東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2017年3月13日月曜日
サバよむ人々
「30過ぎたオバサン」。こんな発言をよく耳にする。バカな話だ。30歳を過ぎたぐらいでそんな扱いは実に不適当である。
私が30過ぎの女性にモテたいから言っているわけではない。本心からそう思う。
昭和の頃に比べるとすべての年齢層で若返りが進んでいる。成人式だってハタチではなく30歳を境にしてもいいと思う。
谷村新司の「22歳」という歌を時々カラオケで歌う。♪22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ 何故かわかる?あなた~♪という歌詞でアンニュイな雰囲気が漂う名曲だ。
しかし、今のご時勢の22歳を想定すると歌で描かれている世界とのギャップが激しいと思う。それこそ32歳ぐらいの設定のほうがピンとくる。
30過ぎぐらいの女性が何となく自らの年齢的価値?みたいなものに自信を無くしていることはもったいない。もっと堂々と女盛りの真っ只中にいることをアピールした方が建設的だろう。
サバをよむという言葉がある。鯖は傷みやすかったから取引の際に急いで大ざっぱに数えたことが語源なんだとか。
20代の女性が3つも4つもサバをよんでいると気の毒になる。ティーンエイジャーを相手にアイドル活動をしているのなら仕方ないが、一般人のくせに必死にサバをよむのはマヌケだと思う。
知り合いに31歳なのに24歳で通しているモデルさんがいる。メイクや着るもので20代前半に見えなくもないが、正直にいえば痛々しい。
男と女では全然比較にならないのだろうが、男の場合、若く見られることがマイナスになることもある。頼りないというイメージだ。
私自身、若い頃に社内の急な世代交代でポジションが上がった際には「逆サバ」に励んだ。25~6歳の頃は33歳ぐらいを自称していた。
男の場合は小僧扱いされたくない心理が働くから若く見せようとはしない。結構なオッサンになって5歳も10歳もサバよんでいる中高年がいるが、あれは見苦しいだけだ。
まあ、そうはいっても、もし私が出会い系サイトなんかで悪さをするなら、間違いなくサバよんじゃうはずだから、あまりエラそうなことは言えない。
サバよみ問題は年齢だけではない。「バツ2」を「バツ1」と言い張る男や、30人もの男性経験があるのに「3人だけ」と答える女など、とかく世の中の男女のせめぎ合いの中ではサバが大漁?状態である。
経験人数問題については女性の場合「サバよみ100%」だが、男の「逆サバ」、すなわち誇張も困ったものだ。
さすがに恋する女性相手には実際より少ない人数を“申告”するが、男同士だと見栄を張って数倍にかさ上げして語りはじめる。
男の狩人精神のなせるワザ?である。狩猟の成果や狩りの腕前が村社会での地位を左右した古代人時代のDNAのせいで、ムダに頑張って話を大きくしてしまう。
これまた痛々しい話である。気をつけないといけない。
先日、若い女性から歳を聞かれた際に「50歳だ」と答えた。ホントは51歳である。サバをよむ気は無かったのだが「50の大台」を強調したくて「もう50になっちゃったんだよ」と言ったわけである。
するとなぜか干支を尋ねられて正直に答えたら、しばし間があいた後に「サバよんでませんか?」と言われてしまった。たった1歳なのに詰問調である。
不思議なもので、そう指摘されると自分が「若く見られたいオッサン」だと思われているようで途端に恥ずかしくなった。
おまけに必死に弁解したものだから何だかアワアワしちゃってカッコ悪いったらありゃしない。サイテーである。
中途半端なサバよみは簡単にほころびる。どうせなら徹底的にウソで塗り固めないとダメだ。
「誠心誠意ついたウソは真実になる」。確かそんな格言があったと思う。サバよみ組の人々はそんな意気込みで頑張っていただきたい。
でも、そんなメンドーなことに気を向けず、あるがまま、ありのままで過ごしている人が一番カッコいい。
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