2014年11月14日金曜日

家政婦はミタか


モノグサ太郎ぶりに拍車がかかってきた。今の住まいを来年の春には引き払おうと決めてから掃除が億劫になってしまった。

で、ついに家政婦さんを頼むようになった。

週に1度3時間の作業だが、2LDKを実質的に1LDKしか使っていないから3時間も掃除してもらえれば充分である。


家政婦さんはもともと私の実家に来ていた実績があったから初めから部屋の合い鍵を預けた。私が不在の時に勝手にやって来て勝手に部屋をピカピカにして帰って行く。

実に有り難い。いままで一生懸命マメに掃除してきたことがバカみたいに綺麗になる。もっと早くから頼めば良かった。

一人暮らしを始めた当初は、ウキウキした気分もあってマメに掃除に励んでいた。ルンバも買ったし、クイックルワイパーやコロコロの達人にもなった。

でもさすがに飽きた。時々子ども達が遊びに来るからそれなりに綺麗にしていたが、掃除への情熱が徐々に薄れていたから大助かりである。

一応、ヤバいグッズとかは立ち入り禁止?エリアに置いてあるので家政婦さんに見られることはない。そこも掃除されちゃったら真っ当な紳士だと思われている私のイメージはコッパミジンである。

それ以外にも引き出しを開ければアレコレと「恥ずかしい品々」が出てくるが、家政婦さんも暇じゃないから大丈夫だろう。

そう思い込むことにする。

何より助かるのは水まわりである。風呂掃除は腰に響くし、洗面まわりも鏡面への飛沫の飛び散りや蛇口まわりの水垢など真面目に退治しようとすると結構大変である。

台所まわりも同じ。シンクの水垢、ガスコンロ周辺の汚れなど男目線では見逃すポイントが多いが、家政婦のオバサン目線は優秀である。バッチリだ。

布団カバーやシーツの交換・洗濯もやってくれる。根っから無器用な私としてはこんなに楽チンなことはない。

ダブルサイズの布団カバーは、パッと見は正方形だ。いつもタテヨコを間違えてイライラしながらやり直す苦行に見舞われていた。そんな苦労ともオサラバである。

ゴミ捨てやクリーニング屋通いもやってくれるらしいが、そこまで頼むと私自身が究極のダメ人間になりそうなので掃除だけお願いしている。

でも、遠からずそういう雑用もやってもらうような予感がする。どんどん自分がグータラになっていきそうだ。

不思議な話だが、家政婦さんが来るようになってから自分の心の平穏度合いが高まったというか、切なさを感じる場面が減ってきた。

とても良いことなのだが、それはそれで問題がある。

ひとり黙々と部屋を掃除したり布団カバーと闘っていた時は、ふとした瞬間にそんな行動に侘びしさを覚えることがあった。

若造じゃあるまいし、一人でいるよりそこらへんの誰かと愛の巣を築かなければ人としてマズいのではと思ったりした。

ところが、家政婦さんのサポートによる快適ライフによって、侘びしさを感じる場面が激減、なんとも大らかな気分になって御機嫌な日々である。

これはこれで困った問題である。快適すぎる。気楽すぎる。自分を甘やかしすぎる。おひとりさま街道まっしぐらである。

高齢者の一人暮らしが増え、未婚者の増加も重なって、世の中すべてが独り者にとって快適になっている。

私自身、四半世紀ほど前に一人暮らしをしていたのだが、その頃とはまるで事情が違う。

ネットスーパーは重い物をチョチョチョイって運んできてくれるし、スマホがあればたいていの食べ物もデリバリー可能だ。これから先、どこまで便利になっていくのだろう。

文明の進歩の凄さは人の暮らし方も随分と変えた。簡単に良し悪しなど判断できないが、当然、反作用も大きいのかもしれない。

その昔、昭和の頃には「一人だと何かと面倒だから結婚した」みたいな話をやたらと聞かされた。あながちウソだとは思えない。

高度成長期を支えた男たちが家事にかまけていられなかったのは事実だろう。今と比べれば不便だらけの時代だったから、ホレたハレただけでコトは進まなかったはずだ。

動機はどうあれ、それが普通だった時代だから、それなりに夫婦で力を合わせて、産めよ増やせよで家族の形が固まり、社会の基本単位である家庭がしっかり機能する結果につながったわけだ。

それが正しい社会の姿だと定義するなら、今のような「個」が尊重される時代はどんな未来につながっていくのだろう。

ちょっと怖い気もする。

身勝手にワガママに、なおかつ快適に暮らしている自分の姿を俯瞰してみると、ついアレコレと考えたくなる。

いや、考えているフリをして四の五のゴタクを並べることで、一応自分が問題意識を持った人間だとアピールしたいだけかもしれない。

なんだか話がウザったい方向にいってしまった。

家政婦さんの話だった。

男の一人暮らしの割には部屋を綺麗にしていたから、今まで何度も「女がいるんでしょう?」とカマをかけられてきた。

そんなことを言われるたびにナゼか焦っていたのだが、これからは「いいえ、家政婦さんのおかげだ」と胸を張って否定できる。

ウッヒッヒである。

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