2013年3月8日金曜日

老いてこそ


10年ぐらい前、石原慎太郎の「老いてこそ人生」なる本がベストセラーになった。

当時、石原さんがある種の「旬」だったこともあって、多くの中高年が嬉しそうに読んでいたことを覚えている。

当時、30代の私にとっては、まるで興味のない話だったわけだが、あれから10年が過ぎ、古本屋で100円で売っていたから買ってしまった。

どう逆立ちしても「中高年」という枠に位置する私だが、さすがに「老い」というジャンルにくくられるほどではない。

本を読んで、ちっとも共感しなかったことがその証拠だ。共感というか、実感しなかったのだろう。ホッとした。

石原さんの自慢話ばかりで辟易としたが、とくに参考になる部分もなかったことが妙に嬉しい。「まだ若いんだな、オレって・・・」とニヒルにポーズをつけたくなったほどだ。

いや、まてよ。石原さんはもう80歳を超えている。10年前、すなわち当時70歳を過ぎた人の話に共感しないのは当たり前だ。あくまで「70歳よりは若い」というだけだ。

結局、クソ面白くもないそんな事実だけが私に突きつけられた。

最近、健康器具を買ったり、サプリを吟味したり、牛肉が食えなくなったり、夜中にトイレのために起きるのが標準になっただけでも、10年前より確実に老化が進行中だ。

アンチエイジングという考え方はあまり好きではない。何だか自分が生きてきた時間を否定しているように聞こえる。

年齢相応が一番よろしい。妙に若作りしている今売れっ子のお医者さんを頻繁にテレビで見かけるが、人造人間みたいで不気味だ。

美魔女とかいう名称で妖怪みたいな年齢不詳の女性がヨイショされているが、あれもまた気色悪い。申し訳ないけど、極端な若作りを見ると「この人、アホなんだろうか」と思う。

年相応に滲み出る渋味のカケラも感じさせない「痛々しい若さ」は、その人自身に人としての奥行きや深みが無いのではと勘ぐりたくなる。一概には言えないが、多くがそうなんだろう。

年を重ねてから大事になるのは「人相」だと思う。人相といっても抽象的だが、そこそこの年齢になれば男も女も人間性が顔に出る。社会の風潮として、パッと見の印象だけでなく、もっと人相の良し悪しに重きを置くべきだと思う。

なんか年寄りの小言みたいな話になってしまった。

ちなみに、冒頭で紹介した本の中で印象的な言葉があったので紹介したい。著者の言葉ではなく、外国の詩人や作家の言葉だそうだ。

●「老年の悲劇は、彼が老いているというところにはなく、まだ若いと思っているところにある」

●「周りから『お若く見えますね』と言われるようになったら、あなたはもう若くないのだ」

最初の言葉はともかく、2番目は中年にとっても妙にうなずける言葉だ。

自慢じゃないが、私だって、時々他人様から「若いですね」と言われる。正直、そう言われるのが好きではない。カッコつけや謙遜ではなく、以前から一貫してそう思っている。

幼く見られているというか、中身がともなっていないと思われている気がする。気にしすぎだろうか。ただのお世辞なんだから素直に喜べばいいのだろうか。

悩ましい問題である。

さて結論に移ろう。

3月から私の人生は新しいステージ?に移行した。ちょっと大袈裟な言い方だが、そういう言い方が的確だろう。

まだまだ新しい世界を覗きたいし、やったことのないことに挑戦したいし、女性のお尻も追っかけたいし、ウジウジドキドキもしたい。

ちょっと考えが若すぎるだろうか。

2 件のコメント:

  1. まだまだ新しい世界を覗きたいし、やったことのないことに挑戦したいし、女性のお尻も追っかけたいし、ウジウジドキドキもしたい。

    これぞ若さを保つ秘訣ですね。ドキドキワクワクしなくなったらおしまいですね。

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  2. コメントありがとうございます。

    死ぬまでドキドキワクワクしていたいものです。

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