東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年3月10日月曜日
ロマンチスト
ロマンチストかどうか。時々、自分や他の人をめぐってそんな議論をすることがある。
なかなか難解な問題である。
そもそもロマンチストって何だろう?辞書をめくれば「夢想・理想を追い求める者。現実離れした、甘い空想を好む人など」となる。
ロマンチックという言葉だと「現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま」だという。
いずれも分かったような分かんない表現だ。
自分に置き換えて考えてみたが、私は決して理想主義者でもなく、夢想家でもない。間違いなく現実主義者である。
でも、「甘い空想を好む」という点では結構そのけがある。
「情緒的で甘美な事柄を好む」という部分もピンポンである。
まあ、誰だってそのぐらいの要素はあるはずだ。「情緒的で甘美な事柄」が嫌いだという人は珍しいだろう。
活動内容や実態は知らないが、「日本ロマンチスト協会」なる組織が存在する。公式ホームページに設けられていた「ロマンチスト診断」とやらを試しにやってみた。
結果、私は「ロマンチスト見習い」だった。そういことである。いわば、失格である。ちょっと残念だ。
もともとマメじゃないし、歯の浮くようなことは言えないし、オッシャレ~!なデートスポットとかも知らないから仕方がない。
それでも「情緒的で甘美な事柄」は大好きだ。それって何のことかちっとも分からないが・・・。
「甘い空想を好む」という点では、そこそこ自信?がある。しょっちゅう、「恋人になって欲しい人」とか「まだ見ぬ恋人」を空想しているから立派なものである。
想いを寄せる人、もしくは今後出会うであろう最愛の人が世の中のどこかで生きているわけで、そんなことを空想していると飽きない。
その人は、今どこでこの夕日を見ているのだろう。どこでこの月を見上げているのだろう・・・。時々そんな他愛もないことを考える。
さすがにまだ生まれていないとか、赤ちゃんだったりするはずはない。それほど年齢が離れていたら大変だ。
「上原謙」とか「加藤茶」レベルになってしまう・・・。
「甘い空想」というか、常に私が夢想していることがある。情緒のある人に出会いたいという一点だ。
季節の変わり目を感じるような、ちょっとした場面が昔から妙に好きで、そういう瞬間を同じ気持ちで感じあえる人がいたら幸せだと思う。
春であれば、散歩道でふと目に入った梅の花の控えめな開き加減に目を細めたり、秋だったら、どこからともなく漂ってくる金木犀の香りに郷愁にも似た気分に浸ったり・・・。
そんなささやかな事柄を共感できる人がいたら素敵だと思う。
季節の変わり目の中でも私が一番好きなのがヒグラシの音色だ。
夏の終わり、陽射しが少しずつ弱まっていく頃の夕方、寂しげに響くヒグラシの音色に毎年毎年、身悶えている。
夕立の後、かすかに夕焼けが広がり始める。濡れた木々の緑が乾き始める独特の香りを楽しみながらヒグラシの合唱に聞き入る・・・。
最高である。風流の極み、得も言われぬしっとりとした気分になる。そんな瞬間が堪らなく好きだ。
そこに共感できる人がいてくれたらどんなに幸福感に包まれるだろうか。
誰でもいいわけではない。モデル級の美女だろうとも、「峰不二子」クラスのグラマーちゃんだろうと、そうした瞬間の心の動きに共鳴してくれなければ勘弁願いたい。
もちろん、違う場面ではお願いしたいが・・・。
ヒグラシの響きに心が揺れる人だったら、たとえ少しぐらい変な顔でも、ちょっとスタイルが悪くても、性格がチョッピリ歪んでいても、Tバックをはいてくれなくても、そのあたりは大した問題ではない。
そういう情緒のある人となら、一年中、朝も昼もいろんな瞬間瞬間で、心が安らぐ会話が弾むような気がする。
結局、感性や価値観が共鳴する人に惹かれるという当たり前の話になってしまった。
これこそ現実主義である。いや、これを理想主義というのだろうか。
なかなか難しい問題である。
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