ヤバいという言葉は若者の世界ではポジティブなニュアンスで使われている。「がちヤバい」だったら「物凄く良い」と同じような意味合いである。
正しい?大人としてはいちいちビックリする。ヤバいといえば、マズい、困ったといったイメージしかない。逆の意味に聞こえる。
バカにされたかと思ったのに褒められていたようなパターンである。いつの世も若者の言葉は不思議だ。
そういう私だって若造の頃は、「マブだちをブッチした」だの「ちょっとタンマ、オジャンになっちゃった」とかホザいていたからイマドキ言葉に文句をつける気はない。
「ナウい」「フィーバー」「話がピーマン」。私が若い頃に既に死語になっていた言葉だが、何より気持ち悪かったのが、当時のいい歳したオッサン達が、そんな言葉をいつまでも得意になって使っていたことだ。
ああいうヘンテコな若者ウケを狙った迎合ほど不快なものはない。いま私が真顔で「チョベリバ」などと言おうものなら周囲500メートルぐらいに冷たい風が吹くと思う。
若い頃、しょっちゅう使っていた言葉を思い返してみた。「ダッシュで来いよ」「ソッコーでやれよ」なんかは普通に使っていたが、いつの間にか絶滅したみたいだ。
高飛車な態度を「タカビー」と言ったり、汚いことに対して「エンガチョ」と叫ぶ人もいなくなった。
全然ジャンルは違うが「ハウスマヌカン」という言葉も突然現れて突然消えていった。「夜霧のハウスマヌカン」というシュールな歌を覚えている人は少数派だろう。
日常生活で困っちゃうのが「ズボン」「トックリ」「チョッキ」である。既に死語のようだが私は今でも口に出して若い人から怪訝な顔をされる。
ズボンはズボンである。パンツといったら下着のことなのに、いつの間にか“ズボン派”は社会から孤立している。
ハイネック、タートルネックでも結構だが、あれはトックリだろう。でも、ネットショッピングの検索窓に「トックリ」と入力しても洋服が表示されないのが実情である。
年に一度のバンドライブのために衣装としてチョッキを作ったこともあったのだが、人様からはベストと言われる。「ジレ」とかいう小生意気な呼び方で語られた時は、ちょっとイラついた。
アッシー、メッシーという男として憤懣やるかたない言葉もアッという間に消滅した。電車にズルして乗る「キセル」も駅が自動改札になったせいもあって死語になった。「ハイソ」は「セレブ」に変わっていった。時代の流れを感じる。
全然脈略がないのだが、そういえば「パツキン」も聞かなくなった。金髪女性の意味だ。いつのまにか「ブロンド」に進化して、その後、日本人の女子が金髪だらけになるにつれ消えていった言葉だ。なんとなく郷愁を感じる。
さてさて、イマドキの言葉の中にも言い得て妙というか、なるほどねえと感心するものは多い。
ジワジワくるの「ジワる」、全部、まるごとを意味する「まるっと」、オラオラしている様子を指す「オラつく」あたりは結構長持ちするのかもしれない。
神がかっていることを「神ってる」と表現するのもちょっとマネしたくなる。まあ、大人が使い出した途端に寿命が尽きるのが若者言葉だから、どれもあと数年もすれば聞かれなくなるのだろうか。
ついでに耳障りな言葉も書いておこう。言葉というか、ヘンテコな語尾の使い方である。
「綺麗だお~」「頑張りまふ」。
こんな感じの不気味な言い回しを目にすることが増えた。中学生や高校生ならともかく、30を超えたような大人が使っていると気味が悪い。
それこそ死語になった「ぶりっこ」的イヤらしさだ。やばたん、つらたん等々、少なくとも大人には使って欲しくない。
こんなことをブツクサ書いていることが老化現象かもしれないが、社会人になったらあまり気色悪い言葉は使って欲しくないと思いまふ。
ズボン、ソッコー、ダッシュが死語だと今知って驚愕!(45歳)
返信削除コメントありがとうございます!
返信削除死語と書いてしまいましたが、割と頻繁におそるおそる?使ってます。。。