東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年11月6日金曜日
味覚と気分
ホリエモンという人は世間の注目を集めるノウハウに長けている。うまい具合に物議を醸す発言をする。さすがに頭がいい。
最近話題になったのは寿司職人の話。何年も悠長に修行するのはバカだというツイッターでの発言だ。
オープンしてまもない寿司店がミシュランの星付きになって、おまけにそこの職人達が、短期間で寿司職人を育成するアカデミーの出身だというニュースを受けた話である。
堀江氏は以前から「下積み原理主義」みたいな板前の世界の風潮をこき下ろしてきたそうだ。らしいと言えばらしい主張だろう。
あながち否定できないというか、多分、寿司という限定的な世界なら、センスの良い人間なら短期間で一定の技術を覚えることは可能なんだろう。
修行を始めて1年は掃除と雑用、その後の1年は皿洗いだけなどという面倒なパターンを続けていれば、握り方を覚えたり、魚の目利きの訓練も出来ない。確かに遠回りといえば遠回りである。
IT時代の寵児として既成概念に疑問を呈し、合理的な考え方をウリにしてきた堀江氏としては、因習的な修行のともなう職人の世界に違和感があるのだろう。
それはそれで一つの見識である。良いとか悪いではなく「それもそうだ」と思う人も大勢いるはずだ。
個人的な意見を言えば「ふむふむ、まあそうかもね」といったところか。それなりの寿司屋で過ごす時間に「ロマン」を求めたい私としては、堀江流合理主義はピンとこない。
いっぱしの顔した寿司屋の大将には、「必死に頑張った厳しい修行時代」というバックボーンを求めたくなる。そりゃあ寿司の味に関係ないのかもしれないが、そんなところにも惹かれる。
若造の時に、こんな経験をした、あんな事を学んだ、こんな目標を立てた等々、初々しい時代にキラキラした瞳で不条理に耐えてきたような歴史を歩んでいて欲しい。
ホロ酔い気分でウマい肴をつまんでいる時に、ボソっとそんな話の断片を聞かせてもらうのも客の楽しみかもしれない。
要は「気分」である。酒を飲む時も食事をする時も気分で味は変わる。ドンヨリ食べればドンヨリした味になるし、ウキウキ楽しく飲めば陽気でウマい酒になる。
それなりの寿司屋で過ごす時間も「気分」が大きく影響する。偉そうな大将に仏頂面で寿司を握られたってヒトカケラもウマいとは思わない。
なんだか一方的なおまかせ握りを40分ぐらいで食べさせられて3万ぐらいの御勘定を取る名人の店があるらしい。たとえ卒倒するほどウマかったとしても行きたくない。
あれこれ学びながら食べることも大事だろうが、個人的には無理だ。かしずきながら過ごす時間を「気分」が良いと思える人だったら快適なのだろう。
まあ、そういう店に喜んで行く人は、そういう店のそういう路線自体に「ロマン」を感じている。それはそれで特別な気分を味わうには大事な要素ではある。
結局は「気分」が大事という話である。
「気分」などという掴み所がない考え方は本来、味覚には関係ないのかもしれない。でも、ちょっと奮発してウマいものを食べたいとか、こだわったものを味わいたい時は「気分」が大事だ。
そこに登場する板前さんが、最近までアマチュアだったとしたら興醒めである。「数ヶ月もあれば綺麗に握れるようになりますよ」などというセリフは客の夢(ロマン)を壊すから聞きたくない。
物凄いウマい手打ち蕎麦が食べられると聞いても、場所が店主の家の一部を改造したスペースで、店主自体が2~3年前に脱サラしたばかりのオジサンだったりすると、どうしても高揚感は味わえない。
それって私の頭が古くさくて凝り固まっているだけかもしれない。あくまで個人の嗜好なので暴論だったとしても御容赦願いたい。
やはり、個人的には古色然とした造りの店で「それっぽい蕎麦」をたぐるほうが美味しく感じてしまう。
この画像は銀座の日本料理屋・三亀で一人ぼんやり食事をしていた時の一コマ。カウンターに陣取って熱燗を注文。カゴに無造作に積んであったぐい呑みから一つ選べと言われて手に取ったモノだ。
一見、ヘンテコな絵柄のぐい呑みに見えるが、実は美濃焼の名門の出で個性的な技法で人間国宝になった著名な陶芸家の作品である。その他もろもろの盃と一緒に無造作に混ざっていた。
一時期、アホみたいにぐい呑みや徳利収集に励んだ私にとっては、ウヒョヒョ~!って感じである。迷わずこれを一夜の相棒として掌でもてあそぶ。
当然のことながら「気分」はアゲアゲである。燗酒も普段よりウマく感じる。そんな気分だからもちろん料理もウマウマである。
「ワテの店のぐい呑みでっか?量販店で1個150円で仕入れてまっせ」。世の中の料理屋さんにはそういう店も多いはずだ。
“大事なのは酒の銘柄であって器ではない”と言われればその通りだろう。でも私はマニア垂涎の希少な純米大吟醸を150円の杯で飲むより、そこらへんの酒をこの画像の盃で飲んだほうが美味しく感じる。
そんなもんだと思う。
味覚って結局は、ロマンという名の勝手な思い込みや、頭の中に浮かぶ物語みたいなものに左右される。それが普通の人の現実である。
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