2015年4月1日水曜日

哀愁のプエルトガレラ


1年半以上開いてしまったブランクを取り戻そうと久しぶりに潜水旅行に出かけた。

目的地はフィリピン・プエルトガレラである。マニラから車で2~3時間、そこから船で1時間で到着する怪しいリゾートだ。




海の中は世界的水準の面白さで写真派ダイバーには天国のような場所だ。にもかかわらず陸は適度に猥雑な感じがあって、不良白人が明るいうちからビール片手に浮かれているような興味深いエリアである。

10年前に訪ねて以来2度目の訪問だ。新しいコンデジと専用防水ケースを買ったり、機材をオーバーホールに出したり、準備万端で出かけた。

で、結論から言えば、現地で発熱してずっと寝込んで終わってしまった。オーマイガー!!である。

出発直前に少しダルさがあったが、風邪薬を多めに準備。念のために出発前日には1回飲みきりで1週間持続する抗生物質まで服用していそいそ成田に向かった。

昨年の暮れに扁桃腺が爆発して年末年始のヨーロッパ旅行を断念したのだが、私の天敵である扁桃腺は、わずか3か月で再噴火するはずはない、はずだった。

到着したのは夕方、南国の心地良い風に吹かれながらビールを飲み、メシを食い、なんとなくダルさは感じたものの、寝る前に撮影機材をセットして翌日からに備えた。

で、翌朝、ダルさは消えない。ノドも少し痛い。無理せずダイビングはパスして静養。しかし、体調は徐々に悪化。

そして扁桃腺大爆発である。

いやあ、田舎のダイバー用ロッジの粗末な部屋で寝込むのは結構キツい。現地6泊のほとんどを寝て過ごす。


高熱でブルブル震えて、解熱鎮痛剤を飲むたびに汗がダラダラ。この繰り返し。シンドさがピークの時は、一人悶々と壁を叩いたり、意味不明なうなり声をあげたりした。

ムンクの「叫び」のような表情で数日間を過ごす。事前に飲んでいた抗生物質のせいなのか、中途半端に身体が闘っていた感じで、いつもよりも治るのに時間がかかった。

ムダな抵抗ってヤツである。さっさと負けちゃった方が回復までの日数が短くて済むのに、身体が必死に負け戦に励んだ感じ。

シンどい状況の数日間、水ばかり飲んでいた。ロキソニンは15錠ぐらい使った。最終兵器として坐薬まで投入(挿入?)した。

ダニや蚊の攻撃だけでなく、ときどきトイレの扉を開けるとゴキちゃんが私を驚かせる。散々である。

高熱中にトイレ詰まり事件も勃発してテンヤワンヤする悲劇もあった。

ルームサービスなどという洒落たサービスは無いから、時々、宿のレストラン(食堂)まで行ってゾンビのような様相でスープとライスを注文。部屋まで運んでもらう。ちょこっと食べる。

せっかくの休日はこんな調子で過ぎていったわけである。

潜水歴はまもなく30年になる。ダイビング旅行は海外だけで50回近くになるが、扁桃腺爆発は初めてである。風邪っぽくて1~2日潜るのをキャンセルしたことはあったが「全滅」は初めての経験だ。

3年にわたった大殺界が終わったのに厄年の災いが降りかかったのだろうか。

マニラの高級ホテルにとっとと戻って静養したかったが、セット済みの撮影機材をバラしたりしながら荷造りするのはアノ状態では無理だった。

だいたい高熱のままボートと車で3時間以上移動するのは厳しいから、熱が下がるまで仕方なく収容所のような宿でウンウンうなっていたわけだ。


宿をチェックアウトする前日の昼頃から一気に体調が良くなった。扁桃腺炎だから炎症が終わればケロっとする。

で、宿のちっぽけなプールに浸かってちょっとだけ南国気分である。

温水になったと思ったらすぐに水に変わってしまう部屋のシャワーをロクに使っていなかったからプールを「入浴代わり」にしたことは内緒である。

もう時効だ。

何とも情けない顛末だが、大量の薬を持っていたことがせめてもの救いだった。年齢とともに旅先に持参する薬は増加し、今では籠城すら出来そうなほどだ。

ロキソニンを大量に持っていただけでなく、強力な坐薬まで用意していたことに我ながら感心する。空腹時に胃を保護する薬もいっぱいあった。

痛み止め系の薬は、尿管結石で七転八倒した際に多めに処方されたものを大事に冷蔵保存していたのでひょんな時に活用できたわけだ。

それにしてもこれを書いているだけでドンヨリした気分になる。健康第一である。

ちなみに扁桃腺は50歳も過ぎてくると爆発しなくなるらしい。複数の人からそんな話を聞いた。

もうすぐである。

ゴールデンウィークにでもリベンジしようっと。

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