2014年6月25日水曜日

社長の感性


毎週楽しみに見ていたドラマ「ルーズヴェルトゲーム」が終わってしまった。「極悪がんぼ」も終わっちゃった。昔よりドラマの放送クールが短くなったから何となくせわしない。

「ルーズヴェルトゲーム」は、中堅電子部品メーカーを舞台に、窮地に立たされた経営者が必死になって形勢逆転を目指すストーリーだ。

昨年大ヒットした「半沢直樹」と主要な制作スタッフが同じとあって大いに話題を集めていた。

後半になるにつれて、どんどんクサいセリフ回しやベタなシナリオ展開が鼻についたが、素直に楽しめた。ストーリー展開が誰でも想像できちゃうほど単純明快だったが日曜夜のドラマはあれでいいのだろう。サザエさんと同じである。

唐沢寿明と江口洋介が社長と専務という関係だった。その昔のドラマ「愛という名のもとに」を一生懸命見ていた私にとっては、当時、大学生役だった二人の老化が
妙にリアルだった。


「半沢」に引き続き、重要な役どころで出演していた香川照之が今回もまた突き抜けていた。顔芸とも言えそうなあの表情の作り方は超絶的だと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140623-00000066-dal-ent

視聴率は「半沢直樹」ほどの水準には達しなかったようだが、理由は主人公のポストの違いだという指摘があるらしい。

「半沢」はメガバンクの論理の中で翻弄される中間管理職が主人公、かたや「ルーズヴェルト」は倒産寸前にまで追い込まれた企業の再生に挑む社長が主人公である。

世の中の絶対数から言えば、当然、社長の数より中間管理職のほうが遙かに多い。従業員1万人の企業なら中間管理職は数百人単位だが、あくまで社長は一人である。

ドラマの世界に親近感を覚えるか、もしくはドラマの主人公に感情移入出来るかという点で、「半沢」ほどの大ヒットにはならなかったという理屈だ。

ある意味、社長というポジションの孤独さを象徴するかのような分析だと思う。

経営トップの苦悩や重圧はトップを経験した人間にしか分からない。どう逆立ちしたってそれが真理だと思う。

後ろに控えている人がいない経営者の心理状態は、大げさではなく恐怖と孤独感が中心だ。だから変な宗教にはまる人も多いし、迷信をやたらと気にする人も多い。

誰かがカバーしてくれる、誰かがケツふいてくれる等々、少なからずそんな依存心で行動しているビジネスマンが多数を占める世の中で、最後の砦という重圧は想像以上にキツい

野球に例えれば、内野手より外野手、それも自分の後ろにフェンスも観客席もない状況に追い込まれてプレーするような感じだろうか。

企業規模を問わず、オーナー経営者であれば尚更そんな意識は強い。大企業の雇われ社長と街場の零細企業のオーナー社長だったら、きっと、後者のほうが押しつぶされそうな重圧と闘っていると思う。

映画「寅さん」に出てくるタコ社長だって、あんなに呑気そうに見えて、一歩歯車が狂い出せば、首つって保険金で借金清算という事態も簡単に起こりえる。

そんな思いで生きている世の中の社長さん達の声は、ニッポン経済にとって数多くの示唆や教訓に溢れている。

ただ、ビジネスマン全体から見れば、社長の数はごく少数だ。世論や世間の空気は多数派によって作られ、少数派の声は埋もれがち。実にもったいない話である。

経営トップ、すなわち世の中の社長さんの意見や感性には、経済を牽引するエキスがたっぷり詰まっている。

経済成長期ならともかく、混沌とした時代になっても、相変わらず役人の頭だけで政策は作られている。この現実こそが今の社会の限界を表わしていると思う。

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