2013年2月13日水曜日

「慣れっこ」の怖さ


何事においても「慣れっこ」になっちゃうと弊害が目につくようになる。車の運転しかり、最初は感激した食べ物の味しかり、慣れてくると、油断しちゃったり、惰性で食べていたり、だんだんと緩んでくる。

異性交遊(すごい固い言葉だ)も同じ。出会った頃は緊張感いっぱいで手を握るだけでもドキドキしたのに、慣れっこになると変態プレイに励んだりする。

まあ、変な例えはこの辺にしよう。

正しい判断、適切な分析なんかを下す時にも「慣れっこ」が邪魔をすることがある。

さて、ここからが今日の本題。ちょっとばかり真面目なテーマを取り上げてみる。

尖閣諸島をめぐる日本と中国のあつれきが強まっている。先日は、海上自衛隊の護衛艦が、純然たる自国の領海内で中国艦船から射撃用レーダーを照射されたことが明るみになった。武力衝突の現実性を思い起こさせる異常事態だ。

有難いことに平和に慣れっこになっている我々にとっては、その異常ぶり、危険さが今ひとつピンとこない。しかし、今の状況は確実に一触即発の場面であり、双方の国のメンツというか、出方次第では、局地戦が起きても不思議ではない。

戦闘状態になるということは人が死ぬと言うことである。私怨でも無ければ事故でもなく、国同士の考え方の対立が人間を殺し合いさせる。実に怖い話だ。

少し話がそれた。

戦争の怖さ、戦争の残酷さとは別に、いま、改めて考えたいのが「慣れっこ」の問題だと思う。

尖閣諸島について日本のポジションはただひとつ。「領土問題は存在しない」ということ。これが正式見解であり、これ以上でもこれ以下でもない。過去何十年も保たれてきた基本姿勢だ。

ところが、いまこの基本姿勢を国民が認識しているかというと実に怪しい。いつのまにか、「当たり前のはずだった基本姿勢」が頼りなく揺らいでいる。

首相まで務めた「平成の脱税王」という異名を持つ鳩山某が、引退したはずなのにノコノコ中国に出かけていって「尖閣は係争地」と国賊発言を行った。

ムードだけに左右される見識のカケラもない発言であり、それ以降、どれだけ中国を調子づけたか、考えるだけでもイラつく。だが、残念ながら大衆心理も徐々にそんな誤った認識に誘導されているのが現状だろう。

「尖閣は係争地」。気づかないうちにそんなイメージがすっかり染みついてしまった。

中国の狙いはそこにあるわけで、まさに思うツボである。これまでは「領土問題自体が存在しない」という明確な基本姿勢が貫かれていたから、中国としても何を吠えてみようが手応えを感じられなかった恰好だ。

ところが、領空、領海侵犯を頻繁に繰り返すことで「尖閣は係争地」という空気を着実に日本人相手に植え付けることに成功したわけだ。こちら側は一種のマインドコントロールにやられてしまった。

領空、領海侵犯が相次ぐことで、それに関するニュースも日常茶飯事になる。報道するほうも見せられる側も徐々に、ニュース自体に新鮮さを感じなくなり、「慣れっこ」になってくる。

そしていとも簡単に純然たる自国の一部が、いつの間にかあやふやな位置付けになりかけてしまっている。

喧嘩の土俵に上がらなければ常に「1000」で済むが、いったん土俵に上がったらそういうわけにはいかない。交渉事とはそういうものだろう。

実に気色悪い話だ。「空気」という掴み所のない魔物に絡め取られてしまったような気持ち悪さを感じる。なんともウツウツする。

だから、どうしろ、こうすべき、みたいな高尚な論陣を張るほどの知識はないが、問題の背景というか、根っこに横たわる国、そして国民全体の「慣れっこ」が大いに気になる。

この問題は言うまでもなく、右だの左だのといったチマチマした話で考えるようなテーマではない。国中が一丸となって、今更ながら「基本姿勢」を徹底して維持していくしか選択の余地はない。

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