2014年11月26日水曜日

「高倉健」が教科書だった

ニッポンの男である以上、やはり高倉健さんの話題に触れないわけにはいかない。個人的に大ファンだったわけではない。「あなたへ」という遺作だって見ていない。それでも何だかとても寂しい。

テレビでさかんにやっていた追悼番組も録画しまくってしまった。享年83。訃報に接してもある意味ちっとも不思議ではないのだが実にショックが大きかった。

それだけ年齢を超越した特別な存在だったのだと思う。

美空ひばり、石原裕次郎という昭和の大スターが亡くなった際の驚きとはまた違った感覚がある。

個人的には渥美清さんが亡くなった時と相通ずるような例えようのない寂しさを感じる。知り合いでもない、ただ画面で見ていただけの人なのに非常に大きな喪失感だ。

中学、高校の後輩で某大手芸能プロのトップを勤めている男がいる。彼のFacebookには「当り前にあると思っていてはいけないことがあるんだなと改めて思いました」と綴られていた。

まったく同感だ。80歳も過ぎればXデーがいつ来てもおかしくない。分かっているのだが、健さんに関してはそんな常識では計り知れない「何か」があった。

日本人の中高年には似たような感覚を持つ人が多いと思う。

男っぽさ、男のあるべき姿、ダンディズム。そんなことを考える時、健さんの姿を思い浮かべる人は多い。

もちろん、実像は近親者しか知らない。ひょっとしたら全然イメージの違う人物だったかもしれない。亡くなったことを機にさまざまなエピソードがメディアに溢れている。でも、「高倉健」という芸名をまとった彼が示し続けていた姿は多くの日本の男が憧れた姿である。

無駄口を叩かず無器用で義理を重んじ、誠実に、そして無骨に筋を通す。大半の人がそうなりたくてもなれない現実の中で生きている。だから「健さん」に憧れた。

話が飛ぶが、エコノミックアニマルと称されて働きずくめだった戦後の男達は、自由気ままにフラフラしている寅さんを笑うことで束の間の安らぎを得た。

フーテン暮らしなど叶わぬ自分の境遇を嘆きたい。でも、寅さんのダメっぷりを笑うことで納得して生真面目な暮らしに戻っていった。

「健さん効果」もそうした「投影」の作用があったように思う。

男らしく筋を通したい、一本気で誠実に、人情の機微に敏感で、時には勇気を奮い起こして逃げずに生きていたい。男なら誰もが憧れる姿だが、普通の人にとって現実の暮らしはそうもいかない。

時にずる賢く立ち回り、二枚舌も使って保身ばかり考え、困難からは逃げたくなる。それが多くの人の現実だろう。

そんな「男らしくない自分」を憂いながら、健さんの姿に夢を見る。あんな男になりたい、ああいう男でいたい。そんな憧れを日本の男たちに抱き続けさせた存在が「高倉健」だったわけだ。

つくづく希有な存在だったと思う。数十年の間、そういう立ち位置が不変だった点は奇跡的だと思う。

普通は年齢とともにイメージや様子も変わっていく。健さんの場合、最後まで「ニッポンの男のあるべき姿」を貫き通したわけだから唯一無二という言葉は、まさに健さんのことを指す言葉だと思う。

私ごときが自説をダラダラ書き殴って恐縮です。御容赦願います。

話は変わるが、これまで幾度となく「あの人は高倉健のコレよ」という話を小指を立てられながら聞かされたことがある。

要はどっかの誰かが健さんの「彼女」だという怪しげな話である。すべて人づて、又聞きという点がミソである。

ある時は航空会社方面、ある時は銀座方面、またある時は某大企業に勤めている人だった。

私もそこまでアホじゃないので、いちいち信じるはずもなかったのだが、その手の眉唾モノの話は物凄く多かったはずだ。

健さんは私生活を明かさない人だったから、それに乗じて世間の関心をひきたい馬鹿がそうした話を面白おかしく広めたのだと思う。

だいたい、あの健さんが自分との交際を吹聴するようなチンケな女と付き合うはずがない!!

まあ、そういう話を全否定したくなっちゃう感覚自体が高倉健に憧れる男の一般的な反応かもしれない。

「幸福の黄色いハンカチ」「夜叉」「あ・うん」「居酒屋兆治」「冬の華」「駅」「ミスターベースボール」。

健さん映画の中で私が好きな作品を並べてみた。

健さんみたいに格好良く生きるのは至難のワザだ。私などは映画の中で健さんにぶっ飛ばされる側の生き方をしちゃっているような気がする。

そんな反省をしたくなるほど健さんがニッポンの男に与えた影響は大きい。

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