2017年2月10日金曜日

お酌問題


お酌。日本人にとっては一種のビジネスマナーだから厄介である。当然、私も若い頃はせっせと目上の人にお酌をした。


この歳になれば当然のようにお酌をされる機会が増えたが、どうにもあれが苦手だ。気ぜわしいし面倒だ。

お酌されるまでわざわざ待っているエラそうなオッサンがいるが、あれって何なんだろう。

「手酌は出世しない」を真に受けて我慢しているのだろうか。だとしたらバカだ。あれはお酌をされるような立派な人になりましょうという趣旨である。お酌されるのを待っているようでは立派ではない。

もちろん、酒席によっては私だってお酌をしたり受けたりと忙しく頑張る時もある。正直ウザい時間だが、あれはあれで文化的なモノだから仕方がない。

先日、仕事関係の知り合いが生ビールのウマい店でわざわざ瓶ビールを注文。理由を尋ねたら「お酌をするため」と言われてビックリした。それが常識になっている世界というか業界があるらしい。意味不明だ。

プライベートでは間違いなく手酌のほうがいい。たとえ相手が気を許した女性だろうと愛しい娘だろうと、お酌をされるのは苦手だ。

最初の一杯なら挨拶のようなものだから気にしないが、2杯目以降はこちらからしっかり断る。しらけない程度にお酌が苦手だと伝えておく。

お酌されてもぶっきらぼうに無反応でいられるほど図々しければいいのだが、私のように几帳面で繊細で気弱な男としてはそうはいかない。

お酌される都度、グラスや盃に手を添える。いちいち有り難うと言ったり、お礼っぽい仕草を返したりする。なんとも煩わしい。相手にお酌を仕返すのを忘れてアセアセした気分になるのもイヤだ。

要はワガママなんだろう。でもプライベートで酒を飲んでいるときに気疲れするのはゴメンだ。酒は飲むものであって飲まされるものではない。


女性がいる酒場での水割りがまた厄介である。さすがに自分で作るわけにもいかないからお任せするが、二口、三口飲んだぐらいでとっとと作り直そうとする。

間が持たないヘタれたホステスさんだと、マドラーを握りしめて待ち構えている感じだ。いちいち濃くなったり薄くなったりしてダメ。

メンドーだから「飲みきりで」と伝えておいても30分も経ったらそんなこと忘れてせっせと作り始めるスットコドッコイもいる。

ついでに言うと、そういう酒場でのタバコ着火問題も変な習慣だと思う。タバコの火を人に点けてもらう姿は美しいものではない。カッチョ悪い。

赤ら顔のオッサンが咥えたタバコをぐいっとホステスさんに差し向けてわざわざ火をせがむ姿を見るにつれ、同じことをしてもらっている自分がちょっと情けなくなる。

ヤクザじゃあるまいし、あれを当たり前に思う感覚はどうなんだろう。間違ってもスマートではない。ヤボだ。

愛煙家である私としては自分のタバコぐらい自分で火を点けたいのだが、それを実践すると店の人からやんわり注意されることがある。

要は席に着いているホステスさんが仕事していないと見なされちゃうわけだ。いたいけな女性陣が私のワガママのせいで叱られるのは気の毒である。だから自分で火が点けられない。なんかバカみたいな話だ。

ちなみに以前、ぶっとい葉巻を咥えたままホステスさんにマッチで火を点けさせているシャバダバなオッサンを目撃したことがある。

葉巻の着火はタバコのように簡単ではないのが特徴だ。じっくりと火を点けること自体が楽しみや嗜みの一部でもある。普通は人から火を点けてもらうという発想にはならない。あり得ない光景だ。

長年にわたって培われた夜の街のタバコ着火システム?がもたらしたヘンテコな光景だったのだろう。

なんだか今日はエラそうに書き殴ってしまった。さも神経質そうな書きぶりだが、実際には私自身、お酌もされるし、タバコに火を点けてもらう。

お断りしたいけど、断固拒否するほど偏屈じゃないし、そんな我を通すような硬骨漢にもなれない。なんとも中途半端である。もっと修行に励もう。

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