2018年5月16日水曜日

チン毛の引っ張り合い


もう2年ぐらいウチのダウンちゃんの話に触れていない。11歳になるダウン症の息子の話だ。

悲惨な事件に絡んで触れた時と近況報告的にアレコレ書いた時があったが、最近はネタ不足?である。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_15.html


http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/05/blog-post_16.html

とはいえ、このブログの分析データを見ると、ダウン症関連のキーワードから覗きに来てくださる人が多いので、たまには現状報告を兼ねた話を書いてみたい。

あっと言う間に小学校6年生になった。幼稚園から高校までつながっている支援学校に通っているおかげで、進路の問題で悩まずに済むのは有難い。

同じダウン症の同級生達とも仲良く学校生活を送っているが、学習能力面での差が大きく開いてきているのは確かである。

ウチのダウンちゃんは残念ながら読み書きがちっとも出来ない。一応会話はマメにしているのだが、発音が悪いから親でも半分は意味不明だ。

同級生の中には読み書き、発声ともにしっかりこなす子もいるから、同じ授業を受けさせる先生達は大変だと思う。

先日、支援学校の運動会があった。リレーに出場していた我がダウンちゃんは、ちゃんとリレーの原理原則が理解できていた。

そんなことで喜ぶのも大げさだが、低学年の頃は、そもそも競うという感覚が乏しく、白線に沿って一週を急いで走るということを理解させる必要があった。

今年はバトンもしっかり扱い、いっぱしの顔でリレーをこなしていたから着実な進歩である。

平和絶対主義みたいな精神性は相変わらずで、その点は感心する。喧嘩はすぐに仲裁するし、近くで誰かが争っていること自体が彼の大きなストレスになるらしい。

ダウン症の特徴の一つが穏やかで優しいということ。その傾向はアイツが物心ついてから一貫している。私も見習わないといけない。

ただ、言語能力に劣るせいもあって、気を引きたいときにイタズラをするのは困りものだ。健常児だったら幼いうちにそんな時期は過ぎるのだろうが、アイツはいまだに突拍子もないことをする。

先日も我が家に泊まりに来た時に、私が目を離したスキに勝手に風呂に入り、一人でシャワーをぶちまける遊びに励んでいた。

シャワーを水の状態で出しっ放しにして浴室内にまき散らす。私がヤツのアバンギャルドな行動に気付いた時には、保温されていた浴槽は水風呂状態である。

慌てて私も参戦し、水風呂を追い炊きしてヤツを茹でダコになるまで温めたが、当然のように反省のそぶりはない。

勝手に家の外に出て行ってしまう脱走癖はだいぶ治まってきたが、油断すると勝手に出かけようとするのも困りものだ。ヤツの家には対策装置が設置されたが、私のマンションにはそんな便利なものは無い。仕方なくAmazonで買った人感センサーを玄関ドアのそばに用意している。脱走しようとしてもケタタマしいブザーが鳴るので安心だ。




最近はキャスター付きバッグを転がすことが何より楽しいらしく、我が家に遊びに来ても狭い室内で引きずって遊んでいる。

仕方ないから散歩の時は常に空っぽのキャスターバックをヤツに引っ張らせる。はじめは違和感バリバリだったが、思わぬ効果もあった。

キャスターバッグを引きずっているせいで、突然走り出すことがなくなった。おまけにガラガラと引きずっている音がするから少しぐらい目を離しても位置が把握できる。これは便利である。

娘と息子がセットで遊びに来ることも多い。日頃の愚痴などをしゃべりたい盛りの娘とキャスターバッグに夢中の息子と3人で散歩に出ると、娘はピーチクパーチク語り、息子は黙々とキャスターバッグを引きずるという謎の展開になる。

娘と並んで話に相づちを打ちながら歩いていても、ヤツはゴロゴロガーガー音を立てているから視界に入っていなくても位置確認が出来て便利である。

身長も150センチを超えてきた。チン毛もしっかり生えてきた。まだまだ幼い面ばかり目立つのにチン毛ボーボーである。ちょっと笑える。

一緒に風呂に入ると、ついついヤツのチン毛を引っ張りたくなる。スキをみて引っ張るとヤツも負けじと私のを引っ張る。お互い激痛に身をよじりながら意味不明なコミュニケーションに励んでいるわけだ。

私が前の家を出て6年以上が過ぎた。ちょくちょく会っているが、一緒に住んでいるわけではないので、あまりご立派な考察は出来ない。でも、ヤツが持っている天性の大らかさと周囲をホッコリさせる「気」のようなものは独特だと感じる。

ダウン症の子どもに共通する能力みたいなものだと思う。もちろん、ため息をつきたくなることも多いし、不安要素も数え切れない。

とはいえ、一喜一憂したところで仕方がない。子を心配する親の気持ちは健常だろうとそうじゃなかったとしても同じと言えば同じである。

ウチのダウンちゃんは、定期的にヤツの家から遠くない距離にある施設に泊まりがけで預かってもらっている。将来的には施設暮らしの可能性もあるので、早めに慣れておくことも必要だ。

最近では、施設に泊まることに抵抗感が無くなってきたようで、ホームシックで泣くこともないらしい。

不憫に思うことはいっぱいある。極端に言えば、すべての部分を不憫に感じる。でも、不憫に感じる私の感覚は、しょせん私が健常者として生きてきた価値観から生まれたものでしかない。

ヤツはいつも楽しそうにしている。ウツウツとしていることは無いし、常に自分が楽しいと思えることを見つけ出す。

幸せという概念を本人がどのように感じているかは分からないが、少なくとも不幸な様子には見えない。

バカッ面で平和そうに眠っている姿を見るたびに、個人個人の幸せや充実度は他の人からは計り知れないものだと痛感する。

なるようにしかならない。投げやりな言い方だが、行き着くところはそんな言葉かもしれない。いや、大過なくそうであって欲しいと思う。

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