2014年10月17日金曜日

元気でいたいけど


「先生、昔から高血圧気味だったオイラの血圧が妙に低くなっちまって、どうにも気持ち悪いんです」

「ふむふむ、血圧計がオンボロなんじゃないの?」

「いえいえ、自慢の高級マシンだし、電池も新品にしたから間違いねえです」

「ナトリウム不足なのかなあ。でも、アンタいつも塩辛みたいなもんばっかり食べてるでしょ?」

「まあ、そりゃあ否定できねえですが、なのに上が90とか表示されちゃうから特別な病気かと心配しちまって・・・」

「じゃあ、ちょっと計ってみましょう」

「・・・」

「ん?アンタ寝ぼけてんとちゃいまっか。上が170で下も100以上あるよ」

「グヘッ。。。そりゃあ、さっき先生が超音波検査で胆のうにポリープ見っけ~とか言うから興奮しちまったんですよ」

先日、こんな会話を展開してきた。もちろん、私は先生のほうではない。高血圧野郎のほうである。

自宅の血圧計がいつも低い数字を表示していたのだが、どうやら思い違い、いや使い間違いだったみたいだ。

変な低血圧を真面目に心配していたから、ある意味、ホッとした。いやいや、ホッとしてはいけない。

自慢のマイ血圧計は手首で計るものではなく、ちょっと大げさなサイズの筒状の測定器を二の腕にはめるタイプだ。

あれって、かなり肩に近いほうで測定しないと全然ダメらしい。いままで割と肘に近い場所で計っていたから正しくなかったのだろう。

以前より10センチ弱、肩のほうに近づけて計ると、私らしい?数字が表示されるようになってきた。残念無念、オーマイガッ!である。

本業がドクターのオヤジバンド仲間にも聞いてみたが、血圧測定は末梢に近いところでは不正確なんだとか。医師の国家試験にも出る常識らしい

やっぱり塩分過多なんだろうなあ。先日も外食ばかりではいけないと思い、まっすぐ帰宅した。でも結局、出前を注文して味の濃い料理を平らげてしまった。

バカまる出しである。

血圧も問題だが、胆のうポリープも気持ち悪い話だ。中高年になると珍しいものではないらしい。経過観察してグングン育つようだったら手術で切除。育たなければ放置だとか。

Facebookで嘆いてみたら多くの同好の士が存在することが発覚。ちょっと安心した。それでも気持ち悪いことは確かである。

昨日は肺のCT検査も受けてきた。前年と変化無しだった。このところアレコレ検査づいている。毎年、誕生月には胃と腸と肺、あとは血液の状態をチェックしている。

考えてみれば、それ以外の部位は見ていないから、何かあったらお手上げである。脳ドックも受けたほうがいいのだが、以前、顔中を全部機械に覆われる脳のMRI検査をやった時に、あまりの閉塞感でパニックを起こしかけたから断固イヤである。

血液検査の結果は毎年大差ない。何項目かはダメ判定である。あんなもの全項目OKなどという赤ちゃんみたいな中高年は「新潟のトキ」のように希少である。だから気にしていない。

血液検査の数値を異様に気にする人がいるが、あれってどうなんだろう。もちろん、正しい認識だが、たかだか1割、2割程度、標準値の数値から外れただけで大騒ぎするのは大げさに感じる。

大げさに感じないとダメなのかなあ。

中性脂肪だのコレステロールだの尿酸値なんかのダメっぷりを中年特有の「不健康自慢」のネタにして喜んでいるだけに見えてしまう。ひねくれすぎか?もっと素直になったほうがいいのだろうか。

γ-GTP?あれだって、大人が普通に酒をたしなめば、標準値をちょっとぐらい超えても仕方ないだろう。

もう現役を退いて10年ぐらいになる70代の知人男性は50代の頃、常にγ―GTPが200ぐらいだったのが、引退して酒量が減ったら、たちまち標準値になったそうだ。

もちろん、油断は大敵だが、ストレス社会で生きている中高年の男に対して、血液検査の数値がすべて基準値内に収まるよう求めるのは無理な相談である。

まあ、そんな居直りを書いているようではいけない。こういう考え方をお医者さんに伝えると間違いなく嫌われる。

お医者さんも人間だ。そんな客、いや患者には親身になってくれない。一応、健康を大いに気にしている雰囲気をアピールしないとダメである。

薄味の食事だけを食べて、酒はちょこっとにして、野菜をもりもり食べて、しっかり運動する。それを数ヶ月実践するだけで飛躍的に数値面では良い結果になるはずだ。

数ヶ月ならやれないことはない。凄いご褒美がぶら下がっていれば尚更可能である。ただ、その数ヶ月が過ぎたあと、そんな暮らしを維持できるかと言えば無理だ。

それが人間の煩悩である。

そこが問題である。

そのうち、何かの大病をした時に、間違いなく今日ここに書いたような考え方を反省するんだろうなあ。

分かっているのに何で生活習慣を変えられないのだろう。

人間だもの・・・。

まさにその一言に尽きる。

そんな立派な生き方が実践できていたら、きっと私も高僧とか偉人になっていたはずだ。

わが凡なる日常に乾杯である。

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