2014年9月1日月曜日

皮下脂肪と秋の空



 奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
    声きく時ぞ 秋は悲しき


百人一首のなかでナゼか子供の頃から好きな歌だ。子供でも素直に情景が浮かぶから印象に残ったのだろう。

秋を端的に象徴する歌だと思う。落ち葉を踏む音、鹿の気配、きっと空は薄曇りだろう。う~ん、なんとも情緒がある。

9月である。秋が近づいてきた。暑さから解放されるのが素直に嬉しい。秋が近いから、風流ぶって百人一首を引用したくなってしまった。

最近、遅くまで飲み歩くことが減った。その分、自宅マンションのベランダで葉巻をふかす機会が増えたのだが、聞こえる音も徐々に変わってきた。

夜になっても思い出したように短く鳴くセミの音色はすっかり無くなり、秋の虫が情感溢れる音色を聴かせてくれるようになった。

夜の葉巻タイムでは、蚊取り線香を焚くようにしている。あの香りと秋の虫の音色が混ざり合うと、目をつぶったままで夏の終わりの独特な情感が味わえる。

秋が本番になる少し前ぐらいには「ニッポン情緒が溢れている場所」に行こうと企んでいる。安芸の宮島、飛騨高山、あちこち頭に浮かぶ。

まあ、結局は手軽に行ける京都でいいか。電車で1本だし。秋の気配を感じると無性に行きたくなる。鞍馬、貴船あたりをブラブラしようと思う。


さてさて、芸術の秋とかスポーツの秋、読書の秋など、秋はやたらと騒々しい。まあ、私の場合は食欲の秋が一番ピンとくる。

ほ乳類としての正しい本能である。

文明社会で生きていると、つい忘れてしまうが、ほ乳類にとって秋とはどういう意味合いの季節かご存じだろうか。

答えは簡単だ。秋は冬に備えて皮下脂肪を蓄える季節である。それが真実である。

だから食べないといけない。

画像の土瓶蒸し、今年の初モノは8月10日に食べた。かなり早いが、秋を恋い焦がれる私にとっては嬉しい瞬間だった。




生のイクラ。これも私にとって秋を告げる大事な風物詩みたいなものである。こちらは8月19日に初モノに遭遇した。

食べ物日記をつけているわけではない。画像の詳細データのおかげで日時が特定できるわけだ。便利なことである。

これからの季節、皮下脂肪を貯めようとする本能のせいで、放っておいても太るのに、既に体重は過剰気味である。

一応、予定のない日はムダなカロリーを摂取しないように炭水化物を抑え気味にしている。

焼鳥屋に行っても皮は食べずに「ナンコツ」と「ササミ」を中心に攻めてみる。
でも、酔っ払ってくると、「ウズラ卵のベーコン巻」などという恐ろしい一品を頼んじゃって台無しになる。

酒の魔力ってホントに凄い。気が大きくなるというか、投げやりになるというか、「ASKA被告」のような間違いを犯してしまう。

先日、寿司屋で飲んだ際、握りを食べず、低カロリーのツマミ中心で切り抜けた。勝ち誇ったような気分で帰宅したのだが、一枚のチラシのせいで私は一瞬にして「ASKA被告」になってしまった。

「マック・デリバリー」という恐ろしいチラシだった。私の場合、酔っている時に空腹だと無性にジャンクフードが恋しくなる。

30代の頃は、寿司屋の後は決まってマックに立ち寄りフィレオフィッシュを何個もむさぼるように食べていた。

そんな悪夢を振り払うためチラシは捨てたつもりだったのだが、ナゼかマックデリバリーはやってきた。誰が注文したんだろう。多分オレだ。

ダブルクォーターパウンダー、ビッグマック、エビフィレオ、フィレオフィッシュが深夜のわが家にやってきた。

なんでまあ、そんな高カロリー系ばかり頼んだのだろう。誰のシワザだろうか。多分オレだ。

実に素晴らしいサービスだが、シュッとしたスタイルを目指そうと夢を見ている私にとっては、ホントに迷惑なサービスである。

アカデミックに百人一首の引用から書き始めてみたが、結局は「デブまっしぐら」という話になってしまった。

秋である。

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