東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2017年12月20日水曜日
脚線美
脚線美。この言葉を聞いて鼻の穴が広がるようになったのは高校生の頃だったと思う。
F1レースのTVテーマ曲で知られるフュージョンバンド「THE SQUARE」が1982年に発表したアルバムタイトルが「脚線美の誘惑」である。
当時はこのジャケットを見るだけでオトナの世界への憧れを感じた。脚線美という言葉自体が持つ妖艶な感じにも惹かれた。
いまも「脚線美」という三文字がこの上なく魅力的に見える。
とりあえず脚と足は違う。足は靴を履く部分のこと。足首から下である。脚はもっと全体的な意味合いである。
足の指や足の裏に興奮するフェチもいるそうだが、私の場合は脚線美のほう専門である。ふくらはぎ、膝の裏、そしてもちろん、太ももが大好きである。
脚フェチはポドフィリアという性的倒錯の一種に分類されるらしい。ホントだろうか。単純に美しいものを愛でたくなるという意味では極めて正常だと思う。
そもそも脚のラインの魅力を女性自身が認識しているから脚を出す服装が一般的なんだろう。
ミニスカやショーパンでウェイウェイ歩いている人が多いのがその証拠だ。ミニじゃなくてもタイトスカートも脚線を見せることを想定している。
チャイナ服のスリットだって、ただ脚の美しさを見せるためだけの発想だ。
女性側がアピールポイントと思っているわけだから、それに萌える男を性的倒錯などとみなすのは大間違いだ。
みんなでジロジロ見るべきだと思う。
夜の街でこんなドレスで相手してくれる女性が横にいれば、私はそれだけで幸せである。顔や性格なんてどうでもいい。
銀座あたりの夜の女性陣はロングドレスか着物が多い。ドレスの場合、胸元をドッカンと強調している人は多いが、脚線美方面のアピールはポピュラーではない。
もし私が店をプロデュースするならスリットがセクシーなドレスの女性を大勢揃えて、やたらと店の中を歩き回らせてみたい。スリットパブ、いかがだろう。
話がそれた。
胸やお尻ももちろん素敵だが、脚線美はある特定の部位ではないトータルでの曲線が様々な表情を見せるところがドラマチックである。
「脚は裏切らない」。これが真理だ。スッピンになったら誰だか分からない人がいるように、顔は裏切る。
性格だってこっちが思っていた幻想はしょっちゅう裏切られる。その点、脚は裏切らない。素晴らしいことだ。
とある心理分析を読んでいたら、女性の脚に執着する男性は、視覚で興奮しがちな変態っぽいタイプなんだとか。
別の見方として、脚フェチ系の男は芸術家肌だという分析があった。はたしてどちらの分析が正しいのだろう。
まあ、どっちも正解かもしれない。男たるもの、女性の脚線美に何も感じないようでは生きる屍みたいなものだ。
以前、このブログで「女性の尻を愛することは男として極めて自然」だとクドクドと説明したことがある。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/03/blog-post_6.html
結局、お尻も脚も大好きなのが私の、いや、男の基本である。
だからこそバニーガールという絶対神のような姿に鼻の下を伸ばすわけである。
このところ年末の飲み過ぎがたたって、思考回路が迷走して、そんなことばかり考えている。
平和である。
「脚は裏切らない」、数多い富豪記者語録の中でも極め付きの名言ですね!
返信削除いやいや、お恥ずかしい。。
削除でも真実ですよね!