東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年5月7日水曜日
太ももの筋肉
足腰を鍛えることの大事さは耳にタコができるほど聞かされてきた。もちろん、若い頃は馬耳東風だったが、中年になると、その大事さを実感する。
何事においても足腰である。当たり前のようだが真理である。
男が男としての機能を維持するためにも足腰の鍛錬はおろそかにしてはいけない。
ということで、相変わらず下ネタに移行しそうである。
ぶっちゃけ話になるが、男性機能の衰えを太股あたりの筋力低下によって実感する時がある。
機能低下といっても全然ダメになるわけではなく、そこそこ何とかなる?から、神経質になっても仕方がない。単に年齢的な問題ともいえる。
最近でもイロイロ頑張ってハッスルした翌日に太ももあたりの筋肉痛に見舞われることがある。やはり太ももがカギを握っているわけだ。
以前、太股の筋力がソッチ方面の元気さに直結すると知り、心を入れ替えて太股周りの筋力を鍛えようと考えたが、メンドーだからわざわざ鍛えるまではいかなかった。
ところが、時々、病的に潜水に行きたくなるクセのおかげで、一気に鍛えたことがあった。
ダイビングの旅に出ると、1日4回ぐらい潜る日程を5日間ぐらいは続ける。出発前の半月ほど、付け焼き刃だが、慌てて足腰を意識して鍛えてから行くのがいつものパターンである。
旅先でもガンガン潜っていれば、イヤでも足腰は使う。重いタンクを背負って少しは歩くし、水中でも太股に力を入れたフィンキックを繰り返す。
結局、準備段階も含めて太股あたりに過度の負担がかかる状態が結構続くことになるわけだ。
そんなことをしていると必然的にソッチ方面の「元気回復」を実感する。その反対に運動不足が続くと、気のせいか「元気衰退」を感じるような気がする。
元来、必死な感じのトレーニングは好きではない。ましてや「ソッチ」のために頑張るのも痛々しい。
スクワットをほんの数分毎日続けるだけでも効果は出るらしいが、黙々とスクワットに励む気にもならない。
ということで、マメな散歩を心がけるようにしている。たかが散歩、されど散歩である。せかせかと1時間も休まずに歩けば結構な運動量である。
大事な大事な太ももの筋肉にも負荷を実感できる。温かくなってきたからガンガン散歩しないとなるまい。
つくづく、何もしないでも「異常に元気」だった若い頃が懐かしい。年齢とともに少しは意識しないと、男が男がいられなくなるわけだから腹立たしい。
一気に1万歩も歩けばそこそこ疲れる。1万歩だと、歩いている時間は1時間半ぐらいだろうか。平均すると7キロぐらいの距離になるらしい。
交通機関の発達で現代人は歩く機会が激減した。昔はそれこそ旅に出る場合には「男十里女九里」という言葉があったぐらい、いざ歩くとなれば半端じゃなかったらしい。
江戸時代の男たちは現代人とは比較にならないほどの健脚だったのだろう。日本橋あたりから吉原に遊びに行くにも片道1時間はテクテク歩いたわけだから、想像以上に足腰は強かったはずだ。
「男十里女九里」に戻るが、一里は約4キロである。十里歩くとなれば40キロである。これが旅に出る場合の1日の目安だったそうだ。
日が暮れれば歩けない時代、明け方から夕方まで休憩を除いても、1日10時間ぐらいテッテケ歩いていたわけだ。
当然、スニーカーなどないから草履である。道だって現代社会とは違って整備されていない。そう考えると、凄い健脚である。
大名行列なんかでもこのペースが普通だったそうだから荷物を持っている人のシンドさは相当なものだったと思う。
きっと、男子の面々の絶倫ぶり?も凄かったはずだ。浮世絵春画で描かれる「元気ハツラツ」な男子達は、平気で1日40キロも歩ける健脚がパワーの源だったのだろう。
アチコチでわい談に精を出したり、このブログでも時々は艶ネタを書いている私である。「言うだけ番長」などと非難されないために、実践の場でもしっかりしないといけない。
江戸の男たちを見習って吉原に歩いて行ってみようか。でも、着いた頃には疲労困憊でそれどころではなさそうだ。
やはりスクワットに励むべきだろうか。
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