っているだけかもしれない。

過去に見知っていた人とどうこうなってしまうパターンは、要するに一から面倒な段取りを踏まずに済むというお気軽感が特徴だろう。

色恋なんてものは、面倒なことに直面してナンボだと思うが、ファストフードみたいな手っ取り早い路線に触手が伸びてしまうのも分らなくはない。誰だって安直なほうを選びたくなる。

まあ、そう断定しちゃうと話が発展しないので、ちょっと見方を変えてみる。

昔の知り合いと再会して心が揺れ動くのは、格好良く言えば、無垢だった自分自身に出会えるからだろう。心の底から相手に惹かれるというよりも、単なる郷愁みたいな感覚だ。輝いて見える「美化された過去」に逃避したくなる心理が働くのだと思う。

郷愁という感覚は実に厄介だ。都合の悪い過去にはフタをして、懐かしく思い返したいことだけを美しく尊いものだと錯覚する。そこに純真だった頃の少年少女の幻を見てしまえば、いとも簡単にロマンスモードに切り替わる。

私の場合、過去に親しい関係だった異性と積極的に係わりたいとは思わない。一般的に女性より男性のほうが、過去の恋愛をひきずりやすいと言われているが、はたしてそうだろうか。

幼い思い出は幼いままに封印する方がマシだと思う。幼い時代の交際相手に10年、20年経ってから再開してシタリ顔で人生なんかを得意になって語られても嬉しくない。

私自身、年齢相応に過去に親しく付き合った女性はいたが、今になって会いたいと思う人はほとんどいない。社会人になりかけの頃にお付き合いした“事実上の”初恋相手ぐらいだ。

その人とは、関係を解消してから10年ほど経った時に、ひょんなことで再会したことがある。30分ほどの消化不良気味の再会だった。きっとその時の物足りない印象が強いせいで、今でもそんな気持ちになるだけなんだと思う。

そもそも初恋といっても単純ではない。「初めて感じた恋心」なのか、「初めて気が狂うほど没頭した色恋」なのか、定義付け次第でずいぶん印象は変わる。

前者は近所の幼なじみとか幼稚園の先生だったりする。後者は大人になってからの恋愛体験だろう。ある意味、「振り返ってみた時に、もっとも強烈で切ない思い出」が「事実上の初恋」だと思う。

私の場合も「初めて感じた恋心」は、小学校3年生ぐらいの時に久しぶりに会った幼稚園の先生だったと思う。もしくは、小学校5年生の時に通わされた塾にいた可愛いい女の子だったかもしれない。

小学校の時から男子校だったから、両方とも強く印象に残っている。

学生時代はちょろちょろと色気づいてヤイノヤイノと縦横無尽に?頑張っていたが、演歌の歌詞が浮かぶようなドロっとした色恋沙汰を経験したわけではない。

やはり、石川さゆりとか森進一とかテレサテンとかケーウンスクが熱唱するような切ない物語に身を置いた記憶は社会人になってからの色恋だろう。

子ども時代とか学生時代は、言ってみれば親のおかげで「生かされている」段階だ。社会人になれば一応自分で「生きている」状態になる。そんな自負が芽生えた頃の恋愛体験を私の場合は「初恋」と呼びたくなる。

あまり初々しくないが、そういう観点で思い返してみると、誰もが漠然と思い返す「初恋」も随分いろいろなバージョンがあるのではないか。

などと分ったようなことを書いているが、そんな感覚もしょせんは自分の年齢と共に変化していくのかもしれない。

60代、70代になった時には、初恋という言葉をどういうイメージで捉えている自分がいるのだろうか。実に興味深い。

まかり間違って80代になって正常に脳が働いていたとする。初恋に関して同年代のジジババと縁側でひなたぼっこしながら語り合う時には、「初恋ってえのは、やっぱし40代以降の色恋のことじゃな」とか「いやいや50を過ぎなきゃ恋の味なんて分るめえ」とかブツクサ言っているかもしれない。

その日のためにまだまだ枯れるわけにはいかない。

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