東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年8月3日月曜日
蝉時雨
今の住まいを選んだ基準の一つが「蝉の鳴き声」である。春頃にアレコレ物件を見て回った時に近隣の緑の多さも一応チェックしていた。
その理由は蝉である。
緑そのものの景色にはさほど興味はない。あくまで緑が多ければ蝉の鳴き声を飽きるほど堪能できると考えたわけだ。
マンションの敷地のすぐ隣に広大な植物園があるせいで、この時期の蝉の大合唱はかなり凄まじい。でもそれが嬉しい。
「うるさい」を漢字で書くと「五月蝿い」である。典型的な当て字だが、ハエよりセミのほうが大迫力だから「八月蝉い」と表記しても良いと思う。
まあ、蝉の音色が好きな私にとっては、近所の蝉の声はちっともうるさく感じない。郷愁を誘う音だと思う。
先日、週末の真っ昼間に植物園の一角からヒグラシの鳴き声が聞こえた。しばらくその一角に佇んで音色に聴き入った。
晩夏の朝か夕方に鳴くイメージが強いヒグラシの音色を意外なタイミングで楽しめたのも「植物園隣接」のおかげである。
自宅最寄りの地下鉄丸ノ内線の駅に向かう道沿いにも公園が整備されているし、その延長には筑波大学が管理する占春園という庭園が続いている。おかげで、蝉の音色を近年になく堪能できている。
田舎暮らしの人には分かってもらえないと思うが、生まれも育ちも都心部だと、単なる蝉の声が「たかが」ではなく「されど」になる。私にとっては一年でもっとも楽しみな風物詩だ。
とくにヒグラシのはかなげな鳴き声は世界で一番美しい音色だ。断言しちゃう。大げさかもしれないが、私にとってはどんなに素晴らしい楽器よりもヒグラシである。
世界遺産にするべき美しい音だと思う。
さてさて、話は変わる。いや、変わらない。蝉の話だ。
「しずけさや 岩にしみ入る 蝉の声」
教科書に載っていた句だ。情感などまるで無かった子どもだったが、たった17文字の中に「夏」の気配が完璧なまでに表現されていて妙に印象に残った。
多くの蝉が一斉に鳴いている様子を現わす「蝉時雨」という言葉も、何気なく使っているが、物凄く美しい日本語だ。
せみしぐれ。音の響きも良い。天から降ってきた音色に包まれるような雰囲気がある。この言葉を聞いただけで、頭の中にさまざまな夏の情景が浮かぶ。
季節ごとの風物詩としては、桜や紅葉のほうが世間的には重用?されているが、蝉時雨も負けていないと思う。
毎年、春になるとお年寄りを中心に「あと何回桜の花を楽しめるだろう」というフレースが飛び交う。
日本人の感性として桜が1年を区切る目印になっている証だが、アマノジャクな私は毎年毎年「あと何年ヒグラシの音色を聴けるだろう」とつぶやいたりする。
蚊取り線香の香りとセットで楽しめれば、まさに日本的情緒の極みだ。実際、多種類の蝉がさまざまな音色を聴かせてくれるのは日本ならではの特徴らしい。
私自身、潜水旅を目的に世界中の夏まっ盛りの場所を旅してきたが、日本の蝉時雨みたいな音色はヨソの国では経験したことがない。
ウィキペディアを見ていたら興味深い記述があったので、一部転用してみる。
~~明治維新の時、日本にやってきたヨーロッパ人はイタリアや南仏などの地中海沿岸地域出身者を除くとセミを知らない者が多く、「なぜ木が鳴くのか」と尋ねた者もいた。現在でも、日本のドラマを欧米に出すとき、夏の場面ではセミの声を消して送る。日本ではいかにも暑い盛りの効果音と感じられるが、あちらでは妙なノイズが乗っていると思われる場合が多い~~。
蝉の存在自体を知らない人がいるなんて驚きである。なんだか気の毒だ。あんな情緒たっぷりの音を知らずに過ごす人生なんてイヤだ。
そう考えると、せっかく身近で鳴きまくっている蝉の声をもっと有難く思わないともったいないのかもしれない。
ちなみに、鳴くのはオスだけである。蝉にしてみれば交尾相手を求めて騒いでいるだけだ。
平たくいえば「誰か~、ヤラせてくれ~!」と叫んでいるだけだが、そういう夢も希望もない解釈をしてはいけない。
頑張れオス蝉。健闘を祈る。
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