東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年7月11日金曜日
サパークラブの謎
オトナだから何でも知ってるような顔してエラそうに生きているが、まだまだ未知の分野は数多い。
とある夜更けに連れていってもらった「サパークラブ」のせいで、そんな殊勝な?気分になった。
サパークラブなる存在を耳にするようになってもう随分経つ。15年以上は経つだろうか。「夜中にバカ騒ぎする店」という大原則は知っていたが、行く機会がなかった。
私がまだ20代前半の頃、なぜか毎晩のように私を六本木のクラブ活動(踊らないほうです)に連れ出すオジサン友達がいた。
時はバブルの時代である。そのオジサン友達は酒が飲めないのに毎晩のようにヘネシーを私に振舞って、毎晩のように明け方までアフターである。
綺麗なオネエサマを引き連れて出かけるのはカラオケスナックかオカマバー、あとはディスコとクラブ(踊るほうです)の中間みたいな店だった。
まだサパーという存在は誕生していなかったと思う。あの当時、夜中に遊び行く店は限られていたし、ガー!って盛り上がる店は少なかった。そうした需要を取り込むためにサパーという形態が一気に増殖したのだろう。
確かに、頻繁に六本木に連れ出されていた頃は、眠かったし、深夜のまったり感がシンドかった。
あの頃、イマドキのサパーがあれば脳天気に盛り上がれたはずだから、確実に深夜遊びの定番コースになっていたと思う。
サパークラブってそもそも定義が難しい。ホストクラブっぽい感じもあるけど、女性客だけを楽しませるわけではない。ショーパブかと思いきや、そんな凄いショーをやるわけではない。
NHK紅白の悪ふざけ衣装で話題になった「DJ OZMA」や「ゴールデンボンバー」といった、あのての「アゲアゲ系」の盛り上げを基本とする店と言えば的確だろうか。
覗きに行ったのは六本木の某有名サパークラブ。その店に義理で出かける予定があったオネエサンに頼んでついて行った。
いやあ、あの熱気、盛り上がり、突き抜けたアホバカぶり。実に興味深い世界だった。一生懸命にバカをやって、必死に客を盛り上げようとするスタッフの姿勢に感心した。
あれなら、アフターに誘われたオネエサン達がヒヒオヤジ達を連れていき、他力本願で盛り上げてもらうには最高だと思う。事実そんな使い方は多いらしい。
客層もそれこそ様々だった。当然、女同士が目に付いたが、男同士の客もいる。男女混合グループが一番多かっただろうか。
調子に乗って大騒ぎするとお勘定もかなり高額になる。まあ、調子に乗って大騒ぎする為の場所だから必然的に安く済むはずもない。
この日は、同行のオネエサンのお礼参りに付き合ったような展開だったので、私の財布がスッカラカンになることはなかったことが救いである。
散々バカ騒ぎして思ったことは、「男が男に盛り上げてもらうのは楽しい」という事実だ。
女性からのお世辞も嬉しいが、夜の世界ではあれは一種の予定調和であり、大げさに盛り上がるきっかけになるようなものではない。
対して、野郎のヨイショの場合、妙に新鮮だし、また男同士だから通じる笑いのツボとか、独特の間合いみたいな感覚があって相当に愉快だ。結局ひゃあひゃあ盛り上がってしまった。
それにしても、「ノリが良くて頭がキレるキャバ嬢みたいな男」が接客するああいう世界にハマる女性の心理も分かるような気がする。
聞くところによると六本木には色々なサパーが乱立して盛況だとか。
ほんの四半世紀前の六本木では見かけなかったその類いの店が大繁盛しているのは、単純にこの四半世紀で女性がガンガン強くなったことと無関係ではないのだろう。
ちなみに、実はいま、休暇を取ってヨーロッパをふらついています。
来週は更新出来ないので、アーカイブをいくつかアップする予定です。
そう、15年くらい前にサパークラブなるものに何度か友人のお供で行きました。
返信削除そのときは、モノマネショーが多かったように思います。
この記事を見て、久々に行ってみたくなりました。
時の流れを体感したい、、
ヒロ様
返信削除何だか一つの飲食業の形態として定着してるみたいですね!