東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2017年6月28日水曜日
夫婦の絆
小林麻央さんの話題でメディアは持ちきりだ。34歳という若さでの非業の死。想像を絶する無念さだっただろう。
ニュースを見た人の感慨は人それぞれだ。夫や兄弟、親の立場など我が身に置き換えてそれぞれの角度からの痛みを感じたはずだ。
なかでも「夫婦の在り方」という視点で様々な捉え方をした人は多い。仲良し夫婦、仮面夫婦、ベテラン夫婦から新婚夫婦に至るまで夫婦という形を取っていれば、相方との別れは必ず訪れる。
その時のことを思い、自分だったらどうなってしまうのか、何を感じるのか、どうすべきだったのか等々、それこそ答えのない課題を多くの人が考えさせられた。
最期の言葉は「愛している」だったそうだ。正直言って驚いた。幼い子どもを残して逝ってしまうわけだから、普通だったら旦那より子どもへの思いが優先しそうな気がする。
それ以前に、最後の最後に自分のキツさではなく他者への意識が残っているものだろうか。私だったらおそらく痛いだの苦しいだのヒーヒー言ったまま終焉を迎える気がする。
最期の瞬間に他者への愛を語れるような精神性を持つ人がいるとしたら素直に凄いことだと思う。
結婚生活からFA宣言してしまった私は「夫婦」という形に馴染めなかった人間だ。原因をあげればキリがないが、私自身に「無垢な心」が欠けていたこともその一つだと思っている。
無条件に相手を信頼することが家族としての最低条件だろう。まさに無垢な気持ちで接することが出来るかどうかだ。
私も親や子に対してはそういう感覚を普通に持っているが、結婚相手にはそうした感情を持ちきれなかったわけだ。
もちろん、元は他人だから肉親と同じであるはずは無い。でも、歳月を共に過ごすうちに徐々に肉親と似たような家族感覚が芽生えてくるのが世の中の夫婦の基本だろう。
私の場合、5年経とうが10年経とうが、自分の深層心理の中で相手を他人として見ていた部分が強かったのだと思う。
胸襟を開けなかったというか、腹のウチを開けっぴろげに見せることが出来なかったわけだ。そうしようと頑張る努力を怠っていた部分もある。
「夫婦なんてしょせん他人」。そんな刹那的な思い込みを改善しようとしなければ、いくら歳月を積み重ねても、以心伝心など無理な話で、ベテラン夫婦が持つ独特な「絆」など生まれるはずもない。
まあ、そんな自己分析をしてみたところで、これまでの経験を後悔しているわけではない。正直、反省もしていない。強いて言えば自分の思い込みを柔軟に見直そうとしなかった点だけは努力不足だったとは思う。
とはいえ、根っからの自分の性質が招いた結果である以上、単に必然だったと思うしかない。後になって“たられば”を考えたって無意味だ。違う相手だったら自分が開けっぴろげになれたかもしれないし、何回結婚したって常に胸襟を開けなかったかもしれない。
もちろん私だって、絵に描いたような穏やかな家庭生活に憧れはある。映画「男はつらいよ」では、旅先で目にする平凡な家庭団らんの姿に寅さんがしょっちゅう胸を打たれている。私もいつも激しく共感する。
生まれ変わったらメジャーリーガーになりたい、ミュージシャンになりたい、はたまた理系の頭脳が欲しいだのとヘンテコな夢想をする一方で、穏やかな家庭を持ちたいという願望は結構強い。
そんなことを言ったところで、10人に8人ぐらいは信用してくれないのだが、割と真面目にそんなことを思っている。「隣の芝生」みたいなものかもしれないが。
まあ、ホントにそう思っているなら、そうなるための努力を惜しんではいけないのについつい余計な邪念が邪魔をする。
うーん、書けば書くほど自分の至らなさが残念である。我ながら自分の薄っぺらい感じが身に染みる。
気晴らしに今夜もどこかに繰り出して闇に向かって吠えてみようと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿