東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年8月31日月曜日
ナマでいっちゃう?
今週から9月である。秋の到来だ。松茸にサンマにイクラの季節である。
秋味といえば、今ではすっかりビールの銘柄イメージになったが、元々は鮭を意味する言葉である。
秋の川に戻ってくる鮭の使命は、日本人にイクラを提供することである。
冷凍技術、保存技術の進歩によって1年中うまいイクラがドッサリ食べられるが、ナマのイクラはこの時期だけのスペシャルな一品である。
ナマだから味はさほど強くない。醬油をチョロッと落として味わうと生卵かけご飯のアノ生卵風味そのものである。
かつて有名作家が、どっかの店のシンコを食べないと私の夏は終わらないというカッチョいいセリフを広めたが、私に言わせれば「ナマのイクラが俺の夏を終わらせる」って感じである。
ところがところがである。私にとっては意外なのだが、ナマのイクラより「普通のイクラ」のほうが好きな人が結構多い。
人の好みはそれぞれだが、やはり、味付けイクラに慣れ親しんでいると、そっちが味覚の基準になるということだろう。
イマドキのカップ焼きそばより昔からのペヤングのほうが美味しく感じるのと同様だ。
どんなにファンタスティックでやたらとオシャレで解読不明な名前のスパゲッティが世の中に溢れても、昔ながらの喫茶店風ナポリタンが各地で熱く支持されているのと同じである。
話がそれた。イクラだ。
中にはいつのまにかイクラの味付けの定番になった醬油漬けではなく、昭和の東京を思いだすような塩漬けイクラじゃなきゃ食べないと言い張るツワモノもいる。
それはそれで一つの見識であり、説得力のあるこだわりだと思う。なんでもかんでも美味しそうに食べることは素敵なことだが、物語性を感じさせる独自の好みを確立しているほうがカッコイイと思う。
こんなくだらないことをアーダコーダ言うのが「ウンチクオジサマ同盟」組合員としての私の悪いクセである。
さてさて「ナマか、非ナマか」である。エッチな話を書いているわけではない。そっち方面は議論せずに結論が出る話である。
流通事情などが進歩したせいで、日本中どこでも「ナマ」が大手を振ってエバっている。サンマの刺身などその代表格だろう。
ほんの10年程度だと思う。それ以前はサンマやイワシを刺身で食べることは考えられなかった。今では安い居酒屋でも普通に用意されている。
で、アマノジャクぶりを発揮して声を大にして言いたいのだが、サンマは刺身より塩焼きのほうがウマい。ナマなら何でもエラいみたいな風潮はいかがなものか。
サンマは塩焼きだ。刺身なんかじゃ魅惑的なワタは捨てられちゃう。塩焼きの時のワタの味こそサンマである。
イワシだってそうだ。火が入ったほうが格段にアイツの素敵な感じが強調されると思う。
ちなみにツブ貝は火が入るよりもナマがウマい、ホッキ貝は逆にナマより火が入ったほうが甘さが増してウマい。
貝に関するそんなこだわりなら声を大にして主張する気はない。反論にも真摯に耳を傾ける。でも、サンマに関してだけは断固として塩焼き絶対支持である。
ウナギだって穴子だって、食べようと思えば今時は刺身も簡単に食べられる。私自身、何度か食べたが、どう逆立ちしたって刺身より普通の食べ方のほうがウマい。
サンマの刺身をジックリ眺めてみたのだが、なんだかアレは見た目の色合いのせいか「アジのたたき」にインスパイア?された間違った食べ方なんじゃなかろうか。
塩焼きサンマをまるごとガッついて感激するたびにそう思う。刺身で提供されるためにワタをどかされちゃった淋しげな姿が気の毒に見えてしまう。
サンマの刺身ファンの皆様、好き勝手なことを書いてゴメンナサイ。
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