2017年9月4日月曜日

僕 俺 自分 ワシ


日本語の面白さを象徴するのが一人称の多様さだ。英語だったら「I」だけだが、日本語の場合、今日のタイトルのようにいろんな種類がある。

このブログでしょっちゅう使っている「私の場合・・・」という言い回しは主に書き言葉で使っている。実際の私は、人と話している時に「私」と言う場面は滅多に無い。

このごろハヤリ言葉のように使われている「印象操作」という意味でも、日本語の一人称は巧妙に使われている。

トランプ大統領のイカつい発言がテレビで流れる際、邦訳テロップや吹き替えは「オレ」が使われる。大国の大統領が使う言葉としては違和感がある。


安倍さんが北朝鮮のミサイルに怒っても「オレは断固抗議する」とは言わないわけで、トランプさんの「I」は「オレ」ではなく「私」が正しいはずだ。

最近でもウサイン・ボルトの会見映像がヘンテコだった。普通に会見場に座ってキチンと受け答えしているボルトの一人称はナゼか「オレ」。おまけに敬語は一切使われず、ぶっきらぼうな物言いに終始していた。

失礼な話だと思う。ボルトに限らず、野性的なイメージがある著名人の邦訳はたいていが「オレ」であり、「まいったぜ」「頼んだぜ」みたいな「ぜ」が平気で使われる。

ワイルド系の黒人著名人の場合、一人称は「オレ」で統一されているという話を何かで読んだことがある。もし本当だったら一種の差別だろう。

人種に限らず、労働者風の人が語るシーンの邦訳では「オレ」が多用され、ホワイトカラーだと「私」や「僕」が使われる。いとも簡単に印象操作が行われているわけだ。

なんだか固い話になってしまった。軌道修正。

男の一人称として別格の存在が「ワシ」である。広島や関西の一部の人は別として、自分のことを「ワシ」と称する人には会ったことがない。

「幻のワシ」である。若い頃、大人になったら自分を「ワシ」と言えるような貫禄のあるオッサンになりたいと本気で思っていた。

今の私なら年齢的に「ワシ」を使えそうなものだが、いまだに「僕」とか言ってしまう。なんだか小者みたいでシャバダバである。

でも、「ワシ」という一人称は想像を絶する波瀾万丈な生き方をしてきた人にしか許されない言い回しのような気がする。ちょっと大げさか。


「ワシ」といえば「江夏豊」である。言わずと知れた伝説の名投手だ。昭和の野球小僧にとって「江夏豊」イコール「畏敬の念」である。

ある時期、あの清原が「ワシ」の後継者かのような位置付けになったことがあったが、やはり“ワシ業界”において江夏こそ無双である。

ところが、時々テレビに出てくる江夏サマは「オレ」を普通に使い、時には「僕」まで使っている。「ワシ」で語り始める姿を見たい私は悶々としてしまう。

ワシ業界最高峰の江夏御大としては、きっと「ワシ」の使い方にこだわりがあるのだろう。元広島の達川みたいに「ワシ」の安売りを自制しているのかもしれない。

さすがだ!江夏豊!

ちなみに、江夏師匠が自分を「僕」と呼ぶ場面もキュンとする。単に私は江夏が好きなのだろう。

さてさて、オチが見当たらないから「ワシ」に関するウンチクを一つ。

今ではすっかりコワモテオジサン専用になった「ワシ」だが、江戸時代には女性の一人称だったらしい。

ということは、江夏がタイムマシンで江戸時代に行ったらオネエ扱いされてしまう恐れがあるわけだ。

江夏御大には何があってもタイムマシンには乗らないで欲しい。

2 件のコメント:

  1. 女性のアタイもなかなか生で聴きませんね。
    時代劇だけ?
    ああ、そう言えば熊本出身の義父の一人称はワシですw

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  2. コメントありがとうございます!
    アタイ、しびれますね。昭和の不良少女を最後に絶滅したのでしょうか。。
    アチキ、ワッチなどの色街言葉も風情があるので復活して欲しいです、
    お義父さま、渋いです!

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