もう10年以上前の話だが、大ベストセラーとなった歌集で知られる歌人と食事をご一緒したことがあった。
俗っぽい世間話しかしなかったのだが、目つきというか、眼差しが常に強烈な好奇心に溢れているような印象があった。
歌を詠むことを生業にする人だから、目で捉えて脳で分析する能力が凡人とは違うのだろう。
もちろん、その世界で一線に居続ける以上、どんなときもアンテナをピンと張っているのだろうから大変そうである。
思いつきで戯れ言を綴るのとはワケが違う。言葉を生み出す人の大変さは想像を絶する。好き勝手にブログを書くだけでも表現に苦心する私からみれば、詩人とか歌人と呼ばれる人は宇宙人に近い。
ナゼこんなことを書き始めたかというと、Facebookにで面白い都々逸(どどいつ)をいくつも目にしたから。
常に江戸っ子のべらんめえ調で活動している母校の先輩がFacebookでいくつも傑作を紹介していた。詳しくは知らないが、俳句とも短歌とも違う、庶民の粋を表わした世界のようだ。
ウィキペディアで調べてみたら、江戸末期に都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された口語による定型詩で、七・七・七・五の音数律が基本だとか。
主に男女の恋愛を題材としたために「情歌」とも呼ばれたそうだ。
●嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い
こんな感じである。
思えば、この手の音律は、寅さんが映画で使っていた。
●テキヤ殺すに刃物はいらぬ 雨の十日も降ればよい
●信州信濃の新ソバよりも わたしゃお前のそばが良い
このテンポの良さ、七、七、七としっかり言葉を使い切ってから五文字で落とすスッキリ感が心地よい。
子どもの頃、教科書に載っていた明治維新の際の決めゼリフも都々逸らしい。
●ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開花の音がする
都々逸というジャンルとかルールを知らなくても身近な標語のように浸透しているようだ。
いろいろ興味を持ってネット上で、粋な都々逸をアレコレ探してみた。
面白いもので、これまで私自身が好きで使ってきたフレーズも「都々逸」がルーツだったものがいくつもあった。
●恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
●立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
俳句や短歌と違って、前半部分の言葉数の多さが情景描写の詳しさにつながり、口にした時の勢いも手伝って独特の威勢の良さにつながる。
はまったら面白そうだ。老後の趣味はコレにしようかと思い始めている。こういう楽しみをモノにできたら粋の極みだと思う。
真面目に考えようか。
他にもいくつか目についた色気のある都々逸を紹介したい。
●逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい
●君は吉野の千本桜 色香よけれど きが多い
●冷めたお湯から あがれぬように 冷めた恋から抜け出せぬ
●夢に見るよじゃ惚れよがうすい 真に惚れたら眠られぬ
●次はいつかと問う君の目に 答えられずに抱きしめる
いやはや艶っぽい。声に出して読むと妙に楽しい気分になる。
個人的にはもう少しエロティックな路線が好きだが、歌にするとどうしても上品になってしまうのだろうか。
とかいいながら傑作を見つけた。女性側の目線で読むと実にバンザイである。
●たった一度の注射が効いて こうも逢いたくなるものか
詠んだ人のセンスに完全脱帽である。
冒頭で書いたFacebookで紹介されていたのも逸品だった。
●あなた思うと眠れないのに 逢えば寝かせてもらえない
最高である。こういうのをスラスラ詠める人を尊敬する。「そういう人に私はなりたい」って感じである。
数年したら「趣味は都々逸です」「特技も都々逸です」と言えるような人間を目指そうと思う。
返信削除本日は、素敵な歌を読ませていただきましてありがとうございます。
これを詠んだ人には脱帽ですが、これを楽しくブログで紹介してくれる富豪記者さんの文章力にも、毎回感心しています。
あなたのように、面白おかしく書いて見たいものです。
コメントありがとうございます!
返信削除お褒めいただき恐縮です。。
艶っぽい詩を詠めるほどのセンスがないのがお恥ずかしい限りです。
今後ともよろしくお願いいたします。