2016年4月27日水曜日

姫路城萌え


子供の頃、歴史が好きだった。歴女(レキジョ)ならぬ歴ガキだった。でも興味があったのは日本史だけで、世界史は苦手だった。

世界史の場合、出てくる人物の名前がカタカナだからピンと来ない。おまけに出てくる人物名は“なんとかアヌス”ばかりである。子供だったからアヌス攻めに耐えられなかったのだろう。

というわけで、義経、信長あたりの男の子が憧れる定番ヒーローに始まり忠臣蔵に萌えまくる日々だった。ちょっと大袈裟か。

同時に好きになったのが城である。あのカッコ良さ、あの威風堂々とした佇まいに惚れた。絵を描く時も城、欲しいプラモデルも城という時期があった。

10歳ぐらいの頃、母親にせがんで「赤穂と姫路城をめぐるバスツアー」に参加した。いま思えば親は大変だったろう。わざわざあんな距離をバスに揺られて行ったわけだから頭が下がる。



そんな懐かしい記憶をたどりながら40年ぶりに姫路城に行ってきた。昨年、平成の大修理を終えたばかりだ。俗称である白鷺城をもじって「白過ぎ城」と呼ばれるほど綺麗になった。

旅行好きだから世界の古い城や宮殿をいくつも見ているが、姫路城の壮麗さは世界的に見ても別格だと思う。日本人としての身びいきもあるが、それでも超絶的に美しい。ため息が出る。

江戸時代から天守閣が残っている城は日本に12カ所あるが、姫路城の威容はやはり日本一だ。さすがに日本で最初に世界遺産になっただけのことはある。計算され尽くした連立天守の美しさは、これぞ日本の美意識とうなりたくなる。



今の形の姫路城が完成したのは、戦国乱世が収まった頃だから、この城は攻められたこともなく、ここから攻めに出たこともないそうだ。

とはいえ、徳川政権の黎明期だから西国大名への睨みを効かせる意味で江戸城に匹敵する大天守を作ったという。それまで各地の城は黒色を基調にしていたのに対し、姫路城は屋根瓦の継ぎ目まで漆喰を使ったことで「白鷺」に例えられる美しさに仕上がったわけだ。


知ったかぶって書いているが、40年ぶりの訪問を前に姫路城関連本をいくつも買って読みあさった一夜漬けの知識である。

40年前はただただ「カッチョエエ~」と眺めていただけだったが、オジサマになると真剣に予習するようになる。その分、楽しみも何倍も大きくなる。やはり人間は中年以降が楽しい。

予習した知識によると、大天守と石垣それぞれの高さのバランスは最も案分比として美しく見えるように計算され、5階建て(5層)の各階の高さも見た目を考慮して微妙に変えてあるそうだ。

遠くから見た時、下から見上げた時など、どこから見ても美しく見えるように部分ごとに高さが緻密に考え抜かれているわけだ。尋常じゃない美意識の産物だと思う。

今回は晴天に恵まれ、城の周りだけで1万歩以上ブラブラした。何とも気持ちの良い時間だった。大半の旅行者が気づかないマイナーなお堀遊覧にも参加した。



短い距離をチョロチョロと和船で遊覧するだけなのだが、歩き疲れた身体にはなかなか快適だった。行政の指導とやらでヘンテコな傘をかぶらせたのは興醒めだったが・・・。

姫路城に出かける前の日は、こんぴら歌舞伎を見るために香川県の琴平にいたのだが、少し時間に余裕があったので隣町の丸亀にも城を見に行った。

丸亀城も現存天守閣を誇る地域のシンボルである。姫路城と比べちゃうと気の毒な規模だが、それでも質実剛健な佇まいである。石垣の美しさが特に印象的だった。




姫路城も丸亀城も平地の中の丘陵部分に築かれた平山城という分類なのだが、丸亀城は山城に近い感じで、天守閣まで辿りつくのにヒーヒー言ってしまった。

天守閣の中の階段もバカが作ったんじゃないかと思えるほど傾斜が急でオジサマはヘロヘロになってしまった。

やはり足腰というか体力面では40年前の少年の頃のほうが遙かに優秀だった。

「中年の頭脳に少年の脚力」。そんな状態だったら城めぐりも楽チンなのだろうが、さすがに叶わぬ夢だ。

以前から老後の趣味は「日本全国城めぐり」と決めているのだが、なによりも足腰を鍛え直さないと話にならない。

もっと無理な体位で頑張ったりしないとダメだ。

どうしてそんなオチにしてしまうんだろう。

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