東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年9月26日金曜日
銀座 さ久ら
銀座界隈、とくに7丁目、8丁目といえば、夜のクラブ活動がお盛んな地域である。
あちこちの店で綺麗どころを伴った同伴客を見かける。鼻の下を伸ばしたオッサンと営業意識まる出しの女性の組み合わせである。言い過ぎか・・・。
あの街に星の数ほどあるのが寿司屋だ。お寿司屋さんは同伴客遭遇率がもっとも高いジャンルかもしれない。
銀座のお寿司屋さんといえば値段に比例して総じてレベルは高い。激戦区ならではの切磋琢磨に加え、街の特色を反映してコワモテの店主が威張りちらしているような店もない。
キビキビと愛想良くサービスしてくれる店が普通である。客が修行させられているかのような息苦しい店は少数派だろう。
それはそれで有り難いことだが、甘やかされちゃった客の残念な行動もちょくちょく目にする。
同伴相手のオネエサンを必死に振り向かせようと、食事そっちのけで自己アピールに励むオジサマがその典型的なパターンだ。
オジサマは必死である。日本エレキテル連合みたいな「いいじゃないの~」攻撃で頭がいっぱいである。美しく握られた寿司が出されても目に入らない。
寿司はポツンと置き去りにされ、徐々に乾いていく。それを見つめる寿司屋の大将の眼差しは淋しそうだ。
そんな光景は珍しくない。無粋というかマナー違反みたいなものだが、やはり同行した人との話に熱が入れば、ある程度仕方ない。
同伴客に限らず接待などの場面だって同じだろう。エラそうに書いている私だって綺麗どころ相手に奮闘すれば似たようなものだ。
で、ようやく本題。
先日、銀座のお寿司屋さんに夜の8時半頃に行く機会があった。時々出かける「さ久ら」という店だ。一人酒である。
同伴客がひけるのは8時から8時半である。必然的にその時間を過ぎれば一気に景色が変わる。小さめの店なら貸し切り状態になることだってある。
その日、運良く貸し切り状態になった店で、さんざん珍味やツマミを出してもらって、調子よく飲み続けた。ワガママも聞いてもらったりして実に快適な時間だった。
「銀座の寿司は8時半過ぎ」。同伴客じゃない場合、これは一つの教訓だろう。店側だって忙しい時より余裕のある時の方が、あれこれ面白いものを出してくれる。こっちのアホバカ話にも付き合ってくれる。
「さ久ら」の場合、店の名誉のために書いておくが、満席の時でもそれぞれの客への目配りはキチンとしている。私より若い大将は某外資系ホテルの寿司店を仕切っていたこともあり、そのあたりの心配りはバッチリである。
銀座の真っ当な店だからボケっと座っていても次々に気の利いた一品を出してくれる。もちろん、それでも充分楽しめるが、相談しながら自分の好みに応じたワガママも受け入れてくれる。
私の場合、いつも「珍味中心」だ。握りをガンガン食べた記憶がない。大将自身が「寿司職人というより料理人でありたい」と話しているから勘弁してもらおう。
この日も初物のアンキモを始め珍味系を楽しみながら冷酒をあおっていた。途中で焼物が欲しくなって相談。脂ののったウナギがあるという。
迷わず白焼きをオーダーした。焼く前の立派な切り身を見せてもらったら頭の中はウナギ一色である。
「ワサビ醬油をチョコッとつけて冷酒と一緒に味わう」というイメージ画像が私の脳を占拠することになった。
美味しそうに焼き上がった白焼きである。事前に関東風に蒸すかどうかまで聞いてくれた。親切である。一人者の私は小さな心配りにスグ泣きそうになる。ウソです。
「外側パリッ、中身はフワッ」。口の中に拡がる旨みにクラクラする。冷たい八海山をグビッ。最高である。マリアージュ!?である。
同行者を気にせず、時間を気にせず、周囲の混雑も気にせず、大将相手にヨタ話を連発しながら、ひたすらウマい肴にウマい酒である。
しまいには、YouTubeにアップしている我がオヤジバンドのライブ動画を無理やり大将に閲覧させて、無理やり褒めてもらって、無理やり次回のライブに来てもらうことを約束させて御満悦になるアホな私である。
食べ物の話に戻る。
この日はシメに蒸し寿司を出してもらった。一貫分の握りを蒸し寿司にして、そこに芳醇な出し汁ベースのアンをかけて食べる。
涼しくなってきた季節にマッチして風流を感じさせる味わいだった。土瓶蒸しを味わう時に感じるあのジンワリとした幸福感を寿司に置き換えた感じ。疲れた体と心に染み入る滋味だった。
ここの店の特徴は、美味しさはもちろん、出されるものの美しさだろう。随所に繊細な感じが表れている。美意識というと抽象的だが、ここの大将は筋の通った美意識を守っている印象がある。
なんだか、書いているだけでまた行きたくなってきた。正直、職場や家が近かったら頻繁に通うはずだ。まあ、頻繁にあの街に通っていたら何かと大変だから、時々顔を出すぐらいでいいのだろう。
とりあえず、また8時半頃に行こうっと。
さ久らって本当に美味しいですよね。
返信削除あまり他の人には教えたく無いですが!