「1年のうちでもっとも自殺者が多い日」が今年も近づいている。
言うまでもない。クリスマスだ。どこぞの国では、まことしやかに自殺最適日?として認識されているそうだ。
キリスト教を信奉する国では、クリスマスは家族揃って団らんするのが決まり。日本で言えば正月の雑煮みたいなものだ。この日に家族がいない人は寂しさが最高潮に達して死んじゃうらしい。
純日本人である私としては、たとえ、正月元旦に寂しかろうといちいち死なない。ましてや、キリスト様に縁がないから彼の誕生日に一喜一憂することもない。
クリスマスが苦手になって久しい。子どもの頃は子どもだったから?やれツリーだ、やれトナカイはまだかと喜んでいたが、20代の後半ぐらいからアマノジャク精神が爆発して俄然苦手になってしまった。
そうはいっても多くの人の場合、子どもが出来ると、またクリスマスを楽しむようになるらしい。
私の場合、ツリーの飾り付けすら一切手助けしたことがない。仕方なく子どもにはプレゼントは渡すが、殊更イベントみたいに騒ぐこともない。
子どもには早くから「サンタなんかいない」とか、ユーミンの名曲の替え歌を歌いながら「本当はサンコンさんなんだよ」と吹聴してきた(http://www.youtube.com/watch?v=Cew5DYuSNfk 1分20秒目ぐらいにこの曲が出ます)。
でも、いたいけな子どもは今だにサンタ実在説を信じているみたいで気の毒ではある。
そんな私だが、なんだかんだとキリスト様には結構親近感を覚えている。幼稚園の頃からキリスト教系の学校に通ったせいでマリア様とかキリスト様にはいろいろお世話になった。
学校正門にあったマリア像なんか何十回も磨かされたものだ。夏の暑い日にはチャペルに忍び込んでキリスト像を見上げながらヒンヤリした長椅子に横たわったものだ。
だから凄く身近に感じている。
小学校の時には聖歌隊に選ばれて天使のようなボーイソプラノで「もろびとこぞりて」とか「あめのみつかいの」を熱唱していた。
「グロ~~~~オ~~リア、インエクシェルシス、デ~オ~」である。
それにしても、それぞれの聖歌が「天の御使い」であり「諸人挙りて」であると知ったのは随分後のことだ。平仮名で歌っていたからヨソの国の言葉かと思っていたぐらいだった。
やはり小学校の頃、学芸会みたいな演し物では、聖劇みたいな演目が多かったのだが、そこでも神様の役を演じたりしていた。
といっても、大した役ではなく、同窓生で今をときめく名優の香川照之なんかが主役級の活躍を見せる中、私はほとんどセリフもなく、ただニワトリの頭に火を付けるというトンデモない陳腐な役だったことを覚えている。
まあ、私が頭に火を付けたせいで、世の中のニワトリのトサカは赤色になったという設定だったから、一応重要な役だったと思っている。なんじゃそれ・・・。
キリスト教系の中学校が使っていた英語の教科書をベースにした塾にも通った。通っていたのは我が母校以外は女子校の生徒ばかりだったので、サボらず通った。ここでもクリスマスには簡単なプレゼント交換みたいなイベントがあったのでマセガキの異性交遊に大いに役立った。
キリスト様やマリア様に随分とお世話になったのだから、クリスマスも真摯な気持ちで祝わないといけないのだが、どうにもムズムズするような落着かない気分を感じて仕方がない。
日頃、困った時に祈りを向ける相手は、無意識ながら自分の守護霊だったりご先祖様だったりする。キリスト様やマリア様ではない。
信心のカケラもないクセにクリスマスだけワセワセ騒ぐのは何となくズルいような気がする。普段から教会のミサに通っているような信心深い人のためのイベントであるべきだと思う。
なんだかんだ言って、何がめでたいのか分らないままプレゼントを買わされたり、変に散財したり、こそばゆいような店でこそばゆい特別メニューの料理を出され、こそばゆいような飲み物を嗜むアノ独特な空気が苦手なだけなんだろう。
そんなくだらない感覚に陥ったままでいること自体、まだまだ自分が若い証拠だと勝手な解釈をしておこう。
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