海洋博よりも前の昭和45年に開催された大阪万博となると、それ自体を知らない世代も存在する。太陽の塔をシンボルに掲げた国家的イベントだった。
昭和39年の東京オリンピックに続いて日本を元気づけたイベントが大阪万博。半年間の会期中、総入場者数6420万人を数え、国際博覧会史上、初めて黒字化に成功したことでも知られる。
各種通信機能や電気自動車から温水洗浄便座に至るまで、万博に出展してその後実用化された商品も多い。まさに日本の戦後成長を象徴した昭和の大きな記念碑的位置づけである。
私自身、二度ほど行ったらしいが、なにぶん幼い頃の話だから具体的な記憶はない。
あれから43年。今では“歴史”として認識されるほど遠い昔の話だが、今になって「大阪万博」の名前を耳にする機会があった。
その話題とは万博主催団体の廃止について。これもまた歴史的な珍事といえる出来事だろう。
「日本万国博覧会記念機構」の廃止法案がこの国会でようやく成立する。6年前に廃止が閣議決定していたにもかかわらず、具体化にこれほど時間がかかる体質には呆れる。
大阪万博を主催したのは「(財)日本万国博覧会協会」。万博終了翌年に「記念協会」に改組して、跡地の管理運営を担うことになった。いうまでもなく官僚の天下りを受け入れる特殊法人である。
その後、特殊法人の整理や合理化計画が打ち出されても、なんだかんだとしぶとく生き残り、「記念機構」として存続し続けていた。
万博が終わってから43年である。凄い話だと思う。仕事は跡地である公園運営だけである。なんともオヨヨである。
前半で書いた、「大阪万博は国際博覧会史上初めて黒字化に成功」という偉業も、その後の特殊法人に投入された予算を考えたら話はまるで変わってくるのだろう。
これまた実に日本的な怪しげなロジックなんだと思う。
万博の成功自体が戦後日本の象徴だが、その後に延々と続いていた奇っ怪な税金の無駄遣い体質もまた残念ながら日本の象徴だろう。
アベノミクスとか、TPPとかが話題になるにつれ、行政改革という言葉がいつのまにか永田町で聞かれなくなってしまった。
天下りのためだけに存在するような意味不明の特殊法人はゴロゴロある。労働団体をバックにしていた政権とは異なり、高い支持率を得ている自民党政権がやるべきテーマはここにもある。
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