師走の選挙で騒々しい日々だが、いまになって、かつて大騒ぎした「政治改革」って何だったんだろうと思う。
日本新党ブーム、細川政権誕生による、いわゆる55年体制の崩壊の中で鳴り物入りで関連法が導入されてから18年。政治の質が向上したのかは甚だ疑問だ。
改革ではなく「変更」に過ぎないと当時から指摘されていたが、選挙制度改革を例にとっても20年近く経ったいま、弊害ばかりが目につく。
重複立候補によって有権者による「落選させる権利」が軽視されたことが第一。主要政党の場合、小選挙区立候補者の全員が重複立候補しているケースも珍しくない。
せっかく落選させたのにゾンビのように甦ってくる制度は民意とは程遠い。小選挙区制では、結果的に政党名が勝負を分けるから、なんとかチルドレンの増殖に象徴されるように政治家個人の資質が二の次になる。
わけの分からない議員センセイが多くなったのも現行の選挙制度が原因だ。
こうした弊害は、既にここ何度かの選挙で指摘され続けてきたが、改善される気配はまったくない。18年前の政治改革が国民の熱い支持を元にしていたから制度の硬直化を招いているとしたら本末転倒だ。
選挙制度とは別の大問題も存在する。卑劣極まりないインチキが罷り通っているのが政党交付金だ。これも18年前の政治改革で誕生した。
企業団体からの政治献金を廃止する代わりに、国民から吸い上げた税金で各政党に資金をばらまくことが決まった。あくまで企業団体献金廃止の見返りという約束での制度創設だったが、実質的には企業団体献金はいまも平然と続いている。
これまで数千億円もの血税が当然のように使われ、公金目当ての新党誕生が風物詩になる始末。ケムに巻かれたというより、単純明快に騙されただけの話。
共産党が大嫌いな私だが、共産党だけは当初から政党交付金の受取りを拒否し続けている。その点だけはスジが通っている。
日曜日にくだる国民の審判がどう転ぶか、民主党の下野だけは子どもでも分かるが、その後の政権の枠組みがどうなるかはまだ流動的だ。
選挙結果の検証も大事だが、選挙制度をはじめとする政治の在り方への議論を忘れてはならない。「選ばれる側」が自分達に都合の良い制度を作っていても仕方がない。「選ぶ側」からの目線で建設的な議論を深めたい。
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