2017年12月1日金曜日

散歩の楽しみ 寅さん


「ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開花の音がする」

こういうリズムの日本語の面白さを初めて知ったのは小学校か中学校の教科書だった気がする。

五・七・五・七・七の短歌、七・七・七・五の都々逸(どどいつ)は、誰にとっても意識しないうちに身についているリズムだろう。

「信州信濃の新ソバよりも わたしゃお前のそばが良い」

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花」

「たった一度の注射が効いて こうも逢いたくなるものか」

例をあげればキリがないが実に小気味よい。

映画・寅さんで頻繁に飛び交う啖呵売の口上もこうした言葉遊びの流れを汲む伝統芸能みたいなものだ。

都々逸の流れにつながった狂歌という分野の大家だった人が大田南畝という江戸時代の人。「蜀山人」という名前でも知られる。


「生きすぎて七十五年 喰ひつぶし かぎりしらぬ天地の恩」

晩年に呼んだ歌だそうだ。なかなか味わい深い。

先日、自宅の近くをぶらぶら散歩していた時に、大田南畝の墓があるという寺を見つけた。画像はそこにあった看板だ。

散歩の楽しみは、こういう発見にこそあるのかもしれない。もともと「蜀山人」という名前ぐらいは知っていたが、詳しくは知らなかった。

散歩の発見ついでにググってみたら、かなり興味深い人物だ。幕府の下級役人を務めながら、粋な文化プロデュ-サーとして活躍、狂歌の第一人者になるも、幕政改革のあおりを受けて、自粛暮らしになり、晩年まで左遷させられまくりの小役人を続けたらしい。

こういう人物を主人公にした人情モノの時代劇をぜひ作ってもらいたいものだ。

私が住んでいる文京区は、江戸の名残りが結構多くて、あてもなく散歩している最中に、歴史に絡む由緒書きの看板をよく目にする。

5代将軍綱吉が将軍になる前に住んでいた屋敷のそばの坂道は「御殿坂」、運河が通っていたそばの坂道は、漁師さんが網を干したから「網干坂」等々、すべて由緒書きのおかげで知った。

「八百屋お七」と「榎本武揚」と「二宮尊徳」のお墓が同じ寺にあったり、宣教師や信者を収容した「切支丹(キリシタン)屋敷」の跡地なども散歩しながら偶然見つけた。

何百年前にその場所で歴史が動いていたのかと思うと何となく感慨深い。

さて、江戸の名残りが感じられたり、古い街並を散策するのが好きな私にとって、一種の聖地が葛飾柴又である。

風情があるのはもちろん、わが師匠・寅さんの街だからただ歩いているだけでもウキウキする。


過去にも何度も散策しているが、最近になってスムーズにアクセスする方法を知ったので、今後は頻繁に出かけることになりそうだ。

地下鉄千代田線が途中からJR常磐線になってあーだのこーだのと知人に解説された。

千代田線の路線図だけ見ていると、サッパリ分からないのだが、とにかく文京区の某エリアからなら乗り換え無しでJRの「金町」に着く。そこから京成線で一駅乗れば柴又である。

週末は帝釈天の門前は大混雑である。それはそれで楽しいのだが、平日の日が暮れそうな夕方にブラブラするのが楽しそうだ。

ウナギ屋さんも普通に美味しい店はあるし、門前町で佃煮や漬け物を試食するのも楽しい。


寅さん記念館もある。何度も通って飽きちゃったのだが、それでも必ず入館する。

最近はヒマがあれば録画がたまっている寅さんを見ている。今まで全48作すべて見ている。3回以上見ている作品もある。

若い頃にはイマイチに感じた作品でも、今になって見返すと違う印象になるから面白い。

眠れぬ夜は「寅さん名言集」なんかもパラパラとめくる。



こんな話を書いているだけで、また柴又散歩、下町散歩がしたくなってきた。ウナギを肴に酒が飲みたくなってきた。

邪念ばかりである。

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