2013年12月11日水曜日

忠臣蔵こそ…


カレンダーが最後の一枚になると、世の中、キンキラ光ったり、キリスト様の誕生祝いのために必死な感じになる。

若い人はともかく、いい年した大人がアノ流れに巻き込まれてハシャぐのは素敵ではない。

とか書いていると偏屈オヤジ丸出しである。

イルミネーション輝く街を腕組んで歩く人がいないことをひがんでいるだけである。

いやいやそんなことはない。やはり、日本人にとって12月の風物詩といえばクリスマスではない。やはりアレである。アレだ。

「忠臣蔵」である。

今をさかのぼること300有余年前の赤穂浪士の討ち入りである。


12月も中頃になれば、サンタの格好に扮した人が街に溢れる。でも私としては「討ち入りの際の火消し装束」こそ、12月の日本人の正しいコスプレだと昔から思っている。

そういうことを書くと、またまた偏屈オヤジみたいだが、本気でそう思う。

宅配ピザ屋のお兄さんも小汚いサンタの衣装でウロウロするより、討ち入り装束でバイクにまたがっている方が格好いいと思う。

ダメだろうか。

小学生の頃、NHKの大河ドラマ「元禄太平記」を見たことがきっかけで忠臣蔵ファンになった。

当時、親にせがんで赤穂まで行っただけでなく、大人になってからも2,3回旅先に選んだ。

大人になってからは、ウマい魚料理と温泉と割と近くにある備前焼の里めぐりが主目的になったが、それでも赤穂浪士ゆかりの場所とかには立ち寄ってしまう。

それ以外にも、地方の人を東京案内する場合には、たいてい港区高輪の泉岳寺に向かう。討ち入りを果たした浪士達が主君の墓に報告に行ったファンにとっての聖地である。

ある時期、忠臣蔵を極めたくなって、大昔の映画やドラマをあさるように見た。昭和30年代あたりの作品にはシビれた。

重厚な俳優達のどっしりとした演技が良い。ところどころ何を言ってるのか分からないセリフ回しもあるのだが、重厚感という意味では、この時代の作品が最高だ。

往年の大スターである長谷川一夫とか片岡知恵蔵が主人公の大石内蔵助役だ。脇役達もその後の映画界の重鎮になるような俳優が固めていて見応えがある。今週だったか、BSでそんな重厚な忠臣蔵の映画が放映される。オススメです。レンタルビデオ屋にもあるはずだから年末年始に暇な人はゼヒ見ていただきたい。

ところで、忠臣蔵を知れば知るほど「事件の側面」も気になり始める。

イジワルジジイの吉良上野介のイジメに浅野内匠頭がブチ切れて江戸城中で暴れたというのが事件のあらましとされる。

はっきり言って、浅野さんのほうに精神的な問題があったというのが歴史的な事実だ。しかし、映画やドラマではそんな要素は隠されている。

だとしたら、吉良さんにとっては大迷惑である。喧嘩両成敗が当時の原則とはいえ、見方によっては、トンチンカンな浅野の行動に対して吉良さんはグッと我慢したことになる。

にもかかわらず、失業しちゃった浅野さんの子分達の逆恨みで寝込みを襲われて殺されてしまう。オイオイって感じだ。

吉良さんは地元では名君として慕われている。愛知県にある吉良町では、ある時期まで忠臣蔵が上演上映されることはなかったという話もあるほどだ。

もし、浅野さんに非があったのなら、吉良さんにとって、赤穂浪士達は単なるテロリストである。無法者集団になぶり殺しにされてしまったわけだ。

そんな角度から赤穂事件を描く映画があっても面白い。日本中のアマノジャクがこぞって見に行くはずだ。

高倉健が善人の吉良役で、悪役商会の悪そうな顔の人達がゴロツキみたいな赤穂浪士に扮する。。。どうだろう。そんなこと書いていると良識のある人々からぶっ飛ばされそうである。

まあ、歴史自体が勝者や権力者の都合で勝手に脚色されるわけだから、そんな下らない妄想もあながちトンチンカンではないのかもしれない。

そのほか、忠臣蔵を別な視点で捉える場合、興味深いのが討ち入りに加わらなかった面々の人生だ。

事件当時、赤穂藩には300名の藩士がいたらしい。討ち入りに参加したのは47名(正確には46名)。およそ250人の脱落者がいたわけだ。

討ち入り完遂で世の中が大フィーバーした一方で、参加しなかった面々にとっては、それはそれは苦難の連続だったらしい。

討ち入りに加わらなかったことで、卑怯者、不忠義者として蔑まれ散々な目に遭ったことが史実として記録されている。

討ち入り前にヨソの藩のお偉方の養子に入っていた旧赤穂藩士は、養子を解消されて追い出されたり、それこそ、世間の目に耐えかねて自決した元藩士もいたらしい。

それ以外にも、討ち入り不参加組の元赤穂藩士だとわかると、近所づきあいを敬遠されたり、食料を売ってもらえなかったりしたから、偽名を使ったり出身を隠してひっそり暮らす人が多かったそうだ。

人それぞれ事情があるわけだから、不参加組を一概に否定することはできない。でも時代の空気はそんなことに配慮してくれない。実に切ない話だ。

こんな不参加組の切なさを描いた映画も見てみたい。深い深い人間ドラマが描かれそうな気がする。

ちなみに、「忠臣蔵」にも受難の時代はあった。第二次大戦後の占領下では、ある時期まで忠臣蔵に関係する映画、演劇、出版が禁止されていた。

マッカーサー率いるGHQが日本人の仇討精神や報復を恐れていたことが原因である。なかなかエグい話だと思う。

忠臣蔵をネタに呑気にこんなブログを綴っていられるのも時代が平和だからである。実にありがたいことだ。

さて、クリスマスに向けて、討ち入り装束のコスチュームをネットで探してみることにしよう。

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